第3話
数日後。
俺は琥珀に会うため、再び図書館を訪れた。
「お前は結城カンナか」
「名前、覚えてくれてたんだ」
少ししか言葉を交わしてないのに、ちゃんと覚えてくれていることに思わず嬉しくなる。
「あぁ、あれだけきゃんきゃん抗議されりゃあ、誰だって覚えるだろう」
前言撤回、嬉しくない。
「悪かったな」とふてくされる俺を見て愉快そうに笑った琥珀は、話を切り替えた。
「緋色の紐留めの女は見つかったか?」
「そんな曖昧な特徴で、分かるわけないだろ。一応探してるし、人にも手伝いを頼んではきたけど」
押しつけられたとはいえ、何もしなかったわけではない。
聞いてしまったからにはきちんと果たしたいのだ。
これがクソ真面目と言われてしまう原因なのだろうが、最早俺の性分なので仕方がない。
ただ、気になるのが――
「何故その本を借りた女の子を探してるんだ? 自分で探さない、理由は?」
頼み事を押しつけられるきっかけになった、上巻のないこの分厚い本。
女の子、琥珀。そして、消えた上巻。
関連性が全く見えない彼らに、いったい何があったんだろうか。
琥珀は面倒くさそうに頭を掻いた。
「言わなきゃだめか?」
「もちろん。会いたいって理由が、恨みつらみでその人を祟るためとかだったら困るし」
軽い冗談のつもりで言ったのだが、琥珀は意外にも頷いた。
「まぁ、ある種の恨みみたいなものか」
「えっ……?」
「そう驚くな。半分は冗談で半分は本気だ」
固まってしまった俺に琥珀が笑う。
そして声のトーンを落とした。
「……約束をほっぽりだして、どこへ行ったのやら」
「約束?」
ますます気になる。何を約束したんだろうか。
「そんなに知りたいか? 私にとってはつい昨日の、人にとっては遠い昔の、他愛ない約束さ」
どこか愛しそうに、でも投げやりな声色で返した琥珀は、ただ一つぽっかり空いた本棚の虚を見つめながら語りだした。
*
私は、古くからこの地域に根付く土地神だ。
昔は力もあったし、供物だってたくさんあった。
だが時の流れと共に、信仰者は減り、私という存在を認知する者もすっかりいなくなってしまった。
昔は神を名乗っていたものが、お粗末な顛末だろう? はは、笑ってくれ。
その最たるものがここ――図書館だ。
私の社を取り壊して建てられたこの建築物が、私は大嫌いだ。誰だって住みかを奪われるのは嫌だろう?
『そんなところで何してるんですか?』
彼女と出会ったのは、図書館ができて間もないそんな頃。
不思議なこともあるもんだ。
私にもう、力はない。
人の目に映るはずがない。
なのに、何故か彼女と目が合い、言葉を交わしたのだ。
『復讐に決まってる。如何にしてこの地を呪ってやろうか、考えているのさ』
『あら、物騒。……ふふ、面白いですね』
私の言葉を信じていないのか、彼女はそう笑った。掴み所のない、不思議な奴だった。
――変なやつ。怨み言を言っても驚かぬとは。
最初はそれだけだった。
だが、何度も何度もお互いに見かけるうちに、顔見知りになって、話をするようになった。
家族のこと、学校のこと、趣味のこと。
私の素性については明かさなかったが、文字が読めぬと話した時は、目を白黒させてたなぁ。
口数は多くなくとも、穏やかで、楽しそうな彼女の語りが、いつしか楽しみになっていた。
『何故、毎日図書館に来るんだ? そんなに本とやらが好きなのか?』
出会ってしばらく月日が経ったある日、私はそう聞いた。
彼女は図書館に来る度に、いつも何かを借りて、返してを繰り返している。
文字を知らぬ私にはとんとその楽しさが分からなかったが、彼女は大きく頷いた。
『もちろん。本はね、新しい出会いの扉なんですよ』
もっと分かりやすく言えば良いものを、勿体ぶるようなことを言う。
私の不満が顔に出たのか、『ふふ』と笑った少女は一つ提案をした。
『文字の読み方、教えましょうか? 読めるようになったらきっと、本の楽しさが分かると思うんです』
『知ってほしいの』と、次の日から彼女は私に会う度に、少しずつ文字を教えてくれた。
何種類もあるから、まずは平仮名からだと。
勉学に励むのはこれが初めてだったから、まぁ苦労はしたが、それを苦痛とは思わなかった。
彼女に教えてもらい、少しずつ読めるようになる感覚が心地よかったのだ。
毎日毎日、少しずつ。そんな日がしばらく続いた。
それから夏休みのある日。
彼女は祖父母の実家に帰ると言った。
夏休みが終わるまで、図書館には来れないとも。
『夏休みの間、貴方にも読めるように本を直してきますね』
そう言って彼女は、本を一冊借りていった。
彼女のお気に入りの、長い物語の上巻。
夏休みの期間で下巻までは直せないからと、分厚い上巻を片手にニコニコ笑っていた。
『夏休みが終わったらまた勉強しよう』
それが我々の交わした、最後の約束。
それっきりだった。それっきり――幾度の夏が巡っても、彼女は帰ってこない。
*
「どうだ、しょうもない約束だろう」
『約束』の話は、そんな寂しそうな声で締め括られた。
「しょうもないって……でも、気になるから俺に人探しを持ちかけたんだろう?」
琥珀は居心地悪そうに視線を彷徨わせると、「……まぁな」と鷹揚に頷いた。
「土地神とは言い様で、一種の地縛霊みたいなもんだ。私はこの土地から離れることができない。だから、待つしかなかった。でも、来なかった」
力無く首を振ると、言葉を続けた。
「度しがたいが、人にとってはきっと長い月日が経ったのだろう。もうそれをとやかく言うまい。会えなくてもいい。ただ……ただ、様子が知りたいのだ」
「琥珀……」
約束はある種の呪いだ。
果たされなければ忘れない限り、その契りは心の足枷となっていつまでも残り続ける。
しょうもない約束とは言ったけど、きっと琥珀にとっては大切な――
「名前は? その子の、名前」
自然と質問が口をついて出る。
力になりたいんだ。ずっと約束を守るために人を待ち続けた、土地神様のために。
「名前は知らない。……聞けなかったんだ。私が怪異と知ったら、どんな顔をされるか怖かったから」
「そっか……」
名前という有力な情報を得られず、ガックリ膝をつく。
俺の様子を見て、「今でも後悔しているよ」と琥珀は力無く笑った。
「名前が聞けたならどんなによかったか。親しかったつもりでも、私は未だに彼女のことを『あいつ』としか呼べないのだから」
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