ライター顔出しもんだい(もんだい?)
わりと同業他者のひと、とくに女性にとっては出す出さないはけっこう大きなテーマだと思う。(なんか知らんけど女性のほうが言われやすいよね。
最近本を出したことで顔出し取材を色々と受けるようになったことで「顔出してるんですねor出すようになったんですね」とよく女性から言われたりして(出すべきと判断したときはこれまでもちょいちょい出してましたが)、ネット上に関してはジャッジされるのは異性よりも同性が多いと感じるけど、アレなんなんでしょうね。わたしの観測範囲の問題かな。まぁ単純にわたしの記事を読む人、あるいは友人知人に女性が多いだけという可能性がある。
結局のところ、インターネット上でライターが顔を出す理由については、「デバイスとして便利だから」としか言えないよねっていう。わたし自身がツラ出す出さないの基準はけっこう明確で、たとえばアラフォーの女性がルームシェアをしています〜というインタビューを受けるのであれば、生身のわたしが出ていたほうが説得力があるじゃないですか。出すことで「伝わりやすくなる」のであれば、素材の一環として出すし、目的のためのツールでしかない。
なお、他のTwitterのアイコンだったり、ウェブの書き原稿の場合は、積極的に出す必要はないと思っている。というか人間じゃないアイコンの方が、攻撃してくる人間が少ない気がするんですけど、気のせいでしょうか。人間じゃないアイコンの人はどうなのかしら。
メディア上に出す自分はある意味自分のものじゃないというか、「自分だけのもの」ではないという認識でいるというか、プロのカメラマンの手が入ることもあるし(いい機材といい腕で撮影されたら、めっちゃ「よく」見える)、読み手によってなんらかのバイアスがかかるから、100%のコントロールは不可能でしょう。それでなんか言われたとしてもなぁ。わたしの知ったことではない(´6ω6)
プライベートの自分自身の身体のコントロールについてはまたべつの話ではあるのかな。でも自分自身の事情以外で自分の身体をアレコレする・したいはわりとあるので(たとえばいつか介護をされるときのためにVIO脱毛しておいたほうがいいかな? とか)、やっぱり完全に「自分だけのもの」とは思ってない可能性があるな。
全体的に、こう、身体や容姿は外部(社会?)と接触するためのデバイスという感覚が少なからずある。
とはいえ社会の空気とか読まず化粧せずに仕事にいくとか全然やるけど。というか、化粧した顔がツールとしてぜったいに必要な状況、自分のようなフリーランスだと少ないと思うから(周り見てるとバキバキの人と全然してない人と二極化の印象はある)やらないだけって気がしてきた。
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