「ああはなりたくないな」の「ああ」
一昨年くらいの話。夜行バスを待っていた時に、60代くらいの男性にウザがらみされて、当然相手する理由もないので、シカトをしていたのだけど、そうしたらほかの女の子にターゲットを変えて話しかけていて、そこでこちらのことを「あの婆さんは愛想がない」みたいに罵ってきたことがありまして。流石にどう見ても60代の人が30代末のわたしを「婆さん」呼ばわり…? 客観性とは…(´6ω6)と思ったけれど、それ以上に「ああはなりなくないな」と思ったのでした。
「ああ」とは、つまり寂しさの処理が自分でできてないひとのことです。
ほかにも昔書店員バイトをしていたときに、細木数子の占星術本(複数冊ある)の金星人だか木星人だかを間違えて買ってしまったので、本に名前を記入したけど返品したい(無茶な!)という女性がレジでめっちゃゴネ倒していて、これも別に数百円を意地でも取り返したいわけではなく、寂しさの処理を誤ってるように見えたのです。なおその本は結局返品に応じ、金星人だかなんだかに該当する社員さんが買い取りました。かわいそう…(´6ω6)
木嶋佳苗死刑囚の事件とかも、事件が発覚した当初は、一部の人たちの間で、彼女を英雄視する風潮もあったように記憶しているのだけど(彼女の容姿を揶揄する風潮も大きかったので、そちらへのカウンターという意味合いもあったのでしょうけど)、さらっとニュース記事を読んだ程度なので、間違っていたら申し訳ないないけど、別に被害者男性たちはすごい極悪人であったわけではないでしょう(そこまでパーソナルな部分が掘り下げられてるわけではないですが、殺されるほどの悪事をした人はいないはず)。
「ああ、『寂しさ』を埋めるために人は死んでしまうこともあるんだ」
「そして、わたしは多分『殺される側』だろうなぁ」
と、当時のわたしは被害者の方に感情移入していました。
この「寂しさ」の処理を間違ってバグるケース、年齢を重ねると増える気がしておりまして。「帰省したら親がネトウヨ化ギャー」的な話も、これに近い気がするのですよね。家族がいたら、子供がいたら、「誰か」がいたら大丈夫という話でもなさそう。
だって、その「誰か」が木嶋佳苗である可能性もありますしね。
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