第12話 月あたり百万セルで請け負いますけれど

 俺は最後に、人差し指を立ててレオに言った。


「とにかく、この事は絶対に秘密な。飯屋とかでうっかり口に出さないこと」


「うう……事情は分かったけど、それが一番怖えわ……」


「俺もお前も、覚悟を決める時だな」


「俺が覚悟決めなきゃいけなくなったのはお前のせいだよね!?」


 レオが何か無駄な抵抗を試みていたが、俺は優しい笑顔を浮かべた。


「ほんと、かわいそうにな」


 瞬間、頭に衝撃が走った。


「ぶん殴るぞテメエ」


「もう殴ってるじゃーん……冗談だよありがとな……」


 おっと。午後の二時まで、そう長く時間がある訳じゃない。さっさと昼飯を食べに行かないと、今日は昼抜きになってしまう。


 仕掛けた罠に引っ掛かってくれると良いんだが……。


「そろそろ、食べに行こうぜ。こんな所でのんびりしてたら、ランチの時間が終わる」


 そう言って、俺は振り返った。


 その時だった。


 目と鼻の先に、人の顔。


「うおっ、すいませ……」


 言いかけた矢先、俺はその人物が誰かという所に気付いた。俺の知っている顔だ。


 凍り付いたような笑顔。アカデミー時代も、ついにその微笑を崩す所を俺は見ずに卒業した。どこか現実感がない、あまりにも美しい銀色の長い髪。治癒を司る女神、ルミル・ディーンの加護を受けた聖職者。


 同じく顔を知っているレオが、真っ青になった。メノアとフルリュはどうにか自分の素性を悟られまいと、身動きひとつ取らずにじっとしていた。


 まずい。他の誰に知られても、こいつにだけは知られてはいけなかった。最も魔物を悪だと憎んでいる女神の信徒に、この状況を見られる訳には……!!


「フィーナ・コフール……!!」


 俺はついに、その名を口にした。


「あら、ラッツさん。お久しぶりですわ」


「あ、ああ。久しぶり、だな」


 もし俺の後ろにずっと居たのなら、レオがとっくに気付いているはずだ。という事は、今しがたフィーナは現れて、俺の存在に気付いた可能性が高い。


 なら、話を聞かれていた可能性は低い、か? フルリュの話さえ、ハーピィの話さえ聞かれていなければ。


「どうしたんですの? 久し振りにお会いしたのに、なんだかご体調が優れないようですわね」


「……ああ。ちょっと、腹の調子が悪くてな。トイレに行こうと思っていたんだ」


「ご一緒しましょうか?」


「駄目に決まってるだろ!!」


 相変わらず、何を考えているのかさっぱり分かんねえ。


 何なんだ、フィーナ・コフール。この場所はセントラル・シティの中では最も人が来ない場所だぞ。俺の姿だって、大通りからそうすぐに見付かる訳じゃない。一体、何を察知してここに来たって言うんだ。


 何も聞いていないなら、それでいい。ここに魔物が居るなんて知られたら、治安保護隊か信徒に報告される。すぐに、俺の手は後ろに回るだろう。


 それだけは避けないと。まだ、フルリュの妹だって見付かっていないのに。


「な、なんでこんな所に居るんだ? 女神の像はもっと北の方だろ、教会も」


「別に、聖職者がいつも教会だけに居るわけではございませんわ」


「あはは、まあそりゃそうか。……あはは」


 フィーナは聖職者の祭服を着ているので、オンオフで言ったらどう考えてもオンなんだが。いいのかよ、祈りは捧げなくて。迷える仔羊とか呼ばれてる、人生相談しに来る一般人の相手をするんじゃなかったっけ?


 ギルド専属にでもならない限り、聖職者が冒険者としてソロで行動するなんて有り得ないのに。


 フィーナは祭服の胸元を引っ張りながら、頬を染めて上目遣いで俺を見詰めた。胸の谷間が見える。


「ラッツさんに会いに来たという理由では、いけませんの?」


 ちょっとちょっと!! その服、そんな構造だったっけ!? なんか妙に胸元開いてない!? 黄色いリボンの位置が下すぎるだろ!!


 コバルトブルーの瞳に見詰められると、どうも怖気づいてしまう。アカデミー時代からそうで、なんかこいつに俺は逆らえないのだ。


「いやあ。そんなに好感を持たれているようには思えなかったなあ」


「まあ、残念ですわ。わたくしは四六時中、ラッツさんの事が頭から離れなくて仕方がありませんのに」


 フィーナが寄ってくる。どうしても、俺は冷や汗をかいてしまう。


「そ、それはなんだ、あーその、悪かったな?」


 思わず変な事を言ってしまう俺だった。フィーナは軽い足取りで、少しずつ俺との距離を詰める。顔が近い。


 ……ま、まあ、この様子だと大丈夫そうかな? もし聞いたなら、とっくに本題に入っているだろうし。


 さっさと切り上げて、どっかに行ってもらおう。


「それにしても、嫉妬してしまいますわ」


「嫉妬? 何に嫉妬してるんだよ」


 耳元で、フィーナが囁いた。


「ラッツさんが、魔物の女性と仲良くしていらっしゃる所とか?」


 思わず全身が硬直し、身動きが取れなくなった。さあ、と、顔から血の気が引いていくのが分かった。




 ……ダメじゃん。




「誰にも言わないでくださいっ!! お願いしますっ!!」


 レオが鬼気迫る勢いで、フィーナに土下座した。メノアとフルリュは相変わらず、硬直したまま動かない。


 あまりにも衝撃的すぎて動けないんだろう。俺と一緒だ。


「あら、レオさん。お久しぶりですわね」


「さっきからずっとここに居たけど!? 俺の存在は!?」


 フィーナは鼻歌を歌いながら、フルリュのフードを掴んで、ローブを引っぺがした。


 当然、その下には鳥の脚と、大きな羽根。人間のような手指の存在はどこにもない。加えて、金髪の隙間から長く尖った耳まで顔を出している。


 ど、どうする。……何か方法は……!!


「初めまして。わたくし、フィーナ・コフールと申しますわ」


 フルリュは絶句したまま、何も答えられない。


「どこから迷い込んでしまいましたの?」


 俺は咄嗟に、フルリュの前に出た。


「使い魔なんだっ!! そうだよな、フルリュ!!」


 ぴくりと反応して、フルリュが少し声を張って言った。


「あっ!! は、はいっ!! 初めまして、ラッツさんの使い魔の、フルリュ・イリイィと申します!!」


 フィーナは、さっきからずっと笑顔を凍り付いたように浮かべて、表情を変えない。


「刻印」


 怒っているのか? 冷静に事を運ぼうとしているのか? それさえ分からない。


 ただ、死を待つだけ。ドラゴンに丸呑みされたような気分だ。


「……が、ありませんわ。不思議ですわね」


 刻印。そういや、使い魔にはそういう印が刻まれるんだっけ。じゃあ、どう言い訳すればいいんだ。


 ローブを外されたフルリュは当然、胸当てと腰巻きの簡素な服。そういう文化なんだろうが、ほとんど水着みたいなもんだ。これじゃあ、隠しようがない。


 心臓が早鐘を打った。逃げろ、逃げろと頭の中で警鐘が鳴り響く。逃げろって言ったって、どこに。


「刻印はっ!! ……じ、実はおっぱ」


「きゃあああああああごめんなさいありません嘘つきました!! ごめんなさいごめんなさい見逃してくださいっ!!」


 おお、フルリュよ。お前それ言っちゃったら、もうどうにもならないぞ。


 フルリュが俺の肩を掴んで、激しく揺さぶった。……おお。視界が揺れる。


「なっんなっな、何を言おうとしてるんですかラッツさん!! どうせ確認されたら一緒じゃないですか!! この場で私に痴態を晒せって言うんですか!!」


「仕方ないだろ嘘つける場所が乳か尻か股間しかないんだから!!」


「ぜんぶダメ――――!!」


 フィーナがくすりと笑った。


「ふふ。……仲が、よろしいのですね」


 俺とフルリュは動きを止めて、フィーナを見た。


 もう、駄目だ。この状況を弁解できる言葉なんて、俺には思い付かない。フィーナは気味の悪い笑顔を浮かべたまま、なんか立って俺を見ている。


 ……やっぱり、通報されるのか?


 もうやだ、この笑顔!! なんなの!?


 程なくして、フィーナは言った。




「面白そうなので、わたくしも仲間に入れて頂けませんか?」




 背を向けて大人しくしているメノアが、思わず振り返った。


 土下座して頭を地面に伏せているレオが、思わず顔を上げた。


 俺の肩を掴んだまま硬直していたフルリュが、フィーナを驚愕の眼差しで見つめた。


 俺は……頭が、真っ白になった。




「…………は?」




 そう呟く他に、俺は手段を持たなかった。


 フィーナは頬に手を当てて、小さくため息をついた。


「実は……せっかく治癒の奇跡を授かったのに、毎日毎日教会でお話をするお仕事ばかりで、退屈していましたの。冒険者の方に永続雇用として雇って頂けるのであれば、わたくしも教会を出る事が許されるのですけれど」


「ねえ、それ言っていいの!? 女神に仕える聖職者として、それ言っていいの!?」


「ラッツさんの隣に居た時のような、スリルが無いのですわ」


 フルリュを俺から剥がして、フィーナは前から俺の首に腕を回した。挑発的な眼差しで、至近距離から俺を見つめる。


 胸が当たる。あててんのよ。


 腹から絞り出すように、俺は言った。


「……アカデミーで俺の隣に居たこと、あったっけ?」


「いいえ?」


 もうほんと、なんなのこいつ!?


「ラッツさんには、わたくしを雇って頂きたいのです」


 フィーナは俺に体重を預けて、俺の耳元で囁いた。


「わたくしを、籠の外に連れ出してくださいまし」


 誘惑するような甘い声。直接頭の中に語りかけられているかのようだ。


 しかし、そういうことか。一体いつなのかは分からないけど、どこかでこいつは俺達の話を聞いていて、教会の外に出るチャンスだと思って俺に話しかけて来た、ということだ。ならば、俺が言う言葉はひとつしかない。


「か、金が、ないんすけど」


 フィーナは茶目っ気たっぷりに、俺の目の前でウインクをした。


「あら、断れますの?」


 こいつ……ロクな死に方しねえぞ……!!


 あれ。ついさっき、どこかで同じ言葉を聞いたような気が。


 どうする。フルリュは今にも泣きそうな顔で俺を見ている。レオは、早く出せ、と右手で卑しい金のマークを作って俺に合図を送っている。メノアは、何度も頷いている。


 おい、全員。言ってるだろ。俺、金、ないんだよ。


 金が無いんだよおおぉぉぉ!!




「…………ツ、ツケでもいいかな?」




 どうにか、俺はそう言った。


 フィーナは両手を胸の前で合わせて、やたら可愛い動きで俺に軽く頭を下げた。


「はい、よろこんで!!」


 こいつ、かなり腹黒いぞ。聖職者のくせに、俺に脅しをかけるとは。聖職者のくせに。女神の信徒のくせに!!


「永続雇用ですの? 月あたり、百万セルで請け負いますけれど」


「無理に決まってんだろアホか!! 単発だよ単発!!」


「えっ、結婚? やだ、ラッツさんったら気が早いですわ」


「何の話してんの!?」


 金、無いのに。


 俺に金額も分からない借金が増えてしまった。


 放心していると、レオが俺の腕を引っ張って、フィーナから引き離す。隠れるようにして、俺に耳打ちした。


「なんかフィーナって、やたらお前に絡むよな。……何かあったのか?」


「やたらって何だよ……アカデミーの時の事言ってんの?」


「ずっとそうだろ!! え、何、お前覚えてないの? あいつは他の人間なんて、ゴミが見えてるみたいな感じだぞ。それが、お前の事になると目の色変えんだよ。絶対なんかしたんだって、ものすごく好かれたとか、ものすごく嫌われたとか。思い出せよ」


「そんなの、俺が聞きたいよ……」


「ところで、これから先はどうするおつもりですの?」


 ぎょっとして振り返ると、すぐそばにフィーナが迫っていた。レオがその圧迫感に恐れをなして、俺から離れる。


 フィーナは俺の腕を抱いて、ぴったりとくっついて来る。……確かにこりゃ、なんかしたのかもしれないな……さっぱり覚えてないけど。


 この場にいる誰も、この状況に付いて来られていない。俺も含めて。


「わざわざ変装までして、冒険者依頼所に依頼を出したでしょう?」


 えっ!?


 いつから見てたの!? 俺、いつからつけられてた!?


 ここに居るのを見られていたとか、そんなレベルじゃなくて。……こんなのもう、ストーカーじゃねえか。どうしろって言うんだ。


「……犯人が依頼に食い付いたら、この中の誰かがハーピィに扮して捕まる。そうしたら、妹の所までも行けるだろうと思ってる」


「あら、ラッツさんったら。らしくないですわね」


「らしくない?」


 くすりと笑って、フィーナは言った。


「そんな事、必要ありませんわ。わたくしに任せてくださいまし」


 人差し指を口元に近付けて、微笑を浮かべるフィーナ。可愛らしい仕草だけど、もはや俺には恐怖しか感じられない。


 ……まあ、協力してくれるって言うんだ。ここは、良い話だと思う事にするしかない。金かかるらしいけど。


 俺は脱力して、腕も抱かれるに任せた。


「あの、ひとつ良いだろうか? フィーナ……殿は、一体主の……ラッツの何なのだ?」


 ずっと話に付いて行けていないメノアが、ようやく重い腰を上げてフィーナに問いかけた。


 フィーナはむっとして、初めて面白く無さそうな表情を見せた。


「あなたこそ、名前も名乗らずに失礼ではありませんの?」


「え……あ……も、申し遅れてすまない。メノアというのだが」


 くすりと笑って、フィーナは俺の腕を離し、一回転して長いスカートを広げ、会釈した。


「メノアさんに、フルリュさん。改めましてわたくし、フィーナ・コフールと申しますわ。以後お見知りおきを」


 どうやら、本気で怒っていた訳でもないらしい。メノアもただただ気後れするばかりだ。そりゃあそうだ。こんな感情も思考も見えない奴、できればお近付きにはなりたくない。


 フィーナは、メノアに握手を求めた。メノアがぴくりと反応する。


「あなたも、ラッツさんに助けて頂いているのでしょう?」


「え……」


「普通ならこんな所、居られないですもの。ね?」


 つんつんと、フィーナは自分の耳を指さしてウインクした。……どうやら、何から何までお見通しという事らしい。一体いつから見られていたのか知らないが、もう観念するしかなさそうだ。


 メノアはフィーナと握手をかわした。もはやメノアは、フィーナの把握ぶりに笑みまで浮かべていた。


「参ったな。一体、どうやって気付いたんだ? フルリュ殿の件はともかく、私の事は一切話題にも出て来ていないのに」


「うふふ、楽しい会話は後にしましょう。お昼を食べないと、午後二時に間に合わなくなってしまいますわよ」


 お前が現れたから時間が無くなったんだよ。


 ……とは、言わないでおこう。さすがに。


「ご安心くださいな。わたくし、ラッツさんに愛人が何人居ても気にしませんわ」


「あっ、あいじ……!? い、いや、決して私は、そういうのでは……!!」


 メノアは慌てて否定したが、フィーナは無視した。軽くウインクをして、メノアとフルリュに見せ付けるように、再び俺の腕を取った。




「だって、わたくしが正妻ですもの」




 ……ほんと、何したんだろう。俺。

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