第7話 爪は駄目だが羽根はアリだ

 近接戦闘は剣でこなさなければならない。でもその前に、俺はリザードマンに向かって矢を放った。リザードマンがハーピィの右腕目がけて、剣を振り下ろす直前。これなら、まだ時間に余裕もある。


「メノア、俺が戦う。ハーピィの方を頼む」


「あ、ああ」


 矢を放つと同時に、俺は弓をリュックに戻し、今度は長剣を引き抜いた。


「リュック、頼む!!」


 メノアにリュックを渡し、俺は剣を持って走った。


 不意打ちだ。矢は当然、リザードマンにヒットする。距離が縮まれば弓は使えないから、これはたった一度限りの奇襲だ。


 右腕に刺さった矢はリザードマンの剣先を狂わせ、ハーピィのわずか数十センチ右に振り下ろされる。


 リザードマンの叫びだか雄叫びだかが聞こえ、剣がその手を離れた。


 チャンスだ。


「でええぇぇいっ!!」


 すかさず飛び出した俺は、リザードマンの胸めがけてヤクザキックをお見舞いした。


 俺はハーピィの前に出て、リザードマンに向かって抜身の長剣を構えた。


「あ、あなたは……!?」


「説明してる時間が惜しい。まだ歩けるか?」


「いえっ……無理、だと思います」


 確かな手応え。走って助走を付けていただけに、リザードマンは相応の距離を後退した。……それでも転ばない。転倒でもしてくれりゃ、逃げる選択肢もあったかもしれない。でもハーピィがこの状態じゃ、どの道無理か。


 倒すしかない、か。


 ふう、と強く息を吐き出した。呼吸を整える。……大丈夫。ちゃんとやれば、俺にだってチャンスはあるはずだ。


 リザードマンは明らかに敵意を持った瞳で俺を睨み、言葉かどうかも分からない奇声を上げた。


「剣を持って戦う時は……間合いが一番大事」


 声に出してリザードマンとの距離を測るのは、不安をかき消すためだ。


「しっかりするんだ、少女」


「す、すいません」


 少し遅れて、メノアがハーピィを抱き上げる。その時、ハーピィが俺の耳に視線を向けた。


「えっ、人間……?」


 おかしいと思うんだろうか。やっぱりこのハーピィも、俺達人間を見ていきなり襲ってくる様子はない。


 それとも、傷付いているからなのか。それはまだ、分からないが……。


「ギャアアオアアアアア!!」


 そんな事を考えている場合じゃない……!!


 リザードマンが、一気に俺と距離を詰めてきた。速い……!! とっさに俺も長剣を振り被るが、リザードマンは姿勢を低くして、俺に向かって剣を真っ直ぐに構える。


 えっ、剣? さっき落としたはずじゃ……しまった、尻尾で拾っていたのか!!


 突きだ!!


「うわっち!!」


 ギリギリ反応して、右に跳んだ。わずかに服をかすめて、俺は地面を転がる。


「ラッツ!!」


 メノアが叫んだが、反応している余裕はない。体勢を崩した俺の所に、リザードマンが飛び込んで来ている。


 転がる勢いを利用して起き上がり、大上段から跳躍して振り下ろされる強烈な一撃に備えるべく、剣を掲げた。左手も添えて、力を入れる。


「なんの!!」


 リザードマンの剣が、俺に向かって振り下ろされる。ボキ、という音がして、剣が俺の鼻先に――――ボキ!?


 今度は真後ろに身を引いて、転がった。


 もう、剣が折れ……この長剣、けっこう太いぞ!? どんだけ怪力だよ!!


 飛び跳ねて起き上がった。駄目だ、まるで相手になる気がしない。長剣も折られた。戦うのは無理だ。


「逃げるぞ!!」


 言うが速いか、俺はリザードマンに背を向けて走り出した。こいつは剣と盾しか持っていない。距離さえ稼いでゲートを潜れば、魔物は基本的に未開の地までは追って来ない……!!


「ラッツ!! 危ない!!」


 メノアが叫んだ。


 え? だって、長剣の間合いは離れた……そう思った瞬間だった。


 背中に、強烈な一撃が入った。自分が走り出していた事もあって、進行方向のメノアに向かって勢い良く吹っ飛んだ。軌道は上に。身体が勝手に浮いて、メノアを軽々と飛び越え、通り過ぎる。


 受け身も取れない。右肩から木に激突し、木が折れ――……地面を転がり、大きめの岩に激突してようやく止まった。


 ゴーグルがはずれて、地面に転がった。


 人間が使うそれに比べると、少しばかり短めの長剣。その二倍ほどもある連中の尻尾は、つい先程までは戦闘に参加していなかった。


「ぐ、うっ……」


「ラッツ、大丈夫か!?」


 苦しい。激痛を通り越して、打たれた背中が熱く感じる。まさか、尻尾がこんなに力強いなんて。


 俺は痛みに悶えながら、駆け寄るメノアに向かって、ゲート方向を指差した。


「急げ、逃げろ。……勝てない、時間を稼ぐ」


 メノアはハーピィの身体を支えながら、ひどい汗をかいていた。息は上がっていない。おそらく冷や汗だろう。


 俺の様子を見て、絶句しているようだった。


「だが、その……背中が……」


「うるせえ急げ!! ゲートを越えれば追って来ない!!」


 メノアとハーピィが、俺に背を向ける。


 リザードマンは俺の敗北を悟ったのか、ゆっくり歩いて近寄ってくる。もう、メノアやハーピィの事は気にしていないようだ。


「余裕かよ、クソが……!!」


 どうにか両手をついて起き上がろうとするが、力が入らない。膝が笑う。どろりとした赤いものが背中から滲んで、俺の服を染めていく。


 ……はは。まさかこれ、ぱっくり割れてんのかな。


 意識が遠のいていく。


「グルルルゥ……」


 リザードマンの口から、涎が垂れている。


 駄目だ。死ぬ。


 何年もアカデミーに通って、冒険者になるための鍛錬を積んで。たった一度、ダンジョンに潜って。たった一度、魔物と戦闘して。


 負ければ死ぬ。


 知っていた。冒険者っていうのは、そういうもんだ。


 リザードマンが、俺の背中を踏み付ける。


「あがあぁぁぁっ……!!」


 声が掠れる。指先が痺れて、感覚を失う。


 アカデミーの講師が言っていた。曰く、『最初のダンジョンを生きて帰って来る者は、六割程度』らしい。それを聞いた時は、なんだ、意外と生き残って帰って来るもんだな、なんて思っていた。


 冗談じゃない。


 死ぬんだ、四割は。


 朦朧とした意識の中、俺は蹴って転がされ、右肩を踏ん付けられた。


 リザードマンの向けた長剣の切っ先は、俺の喉に向けられている。


「グググ……」


 リザードマンが、笑っている。


 大した事のない相手だと思っただろうか。剣が使えて、油断を誘う事ができる。感情だってあるかもしれない。


「……へへ」


 その様子を見て思わず、俺も笑ってしまった。


 わざわざ獲物の状態を確認するために、時間をかける。あまりにも悠長な様子のリザードマンを見て、得体の知れない衝動的な感情が巻き起こった。


 どうする。武器は? 右手には、折れた剣。左手には、折れた剣の切っ先。身動きは取れない。


 リザードマンの右腕に、力が込められた。


 俺は目一杯に、リザードマンを睨み付けた。


 こんな所で、こんな奴に。




 殺されてたまるか……!!




「グギャアアアァァアアアァァ!!」


 思い切り、折れた剣の切っ先をリザードマンの左足に突き刺した。刃を握った事で俺の手にも血が滲んだが、そんな事には構っていられない。


 痛みに悶えているリザードマンを蹴り飛ばし、距離を離す。


 リュックはメノアが持って行った。だから俺は、落ちている木の枝を掴んだ。そうして再び、ゴーグルを手に取った。


 アカデミーで習った。魔法使い連中が使う杖の殆どは、魔界にある『魔力を持った木』から作られている。攻撃魔法を使う時の、言わば起爆剤となる為だ。


 物質を具現化する攻撃魔法は、媒介が無いと難しい。殆どの杖が先端に魔法石を仕込んでいるのも、具現化させるための魔力を補うものだ。


 だから、もちろん俺は分かっている。なんの変哲もない枝じゃ、戦闘には使えない。


 だけどこの木は、上空で霧を吐き続ける特殊な木だ。魔界にあって、ダンジョンの、魔物が住む森に生えているものだ。


 可能性は、ある。


「【ブルーカーテン】!!」


 二メートル程の高さから水が降り注ぐ、魔法使いの基礎魔法だ。修練が足りないと水がチョロチョロ流れるだけだが、身を隠せるレベルになるまで何度も練習した。


 俺を隠すように小さな滝が現れ、リザードマンと俺との間で隔たりになる。


 魔法を使った瞬間、枝は粉々に砕け散った。きちんと武器として錬成していない枝なんて、こんなものだろう。


 でも、一瞬の目眩ましとしては十分だ。


 リザードマンに背を向けて、俺は走り出した。


「ぐぎっ……!!」


 背中から、この世のものとは思えない程の痛みが襲い掛かる。手にしたゴーグルを握り締めて、その痛みに耐えた。


 追い付かれたら駄目だ。追い付かれたら、もう逃げ切れない。その時は、俺が死ぬ時だ。


 絶対に追い付かれたら駄目だ……!!


 木の陰に隠れて立ち止まり、俺は素早く集中してスキルを使った。


「【キャットウォーク】!!」


 レンジャーのスキルだ。罠の回避や、敵から逃げるのに使う。魔力を足に集めて、普段より速く走れるようになる。こういう強化スキルなら、杖も必要としない。


 アカデミーでは、冒険者になるための基礎の基礎とも言えるスキルしか教えてくれない。


 だから俺は、それを全て習得した。


 時間をかけた。努力もした。


 こんな所で、死ぬ訳には行かないんだ……!!


「くそ……」


 ただ足を回転させ、枝を踏み締め、傷の付いた木を辿る。まだ、背後から追い掛けてくる足音が聞こえてくる。


「くそ……!!」


 それでも、ただ走った。


 ゲートまでは、もう少し――……。




 ◆




 セントラル東の森は今までいたダンジョンと比べると、明らかに穏やかだった。青空も見えるし、何よりも明るい。


 ゲートを出ると洞窟の入口まで歩いた俺は、岩を背にして堪らず座り込んだ。とうに出ていたメノアとハーピィの娘が、俺の様子を見守っている。


 背中の激痛を少しでも和らげるため、俺は両手に力を集中させ、魔法を唱えた。


「ふう……【ヒール】」


 まず、よりにもよって背中だ。手が届かねえ。


 それでも、時間をかければ傷は癒えていく。


「治癒の魔法か?」


 興味がある様子で、メノアが俺にそんな事を言った。


「ヒーラーの授業があって、そこで覚えたんだ。治癒魔法の中でも一番基礎のスキルだけど、まあ時間かければ治る」


 傷さえ塞がれば、あとはどうにでもなる。ひとまずそれが最優先だ。


「すまない、私が白魔法を使えれば……」


「いいよ、気にすんな」


 もし一人だったら、ただ自分がハーピィの道連れになって殺されただけだっただろう。メノアのおかげで全員無事に逃げ切れた。感謝するべきだ。


「あ……あの、本当にここまで来れば、大丈夫なんでしょうか」


 メノアに肩を借りてようやく立っているハーピィの娘が、そんな事を俺に問いかけた。


 俺は肩で息をしながら、娘に答える。


「魔物は基本的に、ゲートを潜ってこない」


「そう、なんですか?」


「ああ。これは人間の間では、もう何度も試験されていることでさ。ほとんどの魔物には人間の言葉なんか通じない訳で、ゲートを潜ってこない理由は人間の予想でしかないんだけど……一説によれば、ゲートの先が人間界に通じていることを、本能的に察知しているってことらしい」


 そうだ。ほとんどの魔物には人間の言葉が通じない。だから何故かは分からないが、基本的に人間は魔物に襲われるもの、という前提がある。


 俺はハーピィの娘を指さした。


「むしろ、なんであんたは人間の言葉が喋れるんだ?」


 少し驚いた様子で、ハーピィの娘は答えた。


「わ、分かりません。何故か言葉が同じ……としか」


 ということは、昔は同じ言葉を使っていた、つまり同じ文化の中にいた……ってことか? そんな事はアカデミーでも教わった事はないし、誰からも聞いたことがない。


 この時代、冒険者の数は多い。ハーピィと出会っている冒険者の数だって一定数は必ず居るはずだし、生態系も明らかになっている。魔物図鑑だってあるんだ。なんで『同じ言葉を使う』っていう情報が、冒険者養成所であるはずのアカデミーにないんだ?


 ……なんか、おかしいぜ。


 ようやく血が止まったので、俺は服を着て立ち上がった。【ヒール】じゃ、この傷を完全に治すには時間がかかりすぎる。まあ、あとは時間がある時にゆっくりやろう。


 瞬間、ひどい立ち眩みがした……急に大怪我をして、魔力の大部分を使って修復した。いい加減、疲労も限界だ。


「あー、やべえもう駄目だ限界だ!! とにかく今日は、宿取って休もうぜ。ダンジョンも潜ったし……あ」


 そこまで言って、俺は思い出した。


 今日、一銭も稼いでない……!!


「主よ、どうした?」


「三人で宿に泊まる金は……ない……」


 なんてことだ。いや、仕方なかった。あんなに強い魔物と初戦から当たるなんて思っていなかった。逃げて正解だったし、そうしなければ俺が死んでいた。だけど。


 リザードマンの剣くらい、奪って逃げてくるべきだったっ……!! チャンスあったろ!!


 あの尻尾さえ気にかけていれば、一度は剣を落としたのに……!!


「ふおぉぉぉぉぉ!!」


「ひっ!?」


 急に叫んだ俺に、ハーピィの娘が軽い悲鳴を上げた。


「もう駄目だああ終わったあぁぁ……第一明日の飯代もねーよ……この人数でどうやって生きてきゃ良いんだ……ああぁぁぁ終わりだあぁぁ毛布ブラザーズだあぁぁ」


「毛布……? あ、ああああの、私は助けて貰った身なので、ここでお別れでも構いませんが」


 娘の申し出に、俺はすぐさま左手を出して制止をかけた。


「いや待て駄目だ。乗り掛かった船だ。第一お前、その足でどうやって自分の家まで帰るんだ。治るまで動けないのに、こんな所で放置したら冒険者に捕まって殺されるぞ。それでもいいのか?」


「あぅ……」


「ここで放置するのはリザードマンの前で見捨てるのと一緒だ。何のために大怪我して助けたと思ってんだ。お前がわりと可愛かったからだぞ。せめて身体でもいいから報酬を支払え」


 しまった、要らん事まで言ってしまった。つい本音が。


「大怪我していても、そういう事は言えるのだな……」


 メノアが苦笑して俺を見ていた。


「えっ、ああっ、すいません、人間のお金とかはちょっと、持ってなくて」


 今更だがこのハーピィ、ウエーブのかかった金髪に緑色の瞳で、真っ白な体毛と羽を持っている。よく見ると純白の羽が淡く虹色の光を放っているのが、なんとも神秘的で美しい。デコに付けているアクセサリーは宝石か何かだろうか?


 肘から先と、膝から先が鳥で、あとは人間。白い胸当てと腰巻だけで済ませる簡素な服も、非常によろしい。スタイルもいい。全身からおっとり系のオーラが出ている。


「爪とかどうですかね? もしかして価値あったりとか……」


 これが人間だったら、わりと言ってる事は変態である。本人、気付いていないが。


 あれっ? いや待て、ちょっと待てだが待て。今の娘の提案、これは。


「爪は駄目だが……羽根はアリだ……!!」



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