第6話 霧の中の痴女ぷんっ
「ひとまずここに入れば、メノアが記憶を失った場所に行けるってことか」
そう言うと、俺の隣でメノアは頷いた。
「元いた場所まで戻れるんなら、ひとまず村だか街だか知らないけど、住処までは帰れそうだよな」
「……そ、そうか? 記憶がないから、よく分からないのだが」
不安そうなメノアに、俺はメノアの肩を軽く叩いて笑みを向けた。
「大丈夫だって。記憶があろうがなかろうが、まさかダンジョンに一人で住んでいたって事はないだろうし。近くに村か街か、何かがあって、そこに住んでいたと考えるべきだろ?」
「……まあ、それはそうだと思うが」
あまり腑に落ちない何かがあるらしい。そうは言っても、テレポートって事はないだろう。
普通に考えればダンジョンに入る用事があって、メノアはこれから入るダンジョンに単身、向かった。そして、そこで何か事故のようなものがあって、記憶を失った。
それが一番自然だ。まず最初に考えなければならないルート。
うんと背伸びをして、俺は軽く準備運動をした。
「よーし。入ろう」
「う、うむ」
「ここから先は何が起こるか分からない。俺は初めてのダンジョンだし、メノアも装備を整えて挑むのは初めてだ。覚悟してかかろうぜ」
メノアが喉を鳴らす。一体どんなダンジョンが待ち受けているのか分からない。ゲートを潜った直後、いきなり襲われたらどうする。そんな事も、少し頭をよぎる。
俺は、意を決してゲートに触れた。
触れた……感触はない。当たり前か。そのままゆっくりと、ゲートの中を進む。
おお。視界がぐにゃりと歪むような、奇妙な感覚があった。そのまま、今自分が居る場所が曖昧になっていく。
さーて。ゲートの向こうは洞窟か、はたまた火山なんかだったりするのか。
完全にゲートを潜り終える頃には、既に俺は別の場所に到達していた。
辺り一面に、新たなダンジョンが広がる。
「おっしゃー、いざ、ダンジョン巡り……」
初めに見えたのは、木。
木。
ここは!!
森だ!!
「森かよ!!」
思わず、拍子抜けしてがっくり来てしまった。
森かよ……。初めてのゲート。視界が変わって、全く別の場所に立っているというのが面白いと思っていたのに。移動先も結局森である。
なんだよ。水の中でも呼吸ができるとか、空の上を歩くとか、そういう少し奇妙なダンジョンを求めていたのに。
「主よ、しかしここは……随分と霧が濃いな」
「ただ霧が濃いだけじゃさあ……面白くねーよ……」
「……そういうものか」
隣でメノアが首を傾げている。どうやらこいつには、新たな境地に足を踏み入れるワクワクというものはあまり無いらしい。
しかし、確かにメノアの言う通り、霧はかなり濃いな。数メートル先がもう何も見えない。……これは、慎重に歩かないと元の場所に戻って来るのは難しいぞ。
俺はリュックから短剣を取り出した。
「木に印を付けながら進もう。そうすりゃ、最悪ここには戻って来られるだろ」
そう言いながら、近くの木に傷を付けた。
「え、このまま進むのか!? 霧が晴れるのを待った方が……」
「どうやら、明日になったら霧が晴れるってものでもなさそうだぜ」
俺は頭上を指差した。示されるままに、メノアが上を向く。
「へ? 何が……ああ、なるほど」
どうやら、気付いたようだ。
周囲に立っている背の高い木々は、一見すると葉が付いていない。そこで頭上を見ると、沢山の葉が太陽の光を遮っているのが見える。かなり高い位置に葉をつける植物のようだ。
よく見ると、葉の裏側から煙が噴射されている。この濃い霧は天候によるものではなく、この木々によるものだ。道理でセントラル東の森に比べると、随分と周囲も暗い。
それでも光は入って来ている。葉の隙間から光が漏れているのだろう。
「このダンジョン、ずっと立っていて大丈夫なものだろうか」
真っ当な意見がメノアから出た。自然現象の霧とは訳が違うからな。
まあ、大丈夫とも言い切れないが……その場で動けなくなるほどの猛毒なら、もう動けなくなっている。
「さっきから思ってたんだけど、まるで初見みたいな反応じゃないか?」
「はっは……実は私も、この場所はほとんど狩人から逃げていただけだったのでな。詳しくは知らないのだ」
メノアは苦笑していた。狩人ってなんだ?
「まあ、異変を感じたらすぐに戻ろうぜ。俺は今の所、特に何もないけど」
「私も大丈夫だ」
次は、ガスマスクが必要だな。こういう事もあるのか。
メノアが俺の付けた木の傷を見ながら、むう、と可愛らしく唸った。
「だが、この霧だぞ。木に印を付けただけでは分からなくなりそうなものだが」
俺は静かに瞑想し、自身の目に魔力を集中させた。
「それは大丈夫だ。【イーグルアイ】」
そのスキルの名前を呼び、俺は目を開ける。
すう、と霧が晴れていく。いや、正確には霧が晴れた訳ではなく、透視に似た感覚で視力が上がっただけなのだが。このスキルの熟達者になると、本当に透視もできるようになると聞く。実際、そうなのだろう。
街中のあらゆる場所が透視できるようになると考えると、極める価値はかなりあるなと思う。主に女風呂的な意味で。
ちなみに、服だけ透かすというのはかなり難しい上に最近の女性服には透視しにくい素材が使われていたりで、あんまり現実的ではない。
「眼球に魔力……? それは?」
メノアが尋ねるので、俺は少し得意気に答えた。
「これは、弓士の使う【イーグルアイ】ってスキルだ。遠方がよく見えるようになるスキルなんだけど、夜とか見晴らしの悪い場所とか、そういう悪環境下でも弓を放てるようになるっていうのが真の目的でさ。つまり、こういう時には有効なんだよ」
「……ふむ。要は、視力を上げるスキルか」
「この俺様のスキルのお陰で、霧の中でも傷の付いた木を見分けられるってえ寸法よ」
俺が偉そうにウンチクを垂れていると、メノアは深呼吸をして、人差し指を可愛く立てて唱えた。
「ワノハ・トゥエル・リオラ。又の名を、【イーグルアイ】」
メノアの瞳に、魔力が集まる。
えー。
えー…………。
「……初めて見たスキルじゃなかったの?」
「ああ、だが簡単そうだったのでな。なるほど、便利な魔法だ」
メノアは高揚感に満ちた様子で、霧の中を見回していた。
なんとなく、分かる。この娘、多分俺よりスキルの効果が高く発現していて、俺より周囲が見えている。
魔物だから? 魔物だからなのか? 人間が使うスキルの一つや二つ、ひと目で簡単に真似できて当然なのか?
ヘコむわ……。
俺がこのスキルを使えるようになるまでに、どれだけ掛かったか。
「おお!! こんな所に」
メノアは少し走って、霧の中から何かを拾い上げた。あれは……本?
「なんだ? その本」
「ここでトカゲの種族に襲われた時、逃げている中で落としてしまってな。どこで落としたかと思ったが、ここにあった」
ああ、狩人って魔物のことだったのか。
異様に綺麗な本だ。誰かが読んだとも思えないほど綺麗で、こんなものが道端に落ちていたとはとても思えない。
そうか。これ、あれだ。ただの本じゃなくて、セージが自分の魔法を増幅させるために使う、武器の本。アカデミーで習ったことがあるぞ、熟練された魔法使いが賢者になると、杖よりも本の方が魔法の効率が良くなるって。それじゃあなかろうか。
「記憶を失ってからの、唯一の持ち物なんだ。見付かって良かった」
「まあ、服すら無かったしな」
「本当に、記憶を失う前の私は一体何をしていたんだ……」
メノアは恥ずかしそうに苦笑した。まったくだ。普通は本より先に服だろうに。
いや、待てよ……? 全裸で本。そうならなければいけない理由があった……まさか……!!
「まさかお前、誰かに絵を描いてもらっていたんじゃないか? タイトルは、そう……『霧の中の痴女』ぷんっ」
瞬間、本の角で殴られた。
「ちょ、待っ……角は痛い……角は……」
「私がそんなに露出狂に見えるのか!? 私が!!」
「いや、今のはむしろ画家のニーズに応える優しさあふれるモデルだったという意味でやめてもう話さないからやめて」
真っ赤になって本をブンブン振る姿を見ていると、まあ何かよっぽどの事情があったんだろうと思う。
しかし、人のスキルを瞬時に真似した実力は、まるで本物のセージだ。
俺の中でメノアの存在が、『元・全裸のセージ』に昇格した。
言っておくか、降格ではない。昇格である。
◆
木に印を付けながら、濃霧の中を歩いていく。
これといって魔物にも遭遇しなければ、お宝もない。いや、霧で見えないだけか? もっとよく目を凝らして歩かないと。
魔物には出会いたくないが、宿には泊まりたいのだ。美味しい晩飯も食べたい。その二つは、今の財布の中身だけでは達成し得ないのである。
「そういえば、武器屋で沢山の武器を詰めたようだが、主は何使いなんだ?」
なんか、数時間前にも下乳の破壊力がすごい奴から似たような事を聞かれた気がする。
別に嘘をついても仕方がないので、俺は本音を話す事にした。
「……んーまあ、メインで使う予定なのは今の所剣かな」
「剣? 剣士なのに、弓士の魔法が使えるのか?」
こう何度も木の皮を削っていると、段々無心になってくる。俺は短剣で木にマーキングしながら、周囲の物音に注意した。
「アカデミー時代は、別に何を使うって決めていた訳じゃないからさ。まあ今でもはっきり決まっている訳じゃないけど――……とりあえず、何でも覚えてみようってだけだよ」
「ふむ……自ずと得意分野が見えてくるということか」
別にそこまで考えていた訳じゃない。目に見えるものから習得していかないと、俺の場合遅れを取る事が分かり切っていたというだけだ。
まあそのお陰でこうして、この霧の中を歩く事ができているという事もあるけれど。
不意にメノアが立ち止まり、周囲を警戒し始めた。
「……なあ、主よ。何か聞こえないか?」
俺も立ち止まり、耳を澄ました。
「メノアのハァ、ハァっていう艶っぽい呼吸音なら聞こえるけど」
「そういう具体的な音は求めてない!! 艶っぽいってなんだ!!」
本で殴られた。……メノアも段々、俺の扱いに慣れて来たな。ツッコミにも磨きが掛かってきた。
「でも別に、音なんてさ――……」
……ん?
確かに、聞こえる。何の音だ、これ? 足音じゃない……木の葉の擦れる音とも、少しだけ違いそうだ。
どちらかと言うと、獣が木を引っ掻く音みたいな。いや、それよりは、木を斬る音のような……木を斬る音?
「メノアさあ、ついさっき、この森でトカゲの種族に襲われたって言ってたっけ?」
俺が問い掛けると、メノアは頷いた。
「ああ、爬虫類型ではなく、人型だった」
「リザードマンか。剣、持ってた?」
「片手剣と盾。動物の革を使ったような、簡素な鎧を身に着けていたと、思う」
俺は小走りで、音のする方へと急いだ。
剣を持ったリザードマン。この森が、奴等の住処または狩場だったとしたなら――……剣を振る音が聞こえてくるということは、そいつが何かと戦っているという事だ。
俺達にとっても獲物か、それとも。
「……隠れよう!!」
咄嗟に、木の陰に滑り込む。一瞬だけど、魔物の影が見えた。森は走るとどうしても木の葉を踏んだりして音が出るから、距離に気を使う。相手がリザードマンだとしたら、そう耳が良い魔物ではないと思うけど、どうだろう。
屈んで姿勢を低くして、俺はそっと、木の陰から向こう側の様子を探った。
戦っているのは、人間? と、緑色の身体に、鎧と剣。あれはやはり、リザードマンだろう。
「人が戦っているのか!? 助けないと」
「いや、ちょっと待てって」
人じゃない。人のようだけど、襲われている方も人じゃないぞ。
身体こそ人間のようだけど、肩から先が翼になっている。足も、足首から先が鉤爪みたいな形で、明らかに人間のそれではない。アカデミーの本に写真が載っていた。あれは、ハーピィだ。
金色の綺麗なロングヘアーに、エメラルドグリーンの宝石のような瞳。ひどく怯えて、真っ青になっている。
太腿から派手に血が出ている。筋肉をやられて歩けないのか。
「あの娘、そう遠くないうちに死ぬぞ。まずい……!!」
「戦える相手かどうかって話があるだろ。メノア、お前攻撃魔法は使えんのか?」
「い、いや。攻撃魔法だけは、どうも使えないみたいなんだ。魔法の存在自体は知っているが」
「回復魔法は?」
「専門ではない。癒やしの奇跡は別名で白魔法と呼ばれていて、ルーツが違うんだ。私は黒魔法の方しか分からない」
白、黒……なんか、どっかで聞いたことあるな。セントラル・シティじゃそんな区別、してなかったと思うけど。
しかし、攻撃魔法と回復魔法が使えないって……何ができるんだよ。あれだけ器用に俺の魔法を真似して見せたわりに、バランスが悪い。
「なんで勇み足で助けに行こうとしてんだよ……」
「す、すまない。ちょっと気が動転してしまって……主よ、なんとかならないか?」
「そりゃ、俺だって助けたいけど……」
まあいいや。そもそも、メノアを戦わせる気は無かった。魔法が使える事すら確認していなかったし、装備も無かったし。戦闘は俺が引き受けるべきだと、何となく思っていた。
それは、冒険者として。
しかし、相手が冒険者の間で強いと評判の、人型の魔物だ。
リザードマンだって、爬虫類とはいえ人型には変わりない。人間以上の運動能力と、魔力の高さを併せ持っている可能性が高い。
俺にやれるのか? ……仮に倒したとして、今度はハーピィの方から怯えて攻撃される可能性だって。
リザードマンがハーピィに向かって、剣を振り被る。瞬間、ハーピィが叫んだ。
「だ、誰か……!! 誰か!!」
俺は額に上げていたゴーグルを下げ、リュックから弓を引き抜いた。
ええい……!! ままよ!!
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