第5話 綺麗なものには目を奪われるものだろ
チークは俺の手を引いて、店の奥へと入って行った。店の裏側に行くと、廊下の先に棚が並んで設置されており、そこには道具や素材などが沢山積まれている。ここは倉庫だろうか。
すげえ。おそらく鍛冶に使うであろう工具に始まり、魔力系のアイテムと思わしきものに、食料や回復アイテムなんかも置いてある。この店は個人店だろうから、何でも一つの場所に収納してあるんだな。
チークはそんな部屋の隅に脚立を置き、中でも一番奥の棚、それも一番隅っこの一番上に置いてある木箱に手を伸ばした。
「えっと……確かここだったと思うんだけど……」
さて、決して俺はチビではない訳だが――チークの身長は俺とそう大して変わらない訳で、見上げる機会ってあまり無いのだが。こうして見ると、オーバーオールの陰から見える下乳の主張、半端ない。
「そういえば、ラッツは何を使うの?」
この、ちょっと大き過ぎるかなあーと感じさせないギリギリの巨乳ライン。両手を上げて木箱を引っ張る動きで、まるで新鮮な果実のようにフレッシュに揺れる、二つのマイメロディー。
進化して増長するフェロモン。全身で愛を表現する甘美なカーブアートと人間らしさの境界線。
「ねえ。剣? 弓? メインで使おうと思ってる武器、教えてよ」
「下乳」
「シタチチ? 何それ、どんな武器?」
脚立の上から見下ろしたチークが、見上げている俺の視線を捉えた。
その、俺が凝視している一点に気が付く。
「戦ってみろバカ!!」
上から顔を踏まれた。
直立したまま足から地面にめり込みかねない圧力。全身で怒りを表現するゴリラなハンマーアートと人間らしさの境界線。
もはや自分でも何を考えているのか分からなくなってきた。
「あんたってほんともう、どうしてそうなの!?」
「仕方ない。綺麗なものには目を奪われるものだろ」
「きっ……やめてよ太ってるの気にしてるんだから!!」
「はあ? 太ってる? 誰が?」
チークは顔を真っ赤にして、自身の身体を抱くように両手で抱えた。
俺は喉を鳴らして、チークを指差した。
「……それって単に、おっぱ」
「乳から!! 離れろ!!」
あーあー。そんなに踏むなよ。地面に穴が開くぞ。
お。チークの頭上で、先程引っ張っていた木箱がグラグラ揺れている。
「チーク。箱が落ちそうだぞ」
「へっ!? きゃあっ!!」
おお。
箱と一緒に、下乳……チークが落ちて来る。下チチークが。
当然支えられるはずもなく、そのまま俺も押し潰されて地面に転倒した。
木箱がひっくり返り、その中に入っていた武器が容赦なく周囲にばら撒かれる。
チークは慌てて手を突こうとして体制を変えたが、結果として俺の胸に飛び込んでくる形になっていた。
ドス、と嫌な音がした。
「あたた……」
俺の胸にチークが飛び込んで来たのではなかった。俺に、チークの胸が飛び込んで来たのだった。
窒息間際の頭で、ふと思う。先程のドス、という音は、仰向けに転倒した俺の右耳の隣に、短剣が落下した音だったようだ。
……耳、無くならなくて良かった。本当に。
慌ててチークが手をついて起き上がったので、ようやく俺は呼吸ができるようになった。
「ご、ごめん。そんなに引っ張ってると思ってなかった」
「いや、役得だ。気にするな」
チークは俺に跨ったまま、恥ずかしそうに胸を抱いた。
周囲に散らばった武器を見て、俺は言った。
「ところで、この武器は」
「そんなに、胸が好きなの?」
俺が口を開いたのとチークが喋ったのは全く同時だったので、うまく聞き取れなかった。
「なんだ?」
「なんでもないわよ!!」
今度は何故怒っているのだろうか。よくわからん奴である。
俺も起き上がって、周囲にばら撒かれた武器を拾い上げた。
しかし、この散らばった武器は何だろうか。先程までのチークの話を聞いていると、駄目なものは素材に戻して打ち直すらしいし、良いものは商品として出されるから、こうして武器の形を保ったまま倉庫に眠るものというのは、基本的には無いはずだ。
まあ、希少価値があって店に置いておきたいとか、そういう事はあるかもしれないが。
それにしちゃ、あまり出来が良いとは言えなさそうだ。武器としての体裁は保っているが、なんというかこう、素人目の俺から見てもはっきり分かるくらい、向こうに置いてあった商品達に比べると輝きがない。
「本当に困ってるみたいだったから。私に出せるのは、これくらいよ」
「……これは?」
チークは少し恥ずかしそうにして、言った。
「半人前時代の、私の作った武器。記念にとってあるの」
……ほお。これを、チークが。
確かに、一つ一つは拙く見えるし、ぎこちない。……でも、時間をかけてあるのは、なんとなく俺にも分かる。
「これなら貸してあげても良いわよ。い、言っとくけど、切れ味とかは期待しないでよねっ。今でさえギリギリ商品になるかなって程度の腕なのに、もうこれ二年前かそこらのやつだからっ」
チークはこう言うけど、持ち手の部分はともかく、刃については申し分無さそうだ。
「……いいのか?」
「装備を買うお金ができたら、ちゃんと良い装備買って、これは返しに来るのよ。半端な武器渡したなんてことが師匠に知れたら、私もここ、クビになっちゃうんだから。なるべく早く。約束して」
まあ、クビになるかどうかは俺には分からないが、確かに少なくとも、大目玉は喰らいそうだよな。
俺はふと笑って、チークに言った。
「……すまねえ。助かるよ、ありがとう」
チークは何故か少しバツが悪そうな顔をしていたが、立ち上がって尻を叩くと、逆さまになった木箱を拾い上げた。
「それで、何を使うのって聞いてるじゃない。一応、短剣、長剣、弓、杖、ナックルなんかもあるけど」
「ああ、全部借りて行こうかな」
「全部!?」
俺は俺の持つ全ての荷物が詰まっている大きなリュックを降ろして、開いた。何しろ荷物なんて殆ど無いもので、大きい割にリュックの中はガラ空きだ。
そもそもリュックなんてアカデミーの時は使わなかった訳で、今の所役に立つ素振りはまるでない。が、こうなれば話は別だ。
「重いだけでしょそんなの。絞りなさいよ……」
「いやいや。どこでどんな敵と遭遇する事になるか分からないだろー。遠くで仕留められるなら弓を使うことになるかもしれないし、近接戦闘なら剣を使うかもしれないじゃないか」
「じゃあ、弓と短剣だけで良いでしょ」
「馬鹿お前、丸太を斬るときに短剣を使うのか?」
「私の長剣を何に使うつもりよ!!」
チークの短剣、長剣、杖、弓にナックル。矢は有り合わせの十本しか無かったけれど、ひとまずはこれで良い。
全てリュックに入れても、まだ余裕がありそうだ。すげえリュックだ。俺がまだ物心つく前、いつの頃からか持っているんだけど、外見と中身の容量が全然違う、言わば魔力道具なのだ。
決してホームレスになりたいから持っている訳ではない。
チークは立ち上がると、俺の胸を人差し指で突いた。
「いい!? 分かってると思うけど!! ちゃんと返すのよ!? 一応思い入れあるんだから!! そりゃ、魔物と戦うんだから刃こぼれくらい覚悟するけど!! 極力壊さないでよ!? わかった!?」
「あ、ああ……わかった、わかったよ」
魔物と戦うことが想定されるのに。壊すなとは。
前途多難である。
◆
表に出ると、メノアは店の外壁にもたれ掛かって、ぼーっと通りを眺めていた。
服がちゃんとすると、ほんとこいつ可愛いな。耳当て無い方が可愛いとさえ思うぞ。
単に見た目の話をするなら、俺は尖った長い耳って結構好きなんだけどな……。世の中とは非情である。
「おお、主よ。もう終わったのか?」
「ああ、ばっちり。チーク様様だぜ」
「そうか、それは良かった……」
メノアは俺の様子を見ると、若干言葉を失っているようだった。
「あー、主よ。なんというか、その……」
「え?」
「急に、あれだ。行商人のようになったな」
目を逸らして、ぎこちない笑みを浮かべる。ふと俺は、今までメノアが見ていた周囲を同じように眺めた。
おお。建物と建物の間にある小さな影を利用して、沢山のホームレスが布団を広げて、思い思いの生活をしている。皆一様に大きなリュックを片隅に置いて。
大きなリュックを。
「んー。つまり俺が冒険者ではなく、ホームレスのように見えると言いたいのか?」
俺はじっとりと、メノアに迫る。メノアは必死で目を逸らしていた。
笑顔に焦りが見えるぞ、メノアよ。
「いやっ!! いやいやいや、いやいや決して、そういうわけでは」
「思ったよな今。若干汚いリュックが膨れたら、急にホームレスっぽく見えてきたなって。思ったよな? な?」
「思ってないっ!! オモテナイゾ。ちゃんと武器は買ったのかなって思ったダケダゾ」
思ってるじゃねえか!! いや、武器は買ってないけど!!
くそ……こいつ意外に鋭いじゃねえか。偶然なんだろうけど。ちなみに今なら家無しでホームレス街道まっしぐらだぜ。
このまま冒険者として稼ぐことができなけりゃあな!!
「武器は、借りた」
「えっ……やはり、金が……」
メノアは急に、俺の事をかわいそうな犬でも見るかのような目で見る。
くそうこの娘、言わせておけば。
「言っとくけど、お前のせいだからな!! 無一文はおろか、毛布一枚全裸で通りを歩いていやがって!! お前のためにいくらつぎ込んだと思ってんだ!!」
「わっ!! ちょっ!! 全裸は不可抗力!! 不可抗力だ!! そんな事大きい声で言うな!!」
「良いか、俺が武器を買えなくなったのはお前の身の回りを整えたからだ!! 服と飯代だけで俺の貯金全部飛んでったんだからな!?」
「分かっている!! 感謝している!! ……だ、だが、そんな状況で、どうやって冒険者をやるつもりだったのだ? それでは宿も数日しか取れないのでは」
「そういう正論はいらねーんだよ!!」
決して金の計算ができていなかったからではない。決して。
俺はワキワキと両手で怪しい動きをしながら、メノアに迫った。メノアは真っ青な顔で怯えて、後退る。
「俺がホームレスの物乞いとして生きる時が来たら、絶対にお前もその道に引きずり込んでやるからな……ぐへへ……」
「なっ……やっ、やめろっ……!! 主には感謝しているが、そこまで一緒に行くとは……!!」
「ああん? 誰がお前の服を買ってやったと思ってるんだ? 俺はその気になれば全裸のお前にただ首輪を付けて歩かせることだってできたんだ、だがしかし俺はそれをしなかった!! それは俺の厚意だ!!」
「むしろそんな事をする可能性が欠片でもあった事に驚きだよ!! 変態か!?」
「なんなら俺の金が無くなった時にはお前の身包みを剥いで再び全裸として野に放ってやる!! そして全裸で街を歩いて全裸するがいい!!」
「やめろ全裸全裸言うな!! もう何言ってるかわからんぞ!!」
「なんなら意味もなく俺も全裸になって踊ってやるよォ――――!!」
瞬間、俺の頭が地面にめり込んだ。
店から出てきたチークにハンマーで殴られたのだと分かった時には、既に俺は熱烈なキスをしていた。大地と。
「さっさと!! 街から!! 出ろ!!」
ごもっとも。
◆
木漏れ日が体に当たって、わずかに体温を上げるのが心地いい。
メノアの導きに従って、俺は言われるままにセントラル・シティ東にある森を歩いた。既に数多の冒険者が散々踏破した所だから、こんな場所に未開拓ダンジョンなんかあるものかとも思ったが……実際に来てみると、その場所の意外さに納得もした。
ゲートはその森の中、セントラル・シティから最も離れた場所にあった。しかも、地面が盛り上がって洞窟になっている中に入り、奥まで歩かなければ見つからない。
外から見ても明らかに狭い洞窟だと分かるから、ほとんどの冒険者はこの中になんか、わざわざ入ったりはしないだろう。そもそも上級の冒険者はこの森を狩りのターゲットにはしないし、街から街へ移動するに当たっても、徒歩十五分じゃ休憩場所にも成り得ない。
最近は新人冒険者も東より西の方が魔物が弱いって噂になっているから、実際にここまで来る時も冒険者とは一人も出会さなかった。
本当につい最近できたのなら、まだ発見されていないのも有り得る話かもしれない。
まあ、人口密度からして時間の問題かなとは思うんだけど。
「未開拓。本当に未開拓ダンジョンなんだな」
「あ、ああ。そういうことらしいな」
俺の言葉に、メノアが神妙な顔をして頷く。冒険者として、未開拓ダンジョンっていうのがどういう価値を持つのか、まだ分かっていないのだろう。
魔物も様々なら、どんなお宝が眠っているのかも様々だ。鬼が出るか、蛇が出るか。たとえ強い魔物が出ても、逃げ回りながらでも貴重なアイテムの一つや二つ、絶対に見付け出してやる。
やべえ。オラ、ワクワクしてきたぞ。
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