第2話 ハニートラップってそういう意味じゃねーから

 確かに、金はない。だが、何泊かホテルに泊まる程度の金はある。


 俺とて完全に無策でバイト代を使いまくっていた訳ではない。手持ちの資金は一万セルくらいはあるし、バンクに行けば三万セルくらいは貯金がある。


 アカデミーの寮が今日で退出ってのがきついな……。せめて住む場所さえあれば、全然違うんだけどな。あそこは家具も全部揃っていたから、住むための荷物も何もない。


 そう思いながら、俺はセントラル・シティの近場にあるホテルの前に立って、金額を確認した。


 えっと。一泊、八千セル。


 ……あれ?


 これ俺、詰んでない? 大丈夫?


 ホテル代払ったら手持ちの金が尽きる。アカデミーに居た時は、敷地の外に出る機会ってバイトくらいしか無かったから、金銭感覚が正直いまいちよくわからん。そして、そのバイト代のほとんどはアカデミーの授業料で消えた。


 今になって思えば、アカデミーの授業料ってかなり高いんだな。授業料と寮代・飯代がセットだったから、まあ妥当なのか。


 こうして見ると、リゾートビーチなんか行ってる場合じゃなかったな、マジで……。


 ……。


 と、とりあえず、金を稼ごう。状況を反芻してる場合じゃない。今の俺にはそれしかない。


 このままじゃ、住むにも食うにも困ってしまう。服だってリュックの中の有り合わせしかない。武器が無いから冒険もできない。


 お? 『冒険できない冒険者』って、ちょっと斬新じゃね?


 黙れ俺。真面目に考えろ。


 冒険者なら、ダンジョンに潜って売れるアイテムさえ探して来られれば、バイトの時よりは稼げるはずだ。


 そのためには、まず武器か……。それか、冒険者依頼所。俺にこなせる依頼があるかどうか分からないけど、探してみない事には始まらないな。


 犬の世話とかあるかもしれないし。


 もうそれ、バイトと大差ないな。


「あ……あの。そこの、大きな眼鏡をおでこに付けてる人」


 その時、不意に後ろから声を掛けられた。


「アー、悪いがこれは眼鏡じゃない、ゴーグルだ。大きな違いだからよく覚えておいた方がいい、ゴーグルってのは――」


 思わずツッコミを入れて振り返ると、そこには人? ……がいた。


「大きな眼鏡のことだ」


「一ミリも訂正されなかったが!?」


 ちょっと呆けてしまって、思わず適当な事を言ってしまった。


 だってそいつは、明らかに変な格好だったからだ。


 全身に毛布を纏っている。すっぽり頭まで隠して、顔が影になってしまってよく見えない。やたら汚れている毛布。その毛布から若干見えるのは、ワインみたいに鮮やかな紅い髪の毛。なお、下は素足である。




 ……追い剥ぎにでも遭ったか?




 俺は、月並みな感想を得た。




 なんだこいつは。見た目、幽霊にも見えるが。まあ人里に住むからして、人であろう事は確か。


 物乞いだと考えるのが無難だろうか。このセントラル・シティで見ず知らずの他人に声を掛ける薄汚れた毛布なんて、金目的くらいしか思い付かないし。


「すまないが……ひとつ、頼みがあるのだが」


「おっと、悪いがゴーグルと眼鏡を間違えるような奴の頼みを聞く訳にはいかねえな」


「たった今、主も眼鏡扱いしただろう!?」


 主、て。随分と古臭い言葉遣いだ。鈴の鳴るような声でそんな事を言われると、若干反応に困る。


 鈴の鳴るような? ……そうか、姿が見えないからよく分からなかったけど、声から察するに中身は女の子のようだ。


 うん。まあちょっとかかわると面倒くさそうだし、ここはさり気なくスルーして自分の事を考えるべきだろう。俺も決して楽な状況ではないしな。


「それで、何があったんだ」


「おお、聞いてくれるのか?」


 おい黙れ俺。


 いや。だって、目の前にいきなり毛布で全身隠した女の子が出てきたら気になるじゃん。しかも言葉遣い変だし。


 今回ばかりは、自分の好奇心を呪う。


 ……ま、まあ、話を聞くくらいは良いだろう。


「実は金が必要で、冒険者依頼所とやらに行きたいのだが……道を、教えてはくれないだろうか」


「依頼所に?」


 こんな格好で冒険者依頼所なんかに行って、一体何をすると言うんだろうか。依頼を出す? いや、依頼を出すには金がかかるぞ。当たり前だけど。依頼を受けるには顔が必要だ。


 毛布お化けはどこか怯えたような様子だった。いや、顔なんか見えないからよく分からないんだけど。


「……そりゃあ、俺がこれから行く場所だけども」


「な、何っ!? 本当か!? もし良かったら、ついて行っても――」


「いや、いや!! 別について来るのは構わないけどさ、あんたそんな格好じゃあ……」


 服を掴まれて、咄嗟に俺は身を引いてしまった。


 今まで抑えていた毛布が、はらりと翻る。フードのように頭部を覆っていた布が風で捲れ、毛布お化けの顔が明らかになる――……。


 その時、俺は見てしまった。


 大きな声を出してしまうのを咄嗟に左手で覆って堪え、同時に勢い良く、毛布を彼女の頭に被せた。


 ぐい、と毛布を上から押さえつける。


「い、痛い……」


 赤髪の娘が何か言っているが、俺は構わず、毛布を上から再度、しっかりと押さえた。


 ……今、確かに。


 アカデミーで、教授が言っていた言葉を思い出す。


『いいかー、人型の魔物も居る。その上で、最も簡単に人間と人型の魔物を区別する方法……それは、耳だ』


 長かった、耳が。


『擬態もあるから、耳が短ければ大丈夫、という訳ではない。だが、長い場合は注意するべきだ。長い耳は――』


 長い耳は、魔力が高い証拠。


 それにしても、なんで人型の魔物がこんな所に? ……セントラル・シティは、人間の領土の中でも中心に位置する街だ。故に、強い魔物が最も少ない街。人型の魔物はすべからく強い魔物に位置するから、普通こんな所に居たら目立ってしまって、逆に危険だ。だから普通は現れない。


 ……誰にも、見られなかったよな?


 恐る恐る、辺りを確認した。


 幸いにも、俺たちの事を気にしている人間はいないようだ。ここが人通り少なくて良かった。


「い、痛いぞ、離してくれ。一体どうしたんだ」


 何か、企んでいるとも思えない。……まさか、自分が人間の街じゃ真っ先に怯えられる存在だって事、知らないのか?


 いや。案外、これはこいつの作戦で、実は腹黒い奴だっていう可能性も……あるか。


 どうする? 表に出て戦うか。戦うにしても武器がない……そもそも、どうして依頼所なんかに行こうと思ったんだ。


「お前は、何者だ?」


 つい、声が低くなってしまう。耳元で静かに、俺は問いかけた。


 その声で、俺が警戒していると分かったのだろう。魔物の娘はぴくりと震えて、動きを止めた。


「ハーピィか? マーメイドじゃないよな……もしくはラミアかアラクネか? ……何が目的だ」


 娘が怯えている。


 どう対応して良いのか、判断に困る。俺がこいつを見逃したせいで、セントラル・シティが脅威に晒されてしまうかもしれない。かといって、この場で殺すのも騒ぎになる。


 どうする――……。


 しゃくり上げるような嗚咽と共に、娘が言った。


「わ、私は、人間ではないのか?」


 ……なに?


 思わず、頭を押さえる力が緩んだ。


「ま、前にも顔を見られた時に、襲われた。だからこうして隠している……私は、なんなのだ?」


 ……えっと。


 嘘をついているようにも思えないし……しかし、何を言っているんだ? なんなのだ、とか言われても。なんなんだよ。こっちが聞きたいわ。


 娘はひどく怯えて、声がかすれていた。さすがに、これが演技とは思えない。


「えっと、迷子なのか? どこから来たんだ」


「わ、わからない。あてもなく歩いて、気が付いたらここに……な、何が何かも、私が誰なのかも、わからんのだ」


 記憶喪失、か?


 脳裏に浮かんだキーワードはそんな所だったが、それ以外に可能性も見い出せそうにない。娘は震えながら俺の服を掴む。その瞬間、毛布の隙間から光が入って、改めて娘の顔がよく見えた。


 翡翠のような緑色の瞳に、燃えるような髪の毛。目も髪も、人間ではあまり見ない色だ。主張が激しい……それと相反するかのような、この怯えよう。


「た、頼む。殺すのだけは……」


 ……どうしろってんだ。


 俺は、ため息をついた。押さえつけていた手を離すと、腕を組んだ。


 少なくとも、こいつに殺されるという事はなさそうだ。……俺が甘いだけだろうか? でも、一人でこんな場所に乗り込んできて、メリットもないしなあ。


 まさか複数……いや。そんなに目立つ行動をすれば、治安保護隊が絶対に気付く。一人だから紛れ込んで来られるんだ。


「どうして、冒険者依頼所に行こうと思ったんだ?」


「えと……そこに行けば金が入ると、いかつい男が話しているのを耳にした」


 金か。ありそうな理由だ。この状態じゃあ、飯を食うにも困るだろうし。


「言っとくけど、冒険者登録をしないと依頼は貰えないし、金も貰えないぞ」


「な、なにっ……!? そうなのか!? それは、誰でもできるものか!?」


「誰でもできるけど、たぶんあんたの今の格好じゃさすがに無理」


「え……誰でもできるのに、私は無理なのか……? ひどい矛盾が……」


「いや、よく考えてもみろって。じゃあ逆に聞くけどさ、毛布被って顔も見せない奴が、『冒険者になりたい』って言ってきたとしたら、もしあんたが管理人だったらどうよ?」


 娘の表情が、少し曇った気がした。毛布越しだからよく分からないけど。


「……それは、無理だな。顔くらい見ないと、誰かも分からない」


「だろ? でも、顔見せるのは駄目な?」


「そ、それは、どうして?」


 俺はにやりと笑みを作って、娘に言った。


「ハニートラップだと思われるかもしれないだろ?」


 娘はきょとんとした顔で、真面目に言った。


「蜂蜜? 何故そこで蜂蜜が?」


 あ、駄目だ。こいつ、あんまり冗談の類は通じない。


 話していると、娘の腹が鳴った。


 咄嗟に腹を押さえて、恥ずかしそうに娘が言う。


「……す、すまない。ここ数日、何も食べてないんだ」


 そうなんだろうな。その格好で何か食べられるとも思えないしな。


 少女は少し得意気な表情で、俺に不敵な笑みを浮かべた。


「想像を裏切るようで悪いが、残念ながら蜂蜜も食べていない」


 ほんと残念だよ。あんたの知識が。


「あんた何か勘違いしてるけどさ、ハニートラップってそういう意味じゃねーから」


 娘は何故か胸を張って、言った。


「勿論、自分が食べるものではないという事は分かっている。蜂蜜の罠を作ろうにも、残念ながら蜂蜜を買う金もないのだ。はっは」


「はっはじゃねえよ!! もう全体的に間違ってんだよ!!」


 ハニートラップなんて単語、口にしなきゃ良かったよ!!


 ふと、その時だった。娘は腹を押さえて、膝をついた。


「蜂蜜の話をしていたら、余計に腹が……」


 かわいそうな奴である。


 しかし。俺もいい加減、腹が減ってきた所だ。懐事情に不安は残るけれども、腹が減ってはなんとやらというのも有名な話だ。ここいらでひとつ、何か腹に入れておいてもバチは当たらないだろう。


 俺はあたかも今思い付いたかのような顔をして、言った。


「そういや、俺も腹が減ったな。もし良かったら、昼でも一緒に食べるか? そこで、あんたがどうして襲われるのか、その事情も説明してやるよ」


「ほ、本当か!? 金はないぞ!?」


「何かの縁だし、一度くらい奢ってやるよ」


 旅は道連れというやつである。だが、少女はどこか不安そうな雰囲気になって、言った。


「そんな……こう言ってはなんだが、私は主にとっては見ず知らずの他人だぞ……? いいのか?」


「人は皆、はじめに出会った時は他人なんだよ」


 落雷を受けたかのような衝撃的な顔で、娘が驚いていた。


「天才……!?」


 俺、分かった。こいつはあれだ。わりとアホの類だ。


 顔があまりよく見えないが、よく見りゃ整った顔立ちをしている。赤い髪に緑の瞳って組み合わせも中々見ないし、肌も白いとくりゃ、断る理由もないってもんだろう。


 俺は自分を親指で指し示し、胸を張って言った。


「俺は、ラッツ・リ・チャード。今年から冒険者になった、Iランクの駆け出し冒険者だ。あんたは?」


 そう聞くと、娘は俯いた。


「……私は、自分の名前もわからない」


 名前までか。そりゃあ、これから大変だろうなあ。


 一体この娘の身に何があったと言うのだろう。名前も思い出せなくなる位の記憶喪失って、早々あるもんじゃないと思うけど。


 しかし俺にはどうも、こいつが悪い奴には見えなかった。


「それじゃあ……まあ、呼び方はそのうち考えようぜ」


「うむ……」


「とりあえず、飯を食いに行こう」


 手を引くと、娘ははにかんだ。


「ありがとう。主は優しいな」


 ふむ。やはり可愛い。俺的点数を付けるとするなら八十は超える。マイナス二十かそこらは言葉のソレ。


 とりあえず飯を食わせて、話はそれからだ。


「ひゃっ……」


 瞬間、娘が毛布に足を引っ掛けた。


 咄嗟に振り返って、娘を抱きかかえる俺。ナイス。やはり普段から反射神経を訓練している男は反応が違う。


 なんてバカな事を考えていたら、そのまま娘と共にひっくり返ってしまった。


 後頭部を強打した。


「おぴょっ」


 とても普段から反射神経を訓練している男とは思えない声が出たが、無事受け止められたのでこの際良いとしよう。


 何事も気持ちの切替が肝心である。


 おお、胸が。お、意外と大きいんじゃないか。着痩せするタイプか。毛布に着痩せも何もあったもんじゃないか。


「い、いたた……すまない、主よ……大丈夫か?」


 起き上がった瞬間、毛布に包まれていた娘の中身が露わになった。


 毛布が被さっているので他の人間には見えていないだろうが、俺には見えた。


 その毛布の下に隠された、驚くべき完成度の肉体と――……めくるめく肌色のワンダーランド。


 それを見て、俺は。


「そっか、隠してんのは顔だけかと思ったけど……服もだったかー……」


「えっ?」


 咄嗟に、そんな感想を呟いた。何も分かっていない娘が、すっとぼけた顔で俺を見る。


 色気とか、そんな話をしている場合じゃなかった。まず服を買わないと、飯屋に行けない。


「服もかぁー……」


 これは……とんでもない拾いものをしてしまったかも……しれない。


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