第3話 これがパスタというものか
とりあえず、娘を銭湯に入れて、服を買って着せて、お気に入りの喫茶店『赤い甘味』に連れ込んでみた。
今の季節はテラス席なんていうのがあって、俺と娘は外の席に座る事になった。
今の彼女は、薄桃色のブラウスに髪と同じ色の赤いカーディガンを着せて、あまり主張しないシンプルな緑のスカートを履かせてみている。
長い耳は見えると騒ぎになる事間違いなしなので、今はひとまず耳当てで隠している。
「……あ、あの……何故そんなに、じろじろ見るのだろうか」
少し頬を赤らめて、娘はそんな事を俺に言う。
うん。
俺の勘は間違っていなかった。
「改めて、こうして見るとさあ」
「な、なんだ? 耳以外にも、まだ何かおかしいか?」
「あんた、美人だよな」
素直な感想を口にしただけなのだが、娘は額まで真っ赤になっていた。
顔の前で、ぶんぶんと両手を振る。
「や、やめてくれからかうのはっ!! 別に女として魅力があるなんて、これっぽっちも思っていないっ」
その謙虚な感じが、またさらに魅力を上乗せしている事に気付いていないのだろう。あまり言われ慣れていないのだろうか。
珍しい。俺もこれまでセントラル・シティで生活するにあたり様々な女子を見てきたが、美人というのは大体こういう事を言われ慣れているから……おっと、ここから先は言わないでおこう。ただでさえ一度もアップトレンドにならない俺の対女性株が、さらに大暴落しそうだ。
娘は紅茶のカップを両手で持って、俺の様子を窺いながら静かに中身をすする。
指が白くて細い。ほんとに骨、入ってるんだろうな。血は流れているんだろうな。
「か、観察するなっ!!」
俺は目を皿のようにして、じっと娘を見た。
「あう……」
出ていく訳にもいかず、頭を抱えて俯いてしまう娘。
こりゃ、天然だ。天然記念物級のウブだ。俺が適当に選んだ服でこの可愛さ、この態度。
助けて良かった……!!
「お待たせしました。トマトソースとナポリタンでございます」
ウエイターが娘の注文したパスタを運んで来た。娘はそれをまじまじと確認すると、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「こ、これがパスタというものか……」
初見らしい。何の種族か知らないが、娘の村にはパスタが存在しないらしい。いや、記憶喪失なだけか?
いやでも、知らないが故の想像に過ぎないけれど、普通パスタを覚えていないレベルで忘れていれば、言葉も喋れなくなっているような気がする。
俺の気のせいだろうか。
娘は覚悟を決めて、パスタの山に右手を。
「いやいやいや。待て待て待て待て」
思わず、その右手を掴んで制止をかけた。
「どうした?」
「いやどうしたじゃないよ。フォーク使えって、フォーク」
「フォーク?」
いや人型なら流石にフォークくらい知ってるもんじゃないのか? 困るだろ、どうすんだ。
テラス席だから、あんまり目立つと通行人に見られてしまう。
娘はむう、と顎を撫でて、悩んだ。
「まさかフォックス……狐の類か?」
「むしろそれ使って食ってる所を俺に見せてくれよ」
なんでフォックスを知っててフォークを知らないんだ。
本当に記憶喪失なのか。一体どこまでが記憶喪失で、どこからが天然ボケなんだ。俺には正直区別が付かない。
俺が指をさす事でようやく発見したフォークの存在と、娘は格闘を続けている。ああ違う、先が分かれている方で食べるんだ先が分かれている方で。違う、パスタは巻くんだすするんじゃない!!
……まあ、パスタの存在を知らなきゃすすって食べるのは仕方がないか。これくらいは大目に見よう。俺も初めて見た時はそうだった。
「トマト……うま……」
対面で恍惚の表情を浮かべている娘を見て、まあどうでもいいか、と思う自分がいた。俺は俺で、出て来たナポリタンをようやく食べ始めた。
しかし……想像以上に、事態は深刻を極める。この娘の服代で、貯金の三万セルも半分以上飛んで行った。昼飯合わせたらほぼチャラだ。このままじゃ、宿すら取れない状況が待っている。
晩飯を抜けばギリギリ宿には泊まれそうだが……そんな状況で一泊どうにか泊まったって、その先どうすれば良いのか。
これはまずい。明日には、お化け毛布がブラザーズになってしまう。
「ところで主よ」
「毛布の事なら捨てたがそれがどうかしたかね!?」
「えっ……あ、いや、毛布は見ていたので知っているのだが……かね?」
違ったらしい。なんだよ紛らわしいな。
「では名もなき娘よ、何かね?」
「えっと……主はどうして、冒険者になろうと思ったんだっ……の、かね?」
「別に無理して俺の真似しなくて良いぞ」
そう言うと、娘は真っ赤になって俯いた。
「いや、だって、なんか、つい……」
何この可愛い生き物。
俺は少し笑って、軽くテーブルを指で叩いた。
「とりあえずさ、『あんた』は呼びにくいから、あんたが自分の名前を思い出すまで、『メノア』って呼んでもいいかな?」
「あ、ああ、別に呼び方は何でも良いが……何故、メノア?」
「言葉遊びだけどさ、『ノーネーム』をもじって、『メノア』。どうよ、可愛い女の子の名前っぽいだろ」
「可愛い女の子の名前っぽいかは分からないが……良いと思うぞ。うん」
「いや、そこはお世辞でも可愛いって言っとけよ」
少し苦笑が混じっていたが、娘は――メノアは、笑った。
先程の質問に答えていないからだろう。メノアは俺に、もう一度質問をする機会を窺っているように見えた。俺は額からお気に入りのゴーグルを外して、それをメノアに見せた。
「俺の親父が、たぶん冒険者だったんだ」
それが問いに対する回答だと察したようで、メノアは唇を引き結んで、俺の言葉を待っていた。
「親父もお袋も、俺がうんと小さい頃に居なくなってさ。顔も知らないし、今生きているのかどうかもよく分からないんだけど、産まれた時からこのゴーグルは俺の首に掛けてあって、このメモが挟んであったのさ」
そう言って、メノアにメモを見せる。幸いにも、メノアは字が読めるようだった――フォークも知らない奴が何故字を読めるのか――いやもう、この際細かい事は突っ込むまいよ。なんか分かんないけど、文化の違いだよ。
メモには、こう書いてある。
『冒険者を目指せ。お前の歳が十八を数える頃、お前はきっと冒険者になって、いつかきっと、父の隠れ家を探し当ててくれ』
読み終えたメノアは何とも言えない表情で、俺にメモを返した。
「これが父親のメモかなんて、俺には判別の付きようもないって思うだろ? もし仮に父親だったとしても、なんて無責任な父親だろう、って」
「……ああ、……正直、そう思う」
「でもさ、俺、なんか親父には事情があったんじゃないかって、そう思ってる」
メノアは少し悲しそうに、しかし真剣に、俺の話を聞いていた。
「冒険者になって、この世を冒険するんだ。そうして俺はいつかきっと、親父の隠れ家を探し当てる。俺の親父が本当に無責任な野郎だったのか、何か事情があったのか、そんな些細な事はそれまでお預け――でも、良いんじゃないかって思うんだ」
「……主は、冒険がしたいのか?」
「したいよ!!」
思わず、立ち上がった。俺たちと同じように、テラスに座っていた何名かの客がちらりと俺を見たが、構うこともなかった。
「この街のすぐ近くにはさ、山の上に変な傘が付いてる、キノコみたいなでっかい山があるんだ!! 本で読む限りでは、真夏に雪が降る地方とか、天井に吸い込まれる洞窟とか、ここに居る人間が誰も知らないような場所が、たっくさんあるんだぜ!? おもしろいじゃん!!」
どこか圧倒されているようで、メノアは少し目を大きく丸くして、俺を見上げていた。
「俺は見たい、全部見たい!! 自分の足でそこまで行って、色んな人に会って、色んな生き物を見てみたい。そうしないと、何のために俺が生きてるのか、よく分かんなくなっちまうよ!!」
食べかけのトマトソースパスタ。メノアの手から、フォークがこぼれた。それは静かに、パスタの皿の上で慎ましく音を立てた。
何故かテラス席で立ち上がっている俺を、通行人が一瞥しては去っていく。
メノアは、苦笑した。
「……主には、夢があるのだな」
目が泳いだ。その笑顔には影があった。
「私には、行くあてがない。自分の名前すら分からない……これから自分がどうしたいのかも、どうすれば良いのかも、まるで分からない。それでも、金を稼がなければ食べる事もできないと知って、冒険者依頼所に行こうとしていたんだ」
俺は席に座った。メノアは無理に明るく振る舞ったような笑顔で、水の入ったコップを手にした。
「まるで違うな。……正直私は、主が羨ましいよ」
そう言って、ぐい、とコップの水を飲み干す。
記憶喪失って、どんな感じなんだろう。残念ながら俺にはそういう経験がないので、よく分からないんだけど。やっぱり怖かったりするもんだろうか。
メノアにだって記憶さえあれば、やりたい事が何かしらあったはずじゃないのか。魔物の文化は、正直よく分からない……よく分からない事ばっかりだ。
だから俺は、メノアに向かって手を広げて、言った。
「とりあえずさ。自分の仲間を探してみる、ってのはどうかな?」
そう言うと、メノアは目を丸くしていた。
どうやら、考えもしなかった発想らしい。そりゃそうか。ついさっきまで、自分は人間だと思っていたんだからな。
俺はそっと、メノアに耳打ちした。
「顔を見られた時に襲われた、って話をしてただろ。それって、その耳のせいなんだよ」
「耳……そ、そうか。変だから隠した訳じゃなかったのだな」
メノアの声のトーンが少し上がり気味だったので、俺は人差し指を唇の前で立てて、ボリュームを下げさせた。誰かに聞かれるとまずい。
幸いテラス席だという事もあって、周囲は俺たちなんかを気には留めていない。
「その耳は、俺達人間にとっては……まあ、危険な証なんだよ。逆に言えば、耳さえ出さなければ誰も気付いてないだろ?」
「確かに……むう。そういうものか」
渋々といった様子で、メノアは頷いた。たかが耳ごときで襲われるのは納得がいかない、と言われているかのようだった。
俺ももっと凶暴な魔物なんだろうと思っていただけに、メノアと出会って驚く事ばかりだ。耳が長いだけで、ほとんど人間と変わらない。話もできる。
個人単位だったら、何が危険なのかさっぱり分からん。まあ百歩譲って、歴史的な問題かなんかだろうか。
「でもさ、あんたの故郷には同じような耳を持っている奴が沢山いるというか、ほぼそうだろうと思うんだよ。つまり、そこに帰れば良いんだ。そうすりゃ、記憶だって戻るかもしれないぜ?」
「……まあ、そういう事はあるかもしれない、が」
「記憶が戻れば、なんで記憶を失ったのかも思い出すだろうさ。どうせ冒険には出るんだ、ついでと言っちゃ何だけど、一緒に探してもいいぜ」
「ほ、本当か!? 一人では無理だと思っていたんだ、手伝ってくれると助かる……が……」
メノアは悲しそうな表情を浮かべて、俺から目を逸らした。
「……主にとって、私はつまり……敵、なのだろう? どうして主は、そんなに私に良くしてくれるのだ」
「んじゃ、飯も食ったしそろそろ出るかね」
「ラッツ!! 主は、少しは人の話をだな」
無視して席から立ち上がった俺に、初めてメノアが名前で声をかけた。納得が行かない事は、納得が行かないらしい。ここまで話して分かった事は、メノアってのは結構何でも知りたがりで、記憶を失っていて周りの事がわからないなりに、結構グイグイ聞いてくるってことだ。
羨ましがられるような所はどこにも無いって言えるくらい、積極性がある。
「悪い奴じゃなさそうだから」
テーブルを叩いて、半ば斬り捨てるように、俺はそれだけをメノアに言った。メノアはびくんと伸ばしかけた手を引いて、俺の表情を気にしていた。
にい、と笑って、俺はメノアに余裕を見せる。
「それじゃ、ダメかね?」
「……いいや、駄目ではないが」
「美人でおっぱいがあるからでも良いけどね」
「もっ……もう、やめてくれと言っただろうからかうのは……!!」
結構マジなんだけどな。メノアは美人だと思う。なんで冗談だと思われるのかよくわからん。
まあ、赤くなって照れてるのは大層可愛いので、別にそんな反応でも良いんだけど。俺得である。
一度店に戻って会計を済ませて、再び外に出る。見るたびガンガン寒くなっていく財布が悲鳴を上げている。早いとこ冒険に出ないとかなりヤバい。
……しかし、冒険冒険って言っても、どこに行こう。やっぱ依頼所に行く所からだろうか。
それか、ダンジョンでレアアイテムを漁るという選択もあるにはある、か。良いものが手に入れば、依頼を受けるよりも稼げるかもしれない。
俺について来るメノアを見て、俺はふと思った。
「ところでメノアは、どこから街に来たんだ?」
「どこから? と言うと?」
「最初からセントラル・シティに居たわけじゃないだろ。どっち方面から来たの? 北? 南?」
「ああ、そういうことか。方角的に言えば、おそらく東……だと思う。森の中に、空間が連結している場所があって……あれはおそらく、集中した魔力の渦による不規則な空間の繋がり……だと、私は考えているのだが」
「えっ!? それって、『ゲート』か!? ここから何分くらい!?」
思わず、メノアの肩を掴んだ。メノアは俺の食い付きに驚いて、若干引き気味に答えた。
「十五分……くらいだと思うが……なんだ? ゲートとは?」
十五分。ここからそう離れていないって事は、街を出た先にある森の中だろう。……そんな所にダンジョンができたっていう報告は、まだない。ダンジョンは現れたり消えたりを繰り返しているから、きっとつい最近できたもんだろう。
つまり、未開拓のダンジョンってことだ。当然、レアアイテムも多いはず……!!
「メノアが言っているのは、魔界と人間界を繋ぐ渦のことだ。俺達は『ゲート』って呼んでる」
「……ふむ。まあ、そのまんまだな」
「数年単位で現れたり消えたりを繰り返すんだよ、ゲートって。そこから先は人間の領域じゃないから、俺達人間にとっては珍しいアイテムが多く眠っていたりするわけで、俺達はそういうゲートの先に広がっている空間の事を『ダンジョン』って呼んでいるんだ」
「なるほど。ということは、発見されれば冒険者間で報告もあると考えて良いのだな? 出来たばかりのダンジョンほど、危険も多いが収穫もある、と」
「話が早くて助かる。早速、そこに行こうぜ」
ついに俺にも、運が向いて来た……か?
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