売上どこやった?
すずりのダイニング・キッチンは来客でいっぱいになっていた。
タコ頭が大股を広げてすずりのお気に入りの洋風椅子に踏ん反り返って座り、黒服がその脇に立っていた。サングラスは外していて、四角い顔に垂れ目の、柔道が強そうな顔と筋肉質な身体をしていた。タコ頭も黒いスーツに黒いネクタイ、白いシャツ姿で、普段明るいすずりの部屋はあまりに異質な存在を受け入れ、戸惑っているようだった。
すずりはその二人の前で正座をさせられていた。
服は二人と別れた時のまま、ニットのセーターと軽いスウェットのようなパンツを着ている。顔を伏せ、ようやく乾いた髪が顔を隠していた。
「で、二人はどこよ」
タコ頭が指を目の前で弄りながら独り言ちた。それはタコ頭の癖のようなもので、大勢が居る静かな場所であれば、何よりも自分の言質が最重要視される者に染み付いた喋り方だった。
「知りません」
タコ頭が軽く右足を前に蹴りだすと、脇にいた黒服が前に出て思い切りすずりの脇腹を蹴って、また元の場所に戻った。
「前に付き合ってた男に蹴られる気分はどうよ」
タコ頭が聞いた。
もう何度も同じ場所を蹴られているので、すずりの額には汗が滲んでいた。重たい黒服の蹴りは小さな身体にダメージを蓄積させ、腰から尻に掛けて響いた。やや手加減をされているような気もしたが、何度も蹴られては同じだ。
「佐田君達がいなくなる前にここにいた事は知ってんだ。パケも開けて、大分派手にやったみたいだな。イカ臭くて仕方がねえ」
正座しているすずりの前にタコ頭がしゃがみこんだ。
すずりの右頬を平手で軽く張る。
「母親が腐っていくところをドア越しにお前は眺めていた」
軽く張る。
「お前の母ちゃんは、借金苦で自殺した」
少し強く張る。
「俺が全部肩代わりした。死んだ処理もした。お前は」
強く張る。すずりから鼻血が滴る。
「お前は悲しみもせず、何もせずただそこに居ただけだったな。お母さんが死んで嬉しくも悲しくもなさそうだった。子供としてどうかと思うよ、普通はな。だが俺は!」
最大級の衝撃がすずりに与えられる。すずりが声も無く床に突っ伏す。
「そういう子供が好きだった。だから俺は、お前が気に入って引き取ってやったんだ。その恩は?」
タコ頭がすずりを抱き起す。よしよしと頭を撫でてやる。
「その恩はぁ!?」
「分からないの!」
すずりがタコ頭に抱き締められながら嘘をついた。
本当は佐田と拓がもう帰ってこない事を知っている。
ついさっき出て行って、すずりは二人を見送ったのだ。
佐田は「地元に帰る」と言っていた。
今本当の事を言えば、タコ頭は徹底的に追跡するだろう。
「本当に分からないの……」
「あのホームページも消えている」
徐々にタコ頭がすずりの身体をきつく締め付ける。すずりは息が出来ない。
「だが二人の住んでる場所は大体分かっている。DVDを売る時のビニール袋な、あれコンビニの奴なんだ。ある奴に売ったビニール袋な、そいつに身に覚えのないレシートが入っていてさ、そこにご丁寧に、店名も入っていたよ。東京都の、西の方」
すずりの目の前が黒い渦巻きでぐるぐると奪われ、血の気が引いていくのが分かる。タコ頭が血管を抑えて酸欠にさせているのだ。
「黙っていても、身元は割れる。俺も、これ以上お前をどうにかしたくない。付き合ってた元彼に、もっと酷い目に合わせたくないんだ。だから」
タコ頭がすずりの耳元で大声を出した。
「答えろ!」
◆
ピンポン
◆
緊迫した場面に、あまりにそぐわない明るい音だった。すずりはタコ頭から離され、大きくぜえぜえと息をした。左目の白目が赤く染まっている。
◆
ピンッ………ポンッ
◆
押すと「ピン」が鳴り、離すと「ポン」になる呼び鈴だ。
タコ頭が舌打ちし、黒服に目配せした。
黒服が玄関に行き、曇りガラスの引き戸越しに
「何だか知らないが結構だ。帰ってくれ」
と言った。
「すみません、ガスが漏れていまして」
「ガス?」
「はい、通報がありまして、いまお宅のキッチンのガス管から漏れてるんですよ。今はハイテクですから、どこかで漏れればすぐにピーッと、ピーッと管制センターでお知らせが来るんです。こちらの家のガス管でね、とても大量にガスが漏れています。もうこれは、間違いのない事実なんです。どうか火気厳禁で、私たちを中に入れてくれませんか」
黒服は舌打ちした。
曇りガラスの向こう側はいい天気らしく、黄色い工事の帽子がぼんやりと見える。赤い三角コーンも抱えていて、業者らしいのは間違いない。
「今は取り込み中なんだ。帰ってくれ。ガス漏れと言っても、ガスの匂いなど一切していない。そっちの機械の故障じゃないのか」
「いやいや、こちらはもう、間違いないです。今までだって数回、大惨事を防いで来た安心・信頼のガス会社ですからもう、はい。こちらでガス漏れをしているんです。匂いと言ってもね、ガスにはわざとあの玉ねぎみたいな匂いを付けておるんですよ。漏れても気付かれるようにね、あの匂いは人為的なものなんです。だからあなたが、ガス漏れと笑って過ごしてしまうのも当然なんです。でもね、間違いなく100万%ガスは漏れているし、ちょっとの火花でドカーン!、とこう、お家が吹っ飛んでしまう可能性が……無きにしもあらず……」
業者の声が尻切れに小さくなっていった。
向こう側には二人いるのか?
もう一人、作業服のぼんやりした影の後ろにいるような気もする。
黒服には分からない。引き戸に近寄って見定めようとする。耳を近付ける。
「大変失礼いたしました」
業者の一人が申し訳なさそうに声を上げる。
「おっしゃる通り、こちらの間違いであったようです。今、本部から無線連絡がありまして、どうやら機械、センサー類の誤作動であろうと、言うことです。大変お騒がせして、申し訳ございませんでした」
「ああ、なら良い」
黒服が戻ろうと土間から上がった。
「ただ、長年の勘、から言いますと、この家のガスは、漏れています」
確信を持った、意外と若い男の声だ。
先程までの弱々しく、客に怒りを抱かせない女々しいまでの言葉遣いとはうって変わった。それが黒服の注意を呼び覚ます。
「そっちの機械の故障だろ」
「いえ、間違いなくこの家のガスです。私は特殊な鼻を持っていまして、匂い付けがされる前のガスの匂いも、鋭敏に感じ取る事ができます。そのお陰でこの就職難の今、このガス会社に入社する事が出来まして」
「ほう」
黒服が興味を示した。
「ただ、ここからではほんの少ししか臭いが感じられません。古いお家ですし、見ての通り引き戸の玄関は、普通のドアよりも密室性が高いのです。少しだけ隙間を開けて、匂いだけを嗅がせてくれませんか? それだけやらせていただければもう、もうこちらとしても100%、いや、200万%安心して帰りますので、どうかほんの少しだけ、隙間を開けていただけませんか」
黒服は一瞬迷ったが、隙間だけならいいだろう、と判断した。本当にガス漏れをしていたら困る。引き戸の中心、捻締錠をキシキシと回し、鍵を外した。少しだけ隙間を開けてやる。
「ほら、どうだ」
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