ちょっと待った

 しばらく白バンを走らせていた。外には昼下がりの美しい田園風景が広がっていた。白バンが赤信号の交差点で止まる。こんな田んぼと畑しかない場所にも、ガードレールと信号機が設置されているのだ、佐田は一種感動を覚えた。あるいは知らないだけで、学校が近くにあるのかも知れない。


 拓が疑問を口にした。


「すずりさんは、この後どうなるんでしょうか」


「そりゃお前、あのまま変わらないだろう」


「あのままって?」


「つまり、タコ頭と一緒にお仕事を続けるって事だ」


「お仕事って?」


「あれだよ。最初俺たちが出会ったお店で、やったりやられたりした事に決まってるじゃねえか。忘れちまったのか?」


 佐田が拓の顔をまっすぐに見て言った。拓が呆然とした顔をして黙った。

 信号が青に変わったが、佐田は車を出さなかった。拓が分かってない。全然分かってない。


「すずりさん……すずり姉さんは、俺たちと違う世界で生きてんだ。タコの奴らに何か恩義があるか、弱みでも握られてるんだろう。借金が山ほどあるのかも知れない。考えにくいが、薬で縛り付けられてるのかも知れない。そういう、女の弱いところをついてトコトン搾取するのがタコ頭みたいな奴らだ。すずり姉さんが稼いだ金を掠めて色々やってんだ。拓は知らないだろうが、そっちの世界では本当によくある話だ。よくある話過ぎて、表立ってそんな話をする奴はいない。お互いわかった上で、黙ってサービスをし、サービスを受ける。公正とは言えないが、きちんとしたなんだよ」


「いやだ」


 拓が青ざめた顔をして言った。


「おい、よせよ」


 佐田が呆れたように言った。


「初めての女に入れ込む童貞君もまた、この世界にはありふれてるんだ。すずり姉さんはほんのひと時だけ、俺たちに時間を割いてくれた。暖かい飯を用意してくれたり、風呂を沸かしてくれたり、たくさんセックスもやらせてくれた。あれは何て言うか、なんっつーか」


 佐田が言葉を選んだ。


「気まぐれの、優しい贈り物みたいなもんだ。季節外れに届いたお中元みたいなものだ。人間には何故か分からないが、誰かに親切にしたくなる時がある。俺たちはその奇跡みたいな優しさを受け取って、ありがとうございましたって言って帰るんだ。帰るんだよ、元居た場所に。腐ったコンビニと駅前のパチンコ店ばっかりデカい商店街にさ。それが姉さんの、姉さんの流儀に沿ったさようならの仕方だ」


「そんな事はない」


 拓がきっぱりと言い切った。


「すずりさんだって、僕たちが戻る日常に戻りたいと思ってると思う。変なタコ頭や黒服にいいようにされて、ずっとそれで良いなんて思ってる訳がない」


 佐田が黙った。


「佐田さん、良いと思ってる訳がないんですよ! 僕たちが帰る時、すずりさんは手を振っていました。どんな気持ちで振っていたのか、考えた事がありますか? 見て見ぬふりをして、その意味が分からないだけして置いて帰るんですか?」


「俺は、お前の母親や、綺麗なお姉さんと約束をした」


 佐田が今までにない低い声でゆっくりと噛んで含めるように言った。


「拓くんには危険な目には合わせません、大丈夫ですって、約束をしたんだよ」


 白バンがアイドリングを続けている。信号はまた黄色から赤になった。車はもちろん、人も犬も、何も通りを渡らない。


「最初はそんなの、どうでも良いと思っていた。お前も毎日、馬鹿みたいに実家に電話をするとは思わなかった。普通、友達と旅行中に実家に電話するか? それも毎晩毎晩。普通、電話する約束なんて忘れちまうか、ブッチしちまうもんなんだ。めちゃくちゃ驚いたわ。でもさ、お前が電話してる間、俺は隣で煙草を吸いながら待ってて、その間、俺もお袋や親父の顔を思い出しちまった」


 佐田はハンドルを叩いた。最初は小さく、それからだんだんと大きく。車体が小さく揺れるほど大きく。拓はなす術もなく佐田を見ていた。


「拓、姉さんを連れて帰るとすると、色々と厄介な事になるかも知れん。ああいう連中はしつこいんだ。普通のしつこさじゃない。尋常じゃないしつこさだ。何年、何十年にも渡って俺たちの素性をけつの穴の筋の数まで調べ上げて、順番に嫌なことをしてくるんだ。家の前にゴミが置く、から始まって、いずれベッドの中に動物の死体を忍ばせてくる連中だ。そういう連中と俺たちは繋がってしまったんだ。分かってるか? それをお前は、連れて帰る事になるかも知れん。俺やお前だけじゃなく、その呪いみたいな糞を、親や姉ちゃんにまで塗りたくる事になるかも知れねえんだ、分かってるのか?」


 拓は佐田から目を離さず、じっと話を聞き入っていた。それからゆっくりと、確実に一度だけ頷いた。アイドリングの音がする中で、拓と佐田はずっとお互いの真意を確かめる為に深く、深く見つめあった。


 後ろでクラックションが鋭く鳴った。

 黄色いパジェロが佐田の白バンの後ろに付き、いつの間にか変わっていた青信号を進めと無遠慮に促した。


「うるせえな!」


 佐田が手動式窓を下げて身を乗り出し、後ろのパジェロに怒鳴った。


「な事ぁ分かってんだよ! ボケ!」












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