パケ


「これ使ってみようぜ」


 数日間、そうした生活を送っていてマンネリに感じたのか、切り出したのは佐田だった。しばらく外に出ていない。商売をしていない。


「よく考えてみたら、俺たちこれ売ってる癖に使った事ないよな。まるで味見をしないで食品を売ってる工場の人みたいじゃねえか?」


「やめなさいよ。素性もよくわからないヘンテコな薬品がめちゃくちゃ入ってるのよ。煙草もお酒もやらない人間がなぜSに手を出すのよ、意味がわからない」


 すずりが止めた。


「もちろん、薬物は身を滅ぼす。間違いない」


 佐田は断言した。


「だがそれを売っている以上、我々もその責任を負うべきじゃないか? 勝手に売って、はいどうも、では何となく落ち着かないというか」


「馬鹿じゃないの? 勝手に人生ドロップアウトする人達に付き合う必要はないでしょう。買いたい人が勝手に買うだけ。あたしはやらない。あなた達もそれをやるなら出て行って」

 きつい口調ですずりが言った。


「我々はアダルトビデオを売ってきました」


 佐田が食い下がる。


「どのアダルトビデオも、不精わたくし佐田の目に叶った品々であります。ロクでもない糞みたいなAVがどんだけ世間に溢れているか。それを俺の目と心をかいくぐった、キメの細かいフィルターを通った逸品だけを世に放っている訳で、あります」


「政治家みたいな言い方やめろ」


 すずりが苛立って言った。


「しかるに、我々もこのSを吟味してだな、それから胸を張って売っていくべきだと思うんよ」


 馴れ馴れしい口調に代わって、佐田が正面からすずりの胸を揉んだ。


「殺すぞ!」


 ◆


 しかし数分後には、三人は食卓の上でパケットを一つ開封し、マツモトキヨシのポイントカードを使って、黒い折り紙の上で細かく砕いていた。折り紙はすずりの昔の趣味だったのだ。


「砕いてどうするの」


 拓が佐田の手元を凝視しながら言った。


「何か、鼻から吸ってたような気がするな」


 映画を思い出しながら佐田が言った。


「吸うと鼻が痛そうじゃない。あたし鼻の粘膜弱いのよ。注射器なんか論外だし、煙草もないし……あ」


 すずりが思い出して、黒電話が置いてある廊下の台の引き出しから、キャスターマイルドを取り出して持ってきた。


「前、小池が置いてったんだったわ」


「小池って誰?」


 佐田が聞いた。


「黒服。昔付き合ってたの」


 さらっとすずりが告白し、佐田が嫉妬で顔を昇天寸前の顔をした。拓は何も分からず、Sに釘付けだった。


 キャスターマイルドの先端にたっぷりと粉を付けた。


「火は」


 佐田が聞いた。

 すずりがゆっくりとガスコンロを指差した。


「参ったねこりゃ」


 前髪が焦げないように顔を逸らしてコンロで煙草に火を点けた。煙を吸い込み、ぷぅと吐く。佐田は昔喫煙の経験があったのでむせない。


「どう?」


「うん」


 むにゃむにゃと口を動かし、もう一度吸って今度は煙をキープし、ゆっくりと吐いた。


「いい気分、のような気がするな」


 煙草をすずりに回した。


「ちょっと変な匂いが混ざってる気がする」


 形の良い唇に咥え、吸い込んだ途端咳き込んでしまう。


「すずりさん、煙草は吸わないんですか?」


 拓が聞くと、


「だって身体に悪いじゃない」


 とゲホゲホと涙目になりながら言った。


「あれ、でもなんか」


 もう一度吸い込み、吐く。今度はむせない。

 ゆっくりと吸って、少しキープしてみる。

 そして、吐く。


「少し、いいかも」


 すずりの目がトロンとして、多幸感に満ちた笑顔をみせる。すずりの笑顔は滅多にみせない分、とても魅力的に、可愛く見える。すずりが吸いかけを拓に渡し、すずりは佐田と唇を重ねる。


「煙っぽい」

 すずりが笑いながら舌を佐田の口に割って入れる。


「最後のキスだから?」

 佐田もすずりの舌を味わう。


 拓も恐る恐る、受け取った煙草に口をつけて煙を吸ってみる。もちろんむせたが、落ち着いてからもう一度吸ってみる。吐く。今度は少し大きく吸ってみる。吐く。頭がぼんやりとしてきて、胸の奥から歓喜が脳天まで押し上がってくるような気がする。視界が眩しく、世界が美しく見える。佐田がすずりに舌を入れているのが見える。すずりがあどけなく上を向き、うっとりとした顔をして受け入れている。その顔が懐かしい何かと重なる。そして視界が暗くなる。


 ◆


 一緒に歩いている。


 誰と?


 仲の良かった■ちゃんと。


 毎日一緒に学校へ通っていた。好きだった。今ならその気持ちに名前を付けて、本人にこっそりと打ち明ける事だってできる。きっと■ちゃんも喜んだに違いない。でもそれはもう出来なくて、心の奥底に隠された記憶として暗く沈んでいる。


「拓君は宿題やった?」


「やってない」


「いけないんだ」


「やらなくても分かるもん」


 明るい。冬の匂いがする。アスファルトに大きく書かれた「止まれ」。その漢字だって僕には読める。前には黄色い帽子と、ランドセルを背負った同じような背格好の子供達が歩いている。思い思いに、友達と並んだり、一人で歩いていたりする。


 後ろの方で悲鳴が上がる。


「拓くん、あのね」


 ■ちゃんがあどけない顔が僕を見あげる。■は僕の事が好きだといつも言っていた。僕は好きだという気持ちがまだ分からなかったから、うん、といつも答えていた。その答えが満足じゃない事は、顔を見れば分かった。でも、なんと答えればいいのか分からなかったのだ。


 ゆっくりと刃物が■ちゃんの頭に吸い込まれていって、抜かれた。目と鼻から血が出て、■ちゃんの目が僕を捉えたまま、その中の生きているしるしのようなものを何かがそっと吹き消した。大きな大人が走って僕と■ちゃんの間を通り過ぎて行った。


 なぜ僕じゃなかった?

 なぜ僕じゃなかった?


 アスファルトに黒い血が広がり、車道と隔てる白い線を迷わずに下っていった。


 ◆


 拓が絶叫した。

 口を大きく、裂けんばかりに絶叫した。

 佐田とすずりが事を中断し、拓を二人で囲んだ。

 落とした煙草を佐田が拾い、少し焦げたモスグリーンの絨毯を指で押して、灰皿を一瞬探したが、すぐに流しに持って行って捨てた。


 すずりが絶叫する拓を抱きしめた。

 拓の体は冷たくなっていた。すずりが自分の体温を分けるように拓の身体に身を寄せて温めた。拓の叫びはやがて啜り泣きに変わり、すずりの胸を濡らした。すずりは大丈夫、大丈夫と小さく声を掛けながら拓の頭を撫で、何故か自分も泣いている事を不思議に思った。拓もおずおずとすずりの身体に腕を回し、二人はぴったりと隙間なく抱き合った。











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