ジャバザハットがいない

 部屋に引き返すと、ジャバザハットと黒服が居なくなっていた。給仕する店のウェイター達も全員いなくなっている。ジャバザハットが座っていた席はテーブルの上の皿が乱雑に散らかり、グラスは倒れ、液体が床に滴っていた。椅子も後ろに倒れている。


「まさみ先輩と小池さんはどちらに」


 自分の席に腰を掛けながらすずりが聞いた。


「小池が看病してる。ちょっと色々とあってな」


 タコ頭が答えた。隣の佐田と距離を詰め、だいぶ混み入った話をしている最中のようだった。佐田は青白い顔をして、やや緊張気味な顔をしていた。二人の間には、袋の胃腸薬のような白い包みが綴りで大量にあった。


「悪い話じゃないだろ?」


「いやでも、これ悪いヤツですよね」


 佐田が弱々しく言う。


「悪かねえよ。全ッ然悪かねえよ!」


 タコ頭が大声を出した。


「法律は犯してない。これだけはキッパリと言える。どこからどうみても合法。合法と合法の塊を合わせただ」


 じゃあ店頭で売ればいいじゃないか、とタコ以外の全員が思った。


「……とは言え、大っぴらに売る事も難しい。百貨店に卸すとか、そういう類のアレじゃあねえんだ。その、何というか、客を選ぶ」


土市どいちさん。これはアダルトビデオとはまた違う性質のものです。一緒に売る事はできません」


 佐田が弱々しくもしっかりと答えた。


「かぁー、分かんねえ奴だなぁ。お前の売ってるアダルトビデオだって、コピー品じゃねえか、そっちの方がよっぽど悪どい商売だよ。著作権とか知らねえ訳じゃねえだろ? な? 悪い事やってんだから既に。良い子ぶったって犯罪者なんだよお前らは既に。な? パクられる時はパクられるの。そんだったら、これを一緒に売ったって一緒だろうが。これ一包、いくらか知ってるか?」


「知らないです」


 タコ頭が佐田の耳元でコショコショと何かを囁いた。


「へぇ〜」


 佐田が驚いた声を上げる。


「な、すげえだろ。インターネットのお前のホームページに、『S有り〼』って一言書いておけば、ついでに『じゃあ』ってなもんよ。結構有名なんだこのSって奴は。入門編、カジュアルドラッ……漢方薬。気持ちよくシコシコするにはまさにうってつけだよ。こいつが売れたら、売り上げの3割やるよ」


 ド悪い顔をしてタコ頭が言った。

 それでも佐田が渋っていると、


「じゃあ4割でどうだ」


 意外と早く詰めてきた。

 すずりはつまらなさそうに冷めた春巻きをパクついている。


「すずりさん、小池って誰ですか」


 拓が小声で聞くと、


「あの黒服。いつも土市どいちにしばかれてるガタイの良い奴」


 すずりが耳元で小さな声で教えてくれた。良い匂いがする。


「なるほど」


 拓は席に座り直して、もう一度小声で聞いた。


土市どいちって誰ですか」


「アレに決まってるでしょ」


 対面で熱心に話をしているタコ頭を小さく顎でしゃくって言った。


土市どいちさん……って言うんだ」


 拓がまた席に座り直して、すずりが小さく舌打ちをした。


「じゃあ5割!」


 ドン、と掌を広げて、佐田の目の前に出した。


「はっきり言って、特別大サービスだ。これ以上はもう無理だ。赤字だ。ヒイヒイだおじちゃんは。こんな美味しい話は無いぞ、これを断る何て馬鹿も馬鹿。大馬鹿三太郎、馬鹿オブザ地球、パラダイス馬鹿、馬鹿馬鹿の馬鹿だ」


「いや、本当はもうAV売るのやめようと思ってたんです」


 佐田がついに嘘をついた。

 明らかにヤバい薬を売るくらいなら旅を中止して帰って出直した方が良いと思ったのだ。大金を稼ぐにはうってつけのお仕事だが、あまりにリスクがデカ過ぎる。


「あんまり売れないし、ネタも限られてるし」


「ネタって何だ」


「アダルトビデオの種類ですよ。たくさんコピーが出回って、珍しいものでは無くなってきてるんです」


「ほう」


 タコ頭がグビリとビールを煽った。


「提供してやるよ」


「何をですか?」


「裏ビデオだ」


「ちょっと!」


 すずりが大声を上げた。


「アレは駄目よ! 約束したじゃない!」


「るせえおめえは黙ってろ!」


 タコ頭が怒鳴った。


「知ってるだろ、●川恵那」


 ニヤリ、とまた悪い笑みをタコ頭が浮かべた。

 佐田が頷く。


「本人だ」


 すずりを指指して、タコ頭が紹介した。

 すずりは顔を両手で隠した。


「最ッ悪!」


「色々あって俺が面倒みてんだ。こいつの裏ビ。それで決着だ」


「やめてよ!」


「るせえんだブス! 殺すぞ!」


 タコ頭が手元の瓶ビールを逆手に持ってすずりに思いっきり投げ付けた。瓶はすずりの後ろの壁で砕けた。


「その代わり、売れたらお前らの分け前は4割だ。それでいいな!?」


 タコ頭が額に血管を露わにしながら怒鳴った。

 あまりの剣幕に、佐田も小さく頷くしかなかった。何しろ、拓とすずりがいない間に、黒服がジャバザハットをボコボコにしている様も目の当たりにしていたのだ。佐田は女性が男に思いっ切り殴られているところを初めて見たので、すっかり意気消沈していた。それでもまだ、頑張って交渉した方だった。


「分かりました」


「やっと分かったか馬鹿野郎。飲め、ほら!」


 違う瓶ビールを取ると、無理やり佐田のコップに注いだ。


「我々のビッジネスに! 乾杯!」


 タコ頭の声だけが響いた。

 すずりはテーブルに両肘をついて、顔をじっと手で覆っていた。拓は心配になったが、グラスを少し上げて、それを全部飲み干した。ビールなんて少しも美味くなかった。あと、裏ビデオって何だろう。





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