妙なやつだ
家の呼び鈴が鳴った。
「はぁい」
母が玄関を開けて、佐田を出迎えた。
「あ、おはようございます。佐田と申します」
感じが良い笑顔で、佐田が礼儀正しく挨拶をした。ジーパンにヘビーデューティーのブーツ。黒いボタンダウンシャツの上に、黒いシンプルなMA1を着ている。キャップは手にもって、くしゃくしゃな長髪に近い髪を露わにしている。
「まぁまぁ、拓がお世話になったらしくて」
母が笑顔で挨拶をした。
「一度、おたくのコンビニであなたとお話をした事があるのよ。拓が何でパンを貰ったのかって、家族会議になっちゃって」
「あはは、覚えてますよ。僕、最初小野寺君が虐待されてるんじゃないかって心配になっちゃって、あの時は、もう何て言ったらいいか分からなくなってしまいました」
「やだもう、虐待なんてする訳ないでしょ」
「ええ、本人から聞きました。ちょっと引き篭もっていたとか」
母・由紀の顔が強張った。
「あ、いえいえだから何だって訳じゃないんです。小野寺君は本当にいい奴で、すごくいい友達になれたんです。だからこうして、旅行に誘ってみたっていうもんでして、いやもう、本当に小野寺君は最初の頃よりずっと、ずっとしっかりしました!」
「拓はあなたにそんなに心を開いていたのね……」
しみじみと母が言った。
勝った、と佐田が思った矢先に、
「ちょっとお母さん、どいて」
気が強そうな声がして、奥からもう一人の若い女が出てきた。
佐田は、綺麗なおでこをしている、という印象を姉・優子に持った。これから出社なのか、きちっとした女性らしいスラックスを着て、しっかりとメイクをしている。上唇にホクロがあり、気の強そうな鼻と口元を強調している。これは一筋縄では行かなさそうだ、と佐田は内心思った。
「こんにちは」
「こんにちは、拓の姉、優子と申します」
優子は母の前で挨拶をすると、玄関に降りて、パンプスを履いた。
「え、ちょっと優子?」
「ちょっとお母さんのいない所で話をしたいの。佐田さん、いいでしょう?」
「あ、はい。もちろんです」
佐田は困った顔をしている拓の母に挨拶をして、姉の後を追った。庭を抜け、階段を数段降りた先に白いライトバンが停めてあった。佐田が用意したものだ。
姉・優子は腕を組み、佐田を下から上まで、舐めるように検分した。心に深い傷を負った弟が、たまたま出会ったコンビニのバイト先の男に心を開いたという点で、優子は何かが引っ掛かった。
「佐田さんは何歳ですか?」
姉が笑顔を見せずに聞いた。
「えっと、25」
「あたしは23です。じゃあ敬語を使いますね」
「あ、はい」
佐田は人好きがする顔だった。悪いことはしなさそうだが、目の奥にはチラチラと小狡い光が煌めいており、何か小さな事も見逃すまいという機転が利きそうな雰囲気があった。ある程度はモテるかもしれない。
こういう雰囲気の男の子はクラスに必ず一人はいて、最初はおとなしいグループに所属し、そこでリーダーになる。みんなで楽しくやっていると、やがて不良軍団に目をつけられ、あわや喧嘩か、という寸前で相手を笑わせ、気に入られ、いわゆる美味しいポジションを占めるようになる。悪い奴ではない、ような気がする。
優子は
「煙草、ありますか?」
と平坦な声で佐田に声を掛けた。
佐田はMA1のポケットからくしゃくしゃになったらソフトケースのピースを取り出し、一本器用に飛び出させると、優子に差し出した。優子はそれを一本受け取り、綺麗な唇に差し込むと、自分の小さなライターを胸ポケットから取り出して火を点け、ゆっくりと吸い込んで吐いた。佐田はライターを持っていたが、優子に火を点けてやる素ぶりは一切見せなかった。それでいい、と優子は内心思った。そういう事は、ホスト気取りのくだらない男がやる事だ。
「拓のことは知ってますか?」
「知ってる。仕事が丁寧。出勤すると一番最初にトイレを掃除する。接客は苦手。缶コーヒーより紙パックのレモンティーが好き。シフトの交代を強く迫られると上手く断る事ができない。そして、9年引き篭もっていた」
優子が煙を吐いた。
「あの子、家でもトイレ掃除だけは自分から進んでやるんですよ」
「そうですか」
ボリボリと佐田は髪をかいた。
「どうして、そうなったのかしら?」
鋭い姉だ。頭が良い。隠し事は無理だし、したところで何かが変わる訳でもない。
「僕がトイレ掃除の重要さを教えたんです。確か、バイトに入った初日に。人間の何もかもが始まり、そして終わるのがトイレだって、確かそういう事を言ったような気がする」
姉が鋭い目で佐田を射抜いた。
「そうしたら拓……いや、小野寺君は率先してトイレ掃除をするようになって、僕は正直、少し助かったところはある」
「そうやって、拓を利用しないで」
姉が佐田の目を見据えて低い声で言った。
「あの子は9年間、引き篭もってた。その間、ずっとあの子は一人でいたの。10歳から19歳まで、誰とも口を利かずに。やっと出てきて、アルバイトをし出して、家族がようやくそれらしくなってきたところなのよ」
佐田は頷いた。
そうして話の続きを待ったが、優子はずっと黙り込んだままだった。そうか、俺の言葉を待ってるんだ。何か、安心する言葉を。佐田は小さく咳払いをした。
「お姉さん、僕は25歳でコンビニのバイトをやってるようなちゃらんぽらんな男だけど、これだけは言えます。決して、拓君を妙な犯罪に巻き込んだり、危険な目に合わせたりはしません。これはもう、はっきりとお約束します。でも、もしかしたら、僕と一緒に旅行する事で、何かが拓君に起こるかも知れない。起こらないかも知れない。何でかと言うと、それは僕の行動の問題じゃなくて、拓君の心の問題だからです。でも、身の安全はきっちり保証します。毎日、電話かメールを送らせるようにします」
優子はじっと佐田を見つめた。
まるで胡散臭い商人のズルを何とか見抜こうとするように。
「信じてください」
佐田は姉・優子と目を合わせて、重ねて言った。とても綺麗な目をしている、と思った。
拓が玄関の階段を降りてきて、
「やあ」
と笑顔で佐田に挨拶をした。
「よ」
と佐田も挨拶を返した。
「どうぞ弟を、よろしくお願いします」
優子が深々と佐田に頭を下げた。
普段、決して交わる事のない二人が一緒にいる新鮮な雰囲気を、拓はむず痒く思った。姉は、佐田のことが気に入っただろうか? 佐田は姉の事を、気に入っただろうか? 胸がムズムズして、何だか気恥ずかしい。
「じゃ、行ってきます」
白いバンの助手席に乗って、姉と母は拓が去るのを見送った。
もちろん拓はこの先、二泊三日で帰らなかった。今の二人はこの先なにが起こるのか、何も知らない。ラジオが流れ、ただ開けたままの車窓からSpitzのチェリーを置き去りにして北へ向かって走るばかりだ。
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