面接


 大抵、コンビニのバックヤードは薄汚れている。そして狭い。まず、電気が暗い。ハンガーに掛かった、何年放置されているか分からない黄ばんだ制服、積み上がった段ボール、そこからはみ出す何らかの販促ポップ、床に直置きにされている廃棄の菓子パンやらおにぎり、大きな音を立てる業務用冷蔵庫。卵型のてっぺんにかろうじて黒い髪が生えている、太った丸眼鏡の店長。


「ふうむ」


 ふうむ、という顔をして、四十八を迎えた店長が息を漏らした。ややのっぺりとまばらな顔のパーツをしている店長は既婚であり、歳下の嫁と二人の子供がいる。当たり障りのない人生を歩み、当たり障りのない結婚をし、当たり障りのないコンビニエンスストアの店長を営んでいる。食べる時は口に出して「もぐもぐ」という時があるし、「なでなで」と言いながら犬や猫を撫でる時がある。嫁や子供にはつつがなく無視をされがちだが、温厚そうに見えて、二ヶ月に一度、遠い駅にあるお気に入りがいる風俗にいく楽しみがやめられない。


 拓はアオキで新調したネイビーのジャケットとスラックス姿で、その薄汚い事務所で面接を受けている。数ヶ月間規則正しい生活を送り、両親と姉の手解きで履歴書を書き、服装を整え、満を持しての面接だった。拓は緊張しているが、それを緊張とは認識していない。家族以外の人間と話をするのは久し振りだし、何となく他人と会話をするのは空気と自分の喉が固くなるように思える。面接のアポイントを取る時も、姉と予行演習をしてから電話を掛けた。


 ◆


「もしもしファミリーマートニューヨーク店です」


 優子が右手で受話器を持つ仕草をして、威圧するような声を出した。キョトンとした顔をして拓は姉を見つめた。


「もしもし?」


 しかめ面をして姉が続けた。


「いたずら電話なら他所でやってくれ!」


 電話を切るフリ。


「拓、ちゃんと話をしないと相手に失礼でしょう」


「ごめん」


 拓は素直に謝った。


 二人は自宅のダイニングテーブルを挟んで座っていた。拓の前にはアルバイト募集の無料冊子が置いてあり、あのコンビニの求人に丸で印が付けられていた。


「もう一度いくよ。ちゃんと教えたでしょう?」


「はい、ちゃんと教えてもらった」


 コクリと拓は頷いた。受け答えもしっかりし、顔色も健康的に、目も以前と比べればしっかりと焦点を結んでいた。規則正しい生活を守った成果だ。


「もしもし、ファミリーマートローマ・カトリック店です」


 優子が再開した。


「あ、あの、あの」


 拓も受話器をもつ格好をして言葉を探した。さっき受け答えを教わったばかりなのに、いざ他人行儀なフリをした姉を目の前にしただけで頭が真っ白になった。喉の奥から白い空気がせり上がってくる気分だ。姉は受話器を持つフリをしたまま眉間にシワを寄せて拓をじっとにらんでいる。仕事帰りのブラウス姿のままだから、リアリティーがあった。


「もしもし?」


「そんなに威圧したら拓がかわいそうでしょ」


 母が優子に遅い夕食を運んできた。


「パチンコ屋さんに電話するんじゃないんだから」


「パチンコ屋ならもっと酷いわよ」


 優子が言った。


「あの人たち耳が悪くなってるから、声が普通の人より五倍くらいでかくなってるのよ。きっと客も野良犬みたいなやつばっかりだから、威圧しないという事を聞かないし、理解もされないのよね」


「お父さんの悪口はやめなさい」


 ふん、と優子が横を向いた。拓はブツブツと教わった事を口の中で繰り返していた。


「もう一回いくわよ、拓」


 優子が架空の受話器を持ち上げる。


「もしもしお電話ありがとうございますファミリーマート肥溜め中央店です」


「あの、あの」


 ◆


 礼儀正しそうな男の子ではある。コンビニのアルバイトにスーツで来るというのも珍しくはあるが、アロハシャツにハーフパンツ、つっかけでやって来るよりはマシだ、と店長は五年選手になった佐田の面接を思い出した。佐田は働けば真面目に仕事と割り切ってやるタイプだが、裏で廃棄食材をちょろまかしているのは把握している。そうした事をやり始めると、いずれレジの金が狂い出すのがお決まりだった。そうならなければいいのだが。


「応募ありがとうございます小野寺さん。家が近く何ですか?」


「あ、はい」


「ふうむ。夜勤も出来ますか?」


「あ、夜勤はちょっと出来るかどうか分からないです」


 本当は夜勤は家族に禁じられていたが、「出来ません」と断りづらく、拓は消え入るような声で言った。


「あそう、夜勤は儲かるよ。時給千円超えるのはここら辺じゃ珍しいし、客も少ないから楽チンだよ」


 店長は何ともないように言ったが、その実、拓に夜勤をやってもらいたくて仕方がなかった。アルバイトの募集を掛けても人が集まらず、穴埋めの為に自分が夜勤するのもしんどかったのだ。フランチャイズの店長だから、夜勤に入って給料が増える訳でもない。


 拓は無表情で頷いた。


「それと履歴書の職歴なんだけど」


 店長が続けた。


「真っ白だね。高校はどこ?」


「あの、少し病気して行かなかったんです」


「え? 高校に通わなかったの?」


「あ、はい。ちょっと行かなかったというか、行けなかったというか……」


 拓は顔が赤くなるのを感じた。特に引け目を感じていた訳ではなかったが、いざ赤の他人に説明をするとなると、胸がドキドキして、口が思うように動かなくなった。


「ふうむ」


 店長は再び唸った。

 高校を卒業しない人は今日日珍しいと言える。何かしら事情があったのだろう。不登校か、身体の病気か、家庭の事情か。コンビニのバイトとは言え、まずは人となりを重視するべきであるし、そこに高卒の資格が必要あるかないかで言えば、ない。しかし周囲の仲間とうまく連帯して働く場であり、中卒(本当は小学校中退であるが)となると、うまく馴染めないかも知れない。面倒な仕事を押し付けられたり、いじめられたりするのではないか。そうした心配が店長にはあった。


「ちいっす、あ」


 佐田が出勤してきて、面接をしている拓と難しい顔をしている店長を見つけた。


「あ、佐田君おはよう」


「少年、何してるの」


「知り合いなの?」


 店長が拓と佐田を交互に見た。


「えーっとまあ、何つーか、そうっすね。知り合いっす。前に店に来て、な」


 倒れて介抱してやった、とは言い辛い雰囲気があった。


「真面目なやつですよ、きっとしっかりやってくれると思います。ちょっと引っ込み思案なところはあるけど、な」


 コクコクと拓が頷いた。佐田は拓が何となく扱いやすそうな雰囲気がある人間そうに見えて、もし同じ職場で働けたらとことん使い倒してやろうと思った。


「ふうむ」


 店長が大きな声で「ふうむ」と言った。




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