コンビニに寄る

 拓は早く家に帰りたかった。

 しかし姉に芋けんぴを頼まれていて、それを買う為にコンビニへ行かなければならなかった。コンビニなら場所はすぐに分かる。


 拓は涼しくなった頭を自分で触りながらゆっくりと歩いて行った。コンビニはファミリーマートだ。フランチャイズ店で、店内は広いとは言い難い。


 拓が知っていた頃はコンビニも少なく、故に繁盛していたが、今は閑古鳥が鳴いている。駅前のセブンイレブンに客が流れてしまったのだ。昔は老夫婦とバンドをやっているような寡黙なひょろっとしたアルバイトの男性がやっている店で、稀に予告もなしに臨時休業をするものだから、客足が遠のいてしまったのだ。品揃いも良くないし、釣り銭やカードも渡し間違いが多かった。今は老夫婦は引退し、バンド男もバイトを辞めて(遅刻が多過ぎて辞めさせられた。その後ガソリンスタンドで働いたが、レジの金を持ち逃げして行方不明になっている)、いくぶんマシにはなっている。しかし、一度失った客足はなかなか元には戻らない。


 拓はゆっくりと歩き、入店した。

 懐かしい音楽が聞こえ、コンビニの独特な匂いと暖かい店内に心が和らいだ。雑誌売場の前を通ったので、漫画雑誌を手にとってみた。2002年特大1月号、と記してあった。拓はざっと頭で計算した。およそ9年間、俺は部屋から出なかったのだ。雑誌の漫画にもほとんど見覚えがなかった。急に目の前が暗くなり、拓はそのまま後ろにひっくり返って気絶した。まるで電源が落ちたおもちゃのように、ストレートに後ろへ倒れた。9年。


 拓が目を覚ますと、薄暗い部屋だった。

 冷たい床に横たわっており、薄い毛布が掛けられている。


「目が覚めたかよ」


 煙草を吸いながら、事務椅子の背もたれを抱えるようにして煙草を吸っている男が声を掛けた。拓がゆっくりと身体を起こすと、頭に置かれていた雑巾のような匂いを発するおしぼりが落ちた。


「店で倒れたから、驚いて事務所に引きずって来たんだ。あんた、驚くほど体が軽いな。虐待とかじゃないよな?」


 拓は黙って首を横に振った。虐待ではない。


「救急車呼ぼうか迷ったんだけど、今俺しか店にいねーから。呼んだらまたアレかなって思ってよ、とりあえずここで休んでもらったんだ。大丈夫ですか?」


 何故か最後の一言だけ敬語で男が言った。拓は頷いた。救急車が呼ばれなくて良かった、と安堵した。もし病院へ連れて行かれたら、家族にまた心配を掛けてしまう。それは不本意な事だった。


 男は煙草を吸いながらマジマジと拓を眺めた。

 不思議なヤツだ。子供のような、大人のような、高校生くらいにしては幼すぎる顔をしているし、そもそも痩せ過ぎている。清潔感はあるが、取ってつけたような服装で、病院から適当に身に付けて退院してきたような格好をしている。パジャマの上に、おじさん臭い茶色いセーター。その上にロングコート。靴ではなく便所サンダル。倒れた時は顔面蒼白で、貧血だとは思ったが、無断で退院してきたのだろうか? ここら辺に大きな病院は無いはずだが、逃走してきたとなると面倒ごとは御免被りたい。


「大丈夫か? 腹減ったか?」


 男は二十代半ばのフリーターで、安い時給のコンビニで働いているのは、上手いことやれば店内の商品をくすねる事が出来るからだった。廃棄のものと上手くやりくりすれば、大抵の帳尻を合わせる事ができた。そして今、手元には廃棄の「チーズカレーパン」ある。拓は差し出されたパンを受け取ると、礼も言わずに開けて食べだした。


「おいおいおい」


 美味い。

 拓は二口目でカレーに出会い、感動した。空腹である事に自分で気付かなかったのだった。冷たい、のに濃厚でスパイシーなチーズ味が揚げられたパンと同時に入ってくる。大量に分泌された唾液に思わずむせ込んだ。


「だからさぁ」


 男は事務所の冷蔵庫を開けると、缶の得体の知れないジュースを開けて拓に手渡した。以前店で取り扱ったものの、あまりに評判が悪い紅茶の炭酸飲料で、大量に持て余してしまったものだ。オーナーが「好きに飲んでいいぞ」とダンボールごと事務所に常備してある。数年間、目に見えない速度で減りつつはあるが、好き好んで飲む者は一人もいない。そういう味だ。だが拓はそれを受け取ると、一気に流し込んだ。そして何とか落ち着き、肩で息をして「ありがとうございます」と礼を言った。


「何だ、お前喋れるじゃん。てっきりちょっとアレな人かと思ったわ」


「アレって何ですか」


「アレってお前、喋る事が出来ないヒトだよ」


「そういう人、いるんですか」


「ああ、いるよ、いっぱいいる」


 声変わりはしているが、あまりにか細い声だ、と男は思った。


「どうして倒れたの? 腹減ってたの? っていうかやっぱり救急車呼ぶ?」


「いえ、大丈夫です」


「一応分かってるけど聞くけど、家とかあるよな?」


「何ですか?」


「家だよ、イエ。ご飯食べたり寝たりするところ。あるよな?」


「あります」


「良かった」


 男は安堵した。

 同時に部屋の片隅にある白黒モニターを見て、やべっと声を上げて立ち上がった。


「じゃあそれ食ったら帰りな。客来たからよ」


「お礼を……」


「礼なんかいいよ、気にすんな。こういう時はお互い様だから。パンも廃棄のやつだから」


「せめて名前を」


「あ? これ」


 男は胸のバッジを見せながら名乗った。


「佐田。じゃあな、出口はそっちだから」


 佐田はレジへ向かい、部屋には誰もいなくなった。


「サダ、サダ、サダ」


 拓は小さな声で名前を繰り返し、忘れないようにした。

 それからパンの続きをもう一口齧り、袋に仕舞ってコートのポケットにしまった。缶の飲み物は不思議な味がしたので、飲まなかった。そして立ち上がり、裾を払ってから言われた通りの場所から外へ出た。サダは目だけで拓を見て、レジを手慣れた風に打っていた。拓は会釈をして、自動ドアから外へ出た。


 そこで、アルバイト募集の張り紙が貼ってあるのを見つけた。昼・夜どちらでも可。未経験者歓迎。時給800円〜(深夜1200円〜)


 拓はそれを長い間眺めた。

 働けば、お金がもらえるのだ。

 そしてそれは確か、とてもとても大切なものなのだ。



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