「夜叉御前」〜合同短編集「つづりぐさ」収録【11/22文学フリマ東京 サンプル】
ワニとカエル社
第1話
俺の足元で寝ている人間の青年。黒い髪が春風に揺れている。すっかり畳の痕が腕についてしまっていた。
この男は、俺の主だ。
今の人間界を治めている一族の三男、一応それなりの地位。端正な顔立ちだが、その瞳はどこか眠たげだ。
「
強めに声をかけるが、こんなことじゃ起きないのは知っている。
俺は膝をつき、そっと頭に手を伸ばす。
細く、弱そうな首。俺が力を込めれば、すぐに折れてしまいそう。小さく息をしている、血色のいい唇。
「起きろ」
ぱん、と頬を叩いた。
声を上げて転がる夢夜。ちょっとはたいただけなのに、かなり痛かったようだ。弱い、弱くて脆い。
「
ちょっと涙目になっている夢夜に背を向けた。庭に咲く桜が、俺を眺めている。
「誰が優しく起こすか」
冷たく毒づく。そのまま跳躍し、縁側の庭の土を踏んだ。じんわりと冷たい。
「飯だとよ。早く行きやがれ」
はいはい、とだるそうに体を起こす夢夜。それを横目で見ながら、桜の木によじ登る。ふすまに手をかけ、何かを思い出したのか、夢夜は紅、と呼びかけた。
「戦の話。また後で話すから」
ちょうどいいくぼみに背を任せ、空に浮かぶ雲を見る。
俺はこいつら人間にとって、鬼と呼ばれている種族。本当は人間が住んでいる境界線を越えないのだが、夢夜は別。人間の世界は複雑で面倒くさい。
離れという今の屋敷に住んでいる夢夜に使われ始めて、どのくらい経っただろう。
都と呼ばれる人間の住処に暇つぶしに来て、この離れに散策に来た。夢夜に出会ったときも、こんな花吹雪の中。
あの時から俺は、夢夜に囚われた。
それから、この桜の木が俺の寝床になった。いくつもの合戦であいつと戦ってきて、戦場では『夜叉御前』とか噂されている。
この離れの屋敷には入らない。夢夜は何も言わないが、『来い』とも言わない。俺にはその態度で充分解っていた。
それにこの離れの中には、もう一人の鬼が居る。夢夜の亡き想い人に面影が似ているという、。古くから都に居て、代々家の者に憑くという。見目麗しく、その瞳で都の戦乱を扇に映して読むと噂されているらしい。
そこまで考えて、俺は目を閉じた。
「紅、行こう」
馬に跨り、呼吸を整えている夢夜。ちなみに俺は徒歩。鬼の俺が馬に乗ると、暴れだしてしまう。俺は走っても馬に追いつくので、徒歩でも何も問題は無い。
「…あれが若様の夜叉…」
「紅い髪がまるで炎のようだ…」
「だがまだ童子のようではないか…」
五感が鋭いせいで聞きたくもない声も拾ってしまう。夢夜の横を歩きながら、小さく舌打ちをする。
「紅、鬼も恋をするのか?」
思わずずっこけてしまった。唐突に、しかも痛いところを突いてくる。
夢夜は子供のような顔で、俺を笑う。
「何でいきなりそんな話をしやがる」
「夜叉御前」〜合同短編集「つづりぐさ」収録【11/22文学フリマ東京 サンプル】 ワニとカエル社 @Wani-Kaeru
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