第6話 襲来


 聞きなれた鐘の音が聞こえる。

弱まりながらも響き渡る振動は歩を進めている幾人もの少年少女に現実を突き付けていく。

 「やっぱり、みんなまだ気が抜けてる感じするね。アニキ」

 「だなー。二日前まで学校祭だったし、場所によっちゃ片付けが残ってたりするみたいだからなぁ」

学ランをたなびかせ、あくびを漏らしながら正門へと向かう男は鱶丸。

その隣にいる沙紀美は彼の言葉に対して頬を掻く。

 「…うん。僕のクラスもそうだからね。大体の後片付けは終わってもまだ少しだけ残ってて……」

 「最終日にやった学年は特にそうだよな。しかも、お前のクラスは次の日に打ち上げやってそのまま友達の家に泊まったとか言ってたし尚更か」

 「うん。みんながみんな泊ったわけじゃないけど、帰った人たちに『やっておいて』、とは言えないし。

……ふざけて言ってた人はいたけど」

 「はは、仲の良いクラスだな」

 「うん」

微笑みをもって頷き、鱶丸から視線を外して正面に向き直る沙紀美。

その先には海風でポニーテールの毛端が風に揺られているジャージ姿の漆が居た。

 「や、おはよう。学校祭気分は抜けたか?」

 「おはようございます。

俺は平気ですけど、沙紀美はどうですかね。なんせ、優勝クラスですし」

 「ちょ、アニキ!僕も平気だって!」

 「はは、わりぃわりぃ」

鱶丸の言葉に沙紀美は頬を赤らめて怒る。

優勝ーーつまり、例の三つの選考で上位の成績を収めたクラスのみが手に入れられる称号だ。

沙紀美のクラスの一ー三は、TS喫茶なるモノを行っていた。

本来は男女の性別が逆転する事を言い、彼のクラスは男装女装をその言葉で表したのだ。

男装喫茶、女装喫茶と言えば比較的聞き覚えのある単語だが、TSと言い換える事により物珍しい印象を与え足を運んでもらいやすくし、実際に来た人々にはその完成度で圧倒するーーという、中々に考えられた喫茶店だった。

その努力が実り、三つ全ての賞で三位以内を取った彼らは見事に最優秀で賞を手にしていた。

…中でも、沙紀美の女装は群を抜いて人気だったらしく、彼は思い出す度に恥ずかしさで赤面してしまうのだ。

 「私のクラスも良い線行ってたんだがなぁ…。実際に女装した沙紀美君を見てみたら、負けたのも納得だったよ」

 「白佐碼先生まで!?」

 「ふふ、すまんすまん。負け惜しみだと思ってくれ」

 「……もう、知らないです。

じゃあね、アニキ!」

鱶丸にのった漆の言葉で更に顔を赤くした沙紀美はそのまま一人で校舎へと向かってしまった。

 「あーあ、怒っちまった。ちょっと意地悪し過ぎたな」

 「だな。すまん鱶丸」

 「俺はまぁ平気ですけど、先生の方がヤバいんじゃないですか?あいつ、生徒会で会計やってるし、部費とか」

 「ぐっ…。

……後で、ちゃんと謝っておく」

肩を落として項垂れる漆の姿も気にせず鳴り響く予鈴。

 「……とりあえず、先行ってますね」

 「あぁ」

ともかく、遅刻にならないよう教室へと急ぐ鱶丸だが、後ろからは漆の嘆くような声が聞こえた。





 普段通りの様相に戻った教室。

数日前までは客を受け入れるために並べられていたはずの机は既に元通りになり、会話こそ学校祭の話題ばかりだが、教室に面影はない。

 「おはよ」

胸に覚える僅かな寂寥感。

 ーーどうせなら、優勝とか目指した方が良かったかもな。

今更だとは思いつつもそんな事を考えてしまう。

 「おー、海原!学校祭、お前の言った通りやっぱ楽しかったな!」

 「だね~。優勝とかで妙にバチバチしてたとこもあったけど、ウチらは気にする必要なくて良かったよ。

変に悔しい思いしなくて済んだし」 

 「とか言って、俺らの筋肉見る余裕があって嬉しかっただけだろ?」

 「うぬぼれんな、バーカ」

教室に入ると同時に鱶丸へ話しかけてくる笑顔のクラスメイトたち。

最初こそ彼に話しかけていたが、いつの間にかそれぞれが思い出話に花を咲かせている。

 「おはよ、鱶丸。みんな嬉しそうだね」

 「あぁ、おはよ。

だな。あんまり気合入れすぎなくて良かったよ」

 「…うん」

クラスメイトたちの隙間から現れた空に話しかけられ、頷く鱶丸。

彼の中に訪れていた小さくも無視できない後悔は、知らぬ間に消えていた。

 「おはよう、みんな。さ、ホームルーム始めるぞ」

 「「「「「はーーい」」」」」」

教室に現れた漆によって自身の席に戻っていく皆。

 ーーこれから、いつも通りの学校生活が始まるんだな

そう考えながら鱶丸も自身の席へと向かった。







 いつも通りの授業に辟易した全員を助けるチャイムが校内中に鳴り渡る。

十人十色な疲労顔を携え教室を後にするクラスメイトたち。

彼らが向う先は部活や繁華街で、行き先によって濃さの違う色は見ている人たちの心を少しだけ揺さぶる。

 「鱶丸、今日も青乃君と遊びに行くの?」

 「あー、多分そうだな」

 「そっか、楽しんできてね」

 「お、おう」

鞄に荷物を詰めつつ交わされる、とりとめのなく聞こえる鱶丸と空の会話。

しかし、彼女からはそこはかとない威圧感を覚え、帰宅部である鱶丸は少しだけ命に危険を覚える。

 「…なんてね、冗談。私のは運動部ほどあからさまに体力使う訳じゃ無いからそんなにでもないよ。

ま、少しだけ羨ましいけどね」

 「は、はは。ちょっと怖いからやめてくれ」

明らかに冗談では出せない威圧感を思い出しながらも下手な刺激を与えないように気を配る鱶丸。

父親の手伝いをするために帰宅部を選択した彼ではあるが、同時に気を遣った父親は余程の事がない限り手助けを求めはしなくなっていた。

その事を知ってはいる空だが、それとこれとはまた違うのだろう。

 「ア~ニ~キ~!遊び行きましょーよーー!」

疲れを逆なでする音を鳴らしながら開かれる扉。

噂をすれば影。そこに現れたのはボタンを開けて学ランを着ている青乃だ。

 「……チッ」

 「え、姐さん何でいきなり舌打ち…?」

 「ううん、気にしないで。それじゃ!」

ニコニコと微笑んで美術室へと向かう空。

……背後からは、苛立ちのような靄が可視化しそうだった。

 「……お前、もうちょい空気とか、読んだ方がいいぞ?」

 「へ?」

本当に分からないといった感じで首を傾げる青乃に同じく首を傾げる鱶丸。

…寧ろ、教室にまだいる部活動を持った生徒たちから一心にヘイトを買っている事に気が付かない方が幸せなのかもしれない。

 「それよりアニキ!行きましょうよ」

鱶丸の正面にあたる椅子に跨るようにして腰を下ろし背もたれに体を預けて座る青乃。

余程今日一日が辛かったのか、目をキラキラ輝かせている。

 「あー、うん、学校祭の報告書をまとめてからな」

が、青乃の想いが直ぐに遂げられる事は無く、鱶丸は机の中から数枚が束になっているレポート用紙を取り出した。

 「報告書?」

 「あぁ。材料費とか諸々の出費と売り上げとの差額を出して、どうしてそうなったのかを委員長の二人がまとめるんだ。

昨日まで空が持ってたから、俺の考察分を書くところ。次の時に役立つらしい」

 「へぇー、そんなのあるなんて知らなかったッス」

 「俺たちも、これ渡された時に知ったよ」

 「いつ頃ッスか?」

 「後夜祭終わってからだから、金曜の夜だな」

 「ありゃ~……」

それなりに酷い話に青乃は言葉を失い苦笑いを溢す。

 「……じゃあ、終わるまで話し相手にでもなりまスかね。

飲みもん買ってくるッス」

 「…サンキューな、青乃」

 「大丈夫ッス。直ぐ行ってきますから」

 「おう、コケんなよ」

 「分かってるッス!」

何処か元気が無く聞こえる彼の言葉に明るく返す青乃。

彼は立ち上がると、そのまま勢いで教室を出て行った。

……はずのところで。

 「いでッ!?」

 「あー、言わんこっちゃない」

教室の出口付近で盛大に転んでいた。

 「平気ッスからー!」

 「おーう」

特に怪我の無い顔で笑顔を鱶丸に見せると、直ぐに自販機へと向かった。

 「…あいつ、張り切ると直ぐ転ぶんだよなぁ……。

階段とかでやんなきゃいいけど」

どことなく不安を覚えながらも鱶丸は報告書の作成に取り掛かった。



              ーーーーーーーー



 青乃が教室を出てから約五分後。

彼は外にある自動販売機の前で二人分の飲み物を買っている最中だった。

 「アニキはお茶で、俺はっと」

財布から五百円を取り出しまとめて購入する青乃。

 「しっかし、部活があるとスポドリとか無くなってんなぁ。暑いからアレが良かったんだけど…」

自分用の炭酸飲料を取り出しながら嘆く。

……その中で、どこからか声が聞こえた。

何かを言い争う訳でもなく、さりとて友人同士の会話でもなさそうなそれは、青乃が現在いる位置から少し離れた場所にある太い桜の木の裏からだ。

 「……?」

立ち位置を変えずに覗き込もうとするも、一人の背中が僅かに見えるだけで何が起きているのかは全く分からない。

静かではある。……だが、どうしても拭いきれない不穏さがそこにはあった。

明言化し難い違和感を抱え、視線を離せずにいる青乃。

訝しさの漂う中、不意に、木の影から発せられていた違和感が鳴りを潜める。

 「終わった…?」

眉間に寄ったしわを戻さず、僅かに見えている後姿に注意を向け続ける。

白銀の長髪の、見慣れないセーラー服の学生。

恐らくはこの学校の生徒ではないだろう。

何処かへ転校した元女生徒が、こちらに来る機会があったので顔を見せに来た。或いは学校祭の日程を間違えた誰か……そう青乃は推測したが、その女学生の全体像が現れた途端、彼の考えは完全に否定された。

 「…マジかおい」

青乃の視線が釘付けになった先にあるのは、不気味なほどに骨の装飾が施された細長い太刀。

くすんだ白の中に黒ズミが歪な円形の瘢痕のように点在し、人でいう肋骨を想起させる骨の連なりが鞘に纏わり付いているように見え。

握り手は脛骨を模したもので造られ、柄の部分には胸骨体を尖らせたモノが鋭さを誇っていた

 「なんでそんな物騒なもん持ち歩いてんだよ、あの女」

明らかな非日常を携帯しているはずの女学生は、けれど、彼女を見ている青乃の目にはその太刀が【危険な物】ではあっても【異常な物】として捉えられてはいない。

非日常とは日常に混じって初めて異常として認知できる。が、それが出来ていないのならば理由は一つ。

太刀を持っている女学生にとって、携帯している事は当たり前。という事だ。

 「…コスプレ、とかじゃねーよな。流石に。ヤバい匂いしかしねーぞ」

知らず知らずのうちに後退っていく両足。

彼の中にある本能が[逃げる]という選択肢のみを示している。

……だがそれも数秒の間のみ。

木の陰で女学生と会話していただろう人物の姿を間の当たりにした時、彼の思考から[逃げる]という選択肢は綺麗になくなっていた。

 「……沙紀美、君?」

しゃがんだ女学生の背に乗せられているのは鱶丸の弟、沙紀美だ。

 「アニキたちの家族…じゃねえよな」

桜の木から離れ、どこかへ向かって行く二人。

言いようのない不安感を覚えた青乃は、彼女達の後を見つからないように追いかけていった。









 学校という場所は得てして、死角とも呼べる【人が滅多に訪れない場所】がある。

体育館の裏や、倉庫。校舎裏や職員用の駐車場などだ。

甲斐総高校にもそういった場所は当然存在する。

他のところではあまり見られないかもしれないが、この学校の死角の一つは、旧体育館だ。

鱶丸たちが入学するおよそ八年前。甲斐総高校はかなり年季の入った建物だった。

それを市長が変わった際、彼の母校であるここを改装・増築し、現在の校舎へと至った。

本校舎やグラウンドなどはすっかり面影も無くなり、体育館に関しては全く新しいものを建てている。

しかし、当時の校長の『少しくらい残した方がいい』という要望によって建て替える前の体育館が残された。

当然、元のまま残しておくには敷地面積が足りないため、大きさを四分の一にまで小さくしている。

現在では年一行事等用ーー学校祭で使用する物などをしまう道具倉庫として使われている。

……のだが。

人があまり来ないという事は、それだけ素行不良学生……所謂、不良のたまり場として目をつけられてしまう。

実際、この旧体育館は以前まで青乃が授業をさぼる時によく来ていた場所だ。

 「関係者…じゃねぇよな。なんでこの場所知ってんだ?」

一切辺りに気を遣わず無心で旧体育館へと向かって行く女学生。

彼女の背に乗っている沙紀美はピクリとも動いていない。

 「何で寝てるんだよ……」

木や生垣などの物陰に極力隠れながら後を追いつ続ける青乃。

ここに来るまで、女学生と沙紀美の共通点を幾つも考えた彼だが、納得出来る答えは一つも思い浮かばない。

これでもしもあの二人が親しい間柄だった場合、自分は変質者以外の何者でもないだろう。

そう考えると今すぐにでも引き返したくなるが、違和感は彼の中で危険信号と変わり脈拍として変わり鳴り響いている。

 「クソッ。アニキを呼んできた方が良かったか?」

煩わしい鼓動を諫めるように鳩尾辺りを握るも音は一向に収まらない。

どころか、そうこうしているうちに旧体育館に到着してしまった。

 「……しゃーねぇ。こうなったらヤケだ」

旧体育館の中へと消えていく二人の後を追い、青乃は大声を上げた。

 「おい!!誰だお前!沙紀美君に何をした!!!」

室内に響き渡る青乃の声。

だが、女学生は振り向きもしない。

 「……ッ!

おい、お前だよお前!!刀女!!!」

二度目の咆哮。

今度は怒りの混じった叫びで、女学生は青乃に振り向いた。

 「それって、私かしら」

凛、と、澄んだ声だった。

どこまでも清らかで、無垢で、耳に心地よい声。

だが、その視線は全くの逆だった。

 「なんだよ……お前」

 「この子の姉だけど?」

彼女の目を見た青乃は、皆既日食の日を思い出す。

太陽と月が重なり、炎を纏った黒円。真の意味で漆黒を体現した恐怖の象徴。

彼女の目は、まさに炎を纏っていないそれだった。

 「姉って…嘘つくな。そいつには兄貴しかいねーぞ」

かたかたと震えだしそうな両膝を必死に堪えて反論する青乃だが、声が僅かに上ずっている。

空意地を張っていると分かっているのか、女学生は、ふふっ、と美しく整った顔を破顔させると、背負っていた沙紀美を近くのマットに下ろした。

 「…なにがおかしいんだよ」

 「いいえ。別に」

沙紀美の髪を優しく撫で、立ち上がる女学生。

 「ただ、人さらいにも意地はあるんだと思うと、ね」

 「何言ってんだ、お前……?」

そうして、数秒前までは優しさに溢れていたその手を、凶器へと伸ばす。

 「悪いけど、連れ帰らせてもらうわ」

 握られる太刀。まばたきの間も無く、光を鋭利に反射させる刀身が引き抜かれた。

 「だから何言って……」

刹那。

青乃の眼前で、鉄と鉄のぶつかり合う音が弾けた。

 「は……え…?」

 「……ふぅん。貴方も、化物」

息がかかるほどに迫っている女学生と太刀。

上段に振り下ろされていた太刀を引き、彼女は胴元へと切り返す。

が、それもまた鉄の音と共に防がれ、青乃の元へは届かない。

 「結構頑丈なのを飼ってるのね」

二撃目も拒まれた女学生は、普通では達せないはずの位置まで一息に距離を取る。

 「……と、思ったけど、違うのかしら」

片手で太刀を握りしめ、青乃の動きを探る女学生だが、どうも彼の様子がおかしい。

腰を抜かしてその場に座り込み、過呼吸気味に呼吸を繰り返すさまは、彼女の予想していた[化物]とは無縁の行動だ。

ならば、何故自分の攻撃が防がれたのか。

彼女の思考に疑問が現れると、どこからともなく、低い女性の笑い声が聞こえてきた。

 「あぁそうだ。そいつは妖怪憑きでも何でもねぇ。ただの人間さ」

何もない空間から発せられる言葉。

それが最も響いているであろう場所に視線を向けた女学生は、次の瞬間には声の主を目で捉えられていた。

 「はは。流石に勘がいいな、お前」

 「……妖怪ね」

 「正解」

何もなかったはずの空間に突如として現れた、二メートル近くある背丈の何か。

見た目だけなら寄せ集まったガラクタのようだが、注意深く観察すると、陶器品などが鎧のようになって人間に纏われている風に見える。

 「アタシの名前は瀬戸大将のセトだ。あんたは?」

 「……ノエル。その子…シエルの姉よ」

刀を握りしめ直し、四肢に力を籠める女学生ーーノエル。

それに合わせ、セトは背負っていた薙刀を握る。

 「そうか。けど、残念。その子は沙紀美って」 

言い切るよりも早く距離を詰めるノエル。

 「言うんだぜッ!!」

言葉と同時、両者の刃が火花を散らして再びぶつかり合った。

互いの刀身を削り、つばぜり合う。

獣のような笑みを浮かべ力比べに興じるセトと、想像以上の胆力に歯噛むノエル。

 「…ちっ」

これ以上は埒があかないと感じたのか、舌を鳴らしたノエルは一足飛びに距離を取った。

 「……ははは、いいね。無茶苦茶手が痺れてる。

お前、どんな妖怪が憑いてんだよ」

薙刀から右手を離し、感覚を確かめるように握り締めるセト。

面付きの兜からでは表情が分からないが、口端を吊り上げて微笑んでいる事だろう。

 「………さぁ。何かしらね」

 「ッは、連れねぇな。乙女同士仲良くしようぜ」

再びセトは薙刀を構える。

彼我の差は決して一瞬で達する事の出来るものではない。

だが、ノエルは既に三度もまばたきの間にその距離を詰めている。

いつまた彼女がセトの眼前に刃を振り下ろすか分からないともなれば油断は禁物だ。

ただでさえ、『見守るだけ』と指示されていたのに戦闘にまでなってしまったのだ。セトにこれ以上の失態は許されないだろう。

 「…そうね。じゃあまず、メイクの落とし方でも教えてあげようかしら」

 「何……?」

言うと同時。ノエルは太刀を鞘に納め始める。

美しく、流れるように隠れていく刀身。

キン…。と、鈴のような鋭くも儚い音が薄明りの中に消え入った。

瞬間。

 「…………………」

 (な、なんだ!?)

辺り一帯に、緊張と静寂が一瞬にして溢れ返った。

 ーー身体が…動かねぇ!?

僅かな違和感を感じ、身構えようとするセト。

だが、手足はおろか口すらまともに動かない。

 ーーヤバい。これは、良くない!!!

先程までの二人の戦闘によってぐちゃぐちゃにかき回されていた旧体育館内の空気が確実に正しさを取り戻していく。

まるで、何事もなかったかのような、静寂を。

動する者が存在する以上、絶対にあり得るはずのない完璧な空気の静寂が訪れた刹那。

 「……………抜刀」

 「なッ!?」

ノエルは、セトの真後ろに立っていた。

僅かに、砕ける音が響く。

 「……ふぅ。疲れるのよね、これ」

既に納刀を終えているノエルは振り向く。

その先にいるのは、兜と面が欠けたセトだ。

 「……へぇ。貴女、見た目の割に結構可愛い顔してるのね」

 「………ぬかせ、クソ女」

露わになった顔を隠し悪態を突く。

流血はない。ノエルの刃はセトの顔にまでは達していなかった。

……だが、彼女の浮かべる焦り一つない表情。仮にもしも、あえて兜と面のみを砕くためだけに振るったのだとしたら。

そう考えると、セトの口元は引きつっていった。

 「あら、随分ね。乙女同士、仲良くするんじゃないの?」

悪戯っぽく微笑む彼女の顔にやはり焦りはない。

 「ふふっ。貴女、さっさと帰ったら?私が用があるのはシエルだけ。それ以外のモノには興味ないわ。

だから、ね?殺すのは疲れるの」

変わらず笑顔を見せるノエル。その右手は、再び柄を握っている。

 「はっ。随分な自信だな!」

 「そうかしら。出来る事を出来ると言ってるだけよ」

セトは砕けた面の一部を拾い上げ、欠けた場所にはめ合わせる。

すると数秒もしないうちに、継ぎ目はあるが元のように形が戻った。

 「……へぇ。面白い能力ね。壊せるかしら」

 「ふん。妖怪、なめんなよ」

両者の間に緊迫が走る。

太刀を、薙刀を、引き抜けば簡単にお互いの首を切り落とせる距離。

ノエルの抜刀速度は尋常ではない。先程のように条件が整わなかったとしても、並みの手合いでは後手に回ってしまうだろう。

対して、セトの持つ薙刀はノエルの太刀よりも長い。全く同じタイミングに全く同じ力で振るえば、速度で後れを取る事は想像に難くない。

故に、セトに求められるのは先読みの眼だ。

ノエルが刃を鞘から引き抜くほんの一瞬。その筋肉の機微を読めなければセトの首は地面に転がってしまう。

 「……………」

 「……………」

互いの呼吸音さえ聞こえなくなる。

微風でさえ煩わしく聞こえてしまうだろう旧体育館。

あまりにも重い空白の時は、外から響いた笛の音で終わりを告げる。

射し込む斜陽に煌めく太刀の根本。

鈍く光る薙刀の刀身。

紫電一閃。両者の刃が互いの首目掛け白光の軌跡を描く。

刹那の先にある紅華が咲くその瞬間。

 「やめろ!!!!」

男の怒声で、ピタリと、軌跡が消えた。

 「な、なんだか知らねーけどよ!!それ、しまえよ!なぁ!!」

殺気だった二人の視線が捉えるのは、シャープペンシルを沙紀美の首元に突き立てている青乃だった。

 「お、お前。刀女!こいつの事探してたんだよな?いいのか、それしまわねぇと、刺しちまうぞ!」

言い終えるよりも早く、シャープペンの先端を更に押し付ける。

沙紀美の首元からは、微かに赤い血が流れていた。

刀を納め、沙紀美を抱く青乃に向き直るノエル。

見開かれた彼女の目は、微動だにしない。

 「………………………なに、してるの」

ポソリ、と、言葉が漏れる。

時を同じくして彼女の身体の周りから何か白い糸が舞い上がった。

 「ねぇ。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ。ねぇってば」

一つ、二つ、四つ、八つ、と、倍々に増していく糸は、けれど実体はない。

やがてそれらは彼女の背後で渦巻いていく。

 「早くどかして、それ。ねぇ、ねぇねぇねぇ!!!!」

何かを形成していく糸は、まるで人骨のようで。

 「大丈夫か!セト!!」

 「助けに来ました!!」

どこからともなく上がった声。

聞こえた先は、入り口に立つスーツ姿の男女だ。

 「おせぇぞ!!この女、相当やべぇ!!」

 「…………チッ」

姿をかき消し、すぐさま沙紀美と青乃の傍へ現れたセトはスーツ姿の二人ーー森田と那須に怒鳴り上げる。

 「三対一……ううん。四対一、か」

 「動くんじゃない!」

 「両手を上げなさい!!」

背後に現れていた糸の纏まりが消えたノエルは、銃を構える二人の牽制を意にも介さず青乃の方へと視線を向ける。

 「………万が一、は嫌よね」

 「動くなと言っただろう!!」

猛る森田は定めた照準のまま引き金を引く。

弾ける撃鉄と炸裂する火薬。

凶音を響かせ、直進していく弾丸の行きつく先はノエルの頭部だ。

一秒にも満たない死の一閃。しかし、それは脳を吹き飛ばすに至らなかった。

鉛と何かがぶつかり合う激しい音が鼓膜を刺激する。

 「…そんな。銃弾、ですよ」

音の元凶は、恐らくノエルの持つ太刀の鞘底から鳴ったモノだ。

森田が発砲する前、彼女の鞘は地面に接するくらい近かった。だが、那須が次に見た時には鞘底は天井を向いていたのだ。

つまり、彼女は背後から飛んできた弾丸を確認もせずに鞘底で弾いたのだ。

 「…はは、冗談だろ」

まさかと思い、鞘が指し示す先を見上げる森田。彼の目に映ったのは、否定した予想の通り、木製の天井に開いた小さな穴だ。

 「シエルに当たったらどうするつもりなのかしら」

ギロリと、森田と那須を睨みつけるノエルは携えた太刀を正しい位置に戻す。

 「こんな狭いところで戦ってシエルに何かあったら嫌だから、今回は諦めてあげる」

近くにある大道具などを足場に飛び上ってそう言うと彼女は天窓を開ける。

 「…次はないと思って」

殺意のみが込められた言葉を残し、窓から外へと出て行った。

 「や、ヤバかった」

少しの間の後、完全に去ったと判断したのか、セトは大きな物音を立ててその場に座り込んだ。

 「悪かった。ちょっと遠くの方に居てな」

 「ざけんな。こちとら死ぬ直前だったんだぞ。ダッシュでこい」

 「全速力でこれだったんだ。許してくれ」

近くの棚に背を預けたセトの元へ歩み寄ってくる森田。

彼はセトに手を差し出し、彼女を立ち上がらせた。

 「ったく。相変わらずおもてぇな」

 「ぶち殺すぞ凡人」

 「なんだと!?」

 「先輩。いいから早く手を貸してください」

会話する二人の横で青乃と沙紀美を介抱する那須。

肩を叩いたり、話しかけたりするが沙紀美も青乃も返事はない。

が、呼吸はしている。どうやら気を失っているだけのようだ。

 「……無理もないな。いきなりあんなのと対面したんだ。意識が飛んだって仕方ない。

那須」

 「はい」

森田の呼びかけ頷き、沙紀美を背に乗せる那須。

同様に森田は青乃を背負った。

 「オレは一応、学校の周りを見てくる。多分いないとは思うが、念のためだ」

 「分かった。無理だけはするなよ」

 「あぁ。死にたくはねーからな」

砕けていた兜の破片を集めていたセトは、面を直した時と同じように欠けた部分を元に戻すと、森田にそう告げ姿を消した。

 「……さてと。それじゃあ俺達はアニキ君に会いに行くか」

 「ですね。彼は二年生。二階の真ん中にある教室にいるはずです」

 「了解。

保護の話、これで聞き入れてくれるといいんだがな」

 「はい」

会話を交わした二人は、旧体育館の入り口で辺りを見回すと、人気がない事を確認してから隠れるようにして鱶丸の待つ教室へと向かった。








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