第5話 暗躍、正体


 慌ただしくも明るい雰囲気に包まれた教室。

普段の学業特化の風景からは遠く離れ、客人をもてなす柔らかさを帯び始めていた。

窓には誕生日会で見られる輪飾りを吊るし、机は四つで一組のテーブルへと姿を変えその上には落ち着いた色のテーブルクロスが引いてある。

学校祭の準備の殆どが終わった現在、残っているのは幾つかの仕事だけだった。

 「さてと。それじゃあお待ちかねの材料の仕分けと名簿製作、それにローテーション決めだぞ」

大方のセッティングも終わり、半数程度の手が合い空いた事を確認した鱶丸はクラスメイトたちに呼びかける。

目的は、後回しにしていた面倒事を片付ける事だ。

 「昨日言ったように、材料は調理班、それ以外はホール班で分担する。調理班はリーダーの空の指示を仰いで行ってくれ。ホール班は俺だな。

今やってる作業がある奴はそれが終わり次第自分の班に合流してくれ」

 「「「「「あーーーい」」」」」

クラス全体から上がる、明らかに気怠い声。

それもそうだろう。準備がほぼ終わった今に於いて感覚的には放課後とさほど変わらない現状。

その中で班分けされ、自身ではなく全体のペースに合わせて事を進めなければいけなくなったのだ。本来の学校生活としては当たり前の状態であっても、楽さを感じている現在ではただのストレスでしかなくなっている。

加えて、材料の仕分けは特に面倒だ。臨時で調理班意外が調理する事になってもいいようにするため、作るのに必要な分量をあらかじめ小分けにして分かりやすく保管する事になっている。皆で決めている間は良案だと判断され可決されたが、いざ開催日が近づくとその面倒さが露呈し、昨日まで暗黙の了解のような扱いを受けていた。

メニューが飲み物と合わせて十品程度なのも、面倒さが勝ったからだろう。

 「はーい、それじゃあみんなついて来て―」

 「「「「「あーーーーい……」」」」」

空の呼びかけに応じて場所を移動し始める女子生徒と数名の男子生徒。なんとも言えない微妙な表情をしている彼女らの行き先は暗黙の了解が待ち受ける調理室だ。

 「んじゃ、俺らも始めるか。余裕があればついでに衣装合わせもしちまおう」

 「「「「「あーい」」」」」

男子生徒ばかりが残った教室の中で鱶丸は、普段はあまり使わない教室の後ろにある連絡用の黒板の前に立った。

板の半分以上がプリント類で隠れているにも関わらずこちらを使うのは、いつも授業で使っている黒板は既にデコレーションが済んでしまっているからだ。

 「前の黒板は絵が描いてあったりするからこっちで勘弁な。右半分しか使えないから遠くの奴は見えなきゃ言ってくれ」

白いチョークを手に話し始める鱶丸。

彼が書きだしたのは一日の日程を簡単に記した表だ。

 「知ってるとは思うが、俺らがメインの日は四日ある学校祭のうちの二日目、つまり明日だ。例年、一番来客の多い日だな。

ってなれば、必然的にシフトが厚くなる。みんなには悪いが当日はかなり忙しくなると思う。一応覚悟しておいてくれ。

早く終われば今日開催している部活の方の出し物を見に行くのもいいかもしれないな。何かしら参考になるだろうし」

言いながら表に時間を埋めていく鱶丸。

そうして出来上がったものに線で区切りをつけ、時間毎の空欄を作った。

 「でだ、まずはみんなの要望を聞きたい。結果的には何人かが不本意な時間になっちまうだろうが、極力避けられるように組みたいと思う」

言い終えると同時、教室内に流行りの曲が流れ始める。

明日以降から本格的に始まる学校祭に流す曲のリハーサルだろう。

主に身内と楽しむのがメインの今日は、外にある部活動が大半の出店を担っている。

確実に忙しくなる明日以降の練習として活用しているのだろう。

 「シフトは全部で三つに分けたいと思う。分かりやすくするのに、朝番、昼番、夜番と言う事にするが、十時~十六時が開催時間の、二時間交代だから実際の意味とはだいぶ違う。その辺りは気にしなくて大丈夫だ。

シフトの誰かが何かしらの事情で急に出られなくなった場合は次の時間の奴がヘルプに入るようにするつもりだからその辺も考えて組めるといいな」

時計を確認しつつ説明し終えると鱶丸は一旦チョークを置き、男子生徒たちに向き直る。

 「ここまでで何か質問はあるか?」

そうして尋ねると、一人が手を上げて話し始めた。

 「俺、彼女と回る約束してたんだけど向こうの時間分かんないから決めらんねーわ」

 「その場合は一旦決めた後に他の時間の奴と相談してくれ。別の時間から一人ずつお願いする相手選んどけば大丈夫だと思う。

他にも、友達と回る予定があるって奴は同じようにして回避してくれ。各時間帯に六人いる事だしどうにかなると思う。

シフト表を先生に提出するよりも早く分かるようなら反映できるから、出来ればすぐに決めて欲しいけどな」

苦笑いを含みつつ質問に答えると、挙手していた生徒は納得したのか頷いて手を降ろした。

 「それ以外になければ一人ずつ書いていってくれ。俺は人手が足らないところに入るから、気にしなくて大丈夫だ」

再び手にしたチョークを生徒の一人に渡し、書くように促す。

応じた生徒は立ち上がると枠の中に名前を書き入れ、別の生徒に渡していった。

そうやって十七人が書き終わり、最後の一人になった鱶丸はシフトの足りていないところに名前を書き入れ、表が完成した。

 「特に問題なく決まって良かった。

さっきも言ったように、変更する場合は期間内に言ってくれ。もう一度俺らが集まる時間を作る。

あと、この表は当日もこのままにしておくつもりだから分からなくなったら見て欲しい。……本当はスマフォとかで写真が取れればいいんだが」

歯切れ悪く言い、頭を掻く鱶丸。

その憂いを補足するように、生徒たちが口を開いた。

 「ま、それはしゃーねぇ。今日一日は没収だしな」

 「言ってる事は分かっけどねぇ。友達といるんだから今更進みなんて変わらんでしょ」

 「同感」

彼らの言っているのは今朝行われた[スマフォ回収]の事だ。

学校祭最後の準備時間である今日は、気が散る物……つまり、スマートフォンを一時的に教師が預かり、準備に専念してもらおうという取り組みだ。

しかし、他者との繋がりを強くする側面もあるスマフォを取り上げたところで、実際に友人と会い話せる状況である現状ではあまり効果は出来ず、むしろ今の鱶丸たちのように無用な事態を招いてしまう。

 「まぁ、無い物ねだりしても仕方ない。各自、不安なら紙に書いたりしておいてくれ。一応、俺も書いてメッセージで送るが、学校にいる間に必要にならないとも限らないからな」

言いつつ教卓の方を指さし白紙の紙があるのを伝える鱶丸。

その視界の端に、何か人影が映った。

 「あれ、生徒会長?」

人影……教室の入り口付近で立っているのは、生徒会長の天野だった。

手には幾つか小さな箱を抱えている。

 「おはようございます、海原君」

視線が合ったと気が付いた彼女は、開け放たれている扉を軽くノックすると中に入ってきた。

 「どうしたんですか?」

 「これ、売り上げを保管しておくための金庫です」

尋ねた鱶丸に差し出されたその箱は、よく見れば簡易式のダイヤルロックがついている持ち運べるタイプの金庫だった。

 「あぁ、そういや取りに来てくれって沙紀美に言われてたっけか。

すいません、届けてもらって。ありがとうございます」

 「いえ、気にしないでください。他のクラスも忘れていますし、毎回こうらしいですから。忙しいので仕方ありません」

 「そう言って貰えると有り難いです」

礼を口にしながら鱶丸は金庫と暗証番号の書かれた紙を受け取る。

 「……筋肉喫茶、でしたっけ」

 「はい。そこに居る奴らが交代で店番する予定です」

必要な物を手渡すと、天野は軽く教室内を見渡す。

 「…生徒会としては言うべきではないのですが、個人的な意見だと二学年の中ではこのクラスが一番面白そうな内容でした。頑張ってください」

彼女の目に映るのはそこはかとなく筋肉トレーニングに使われるアイテムを模した品で飾り付けられている教室。

窓の輪飾りですら、エキスパンダーのばねっぽさを覚える。

 「ありがとうございます。

当日、来店する予定があるならお礼も兼ねてサービスしたいんですけど、どうです?」

内装を褒めてもらい、はにかみながら提案する鱶丸。しかし、天野は小さく首を振って口を開く。

 「いえ、訪れはしますが審査員でもありますのでそういったお気遣いはおやめください。あらぬ疑いをかけられてしまうかもしれませんから」

きっぱりとした否定に、鱶丸は一瞬面喰らってしまう。

だが、直ぐに笑顔を戻した。

 「そういう事ならわかりました。普通のお客さんと同じように対応します」

 「ありがとうございます。

……さっき行った別のクラスでは建前と思われたのか妙に勘ぐられまして。素直に頷いてもらえると、訂正する手間が無くて楽です」

 「ははは。大変でしたね」

かなり辛かったのか天野は疲労をため息と共に吐き出した。

 「あぁ、そうだ。後で看板取りに行きますね。内装の殆どが終わったので、もう置いといても邪魔にならないでしょうし」

 「分かりました。その際は預けた時と同様、書類にサインしてください。私の立会いの下でないとダメですので、来た時に居なければ少し待っててください」

最後に、店先……正確には教室前に立てかけて置く木製の看板の引き取り方法を説明し、天野は会釈をしてから教室を去った。

 「…ってなると、直ぐにいかない方がいいよな。

よし、それなら衣装合わせやっちまうか。各自、持ってきてるか?」

恐らく彼女は他の教室にも金庫を届けるだろうと考えた鱶丸は、先に予定していた衣装合わせを優先した。

 「しっかし鱶丸、俺らホントにアレ着るのか?」

 「……あー、まぁ」

それぞれが自身の鞄のある場所へと向かい、中から衣装を取り出し元の場所へ戻ってくる。

その手にあるのはおよそ一般的な喫茶店・カフェなどで用いられる物とは程遠い薄さ・少なさの衣類。

ジーンズ生地のような素材で作られたエプロンと、膝上までの黒いハーフパンツ、そして白いタンクトップ。

この三つが、彼らに許された制服の全てだ。

 「実質裸エプロン。変に気を遣われて海パンとかじゃねーのがタチ悪ぃ」

 「すっげー分かるわ、それ」

 「何言ってんだお前ら。『肉体美を見せてやる』とか言ってたのはどうしたんだ」

 「そりゃあそうだけどよ」

一人の発言を材料にして増えていく不満。

今更ながら変更などできないが、下手すれば当日ボイコットも有り得る。

それを避けるため、鱶丸は直ぐに不満を抑えるよう行動した。

 「なに、やってみりゃ案外楽しいと思うぞ?なんだかんだ言ってお前らみんな鍛えて来てるっぽいし、その辺は平気だろ」

 「ま、フカの言う通りだな。

これから変えるってのは無理だし、潔くも無い」

 「こればっかりは仕方ないよね」

同様に察したのか、鱶丸に他のクラスメイトが続く。

 「……まぁ、そうか」

その甲斐あってか初めに不満を漏らした男子が同意し、雰囲気が悪い方向に行く事は無くなった。

 「んじゃま、そろそろ着替えるか」

鱶丸の言葉を合図に、ホール班は着替えを始めた。






 喫茶店と化した教室内を練り歩くおかしな格好の少年たち。

彼らは今、普段の学校では出来ない背徳的行為に若干の喜びを見出していた。

 「なぁなぁ、俺の腕結構すごくね?」

 「いやいや、まだまだ甘い甘い。せめてこのくらい無いと」

教室の各所で筋肉自慢を始めている男たち。

班員の殆どが運動部という事もあり、皆それなりの筋量がある。

人に見せる際最もオーソドックスな腕部の自慢から始まり、サッカー部などに著しい発達が見られる脚部、或いは主張は激しくないが高水準にまとまったバスケットボール部のしなやかな筋肉等々。ボディビルやフィジークに興味のない人でも思わず魅入ってしまうような肉体がこの空間には在った。

……そんな鍛え抜かれた身体の中でも、一際目を引く肉体を持つ男がいる。

 「しっかし、やっぱつえーなお前」

 「そうか?」

健康的な日焼け、恵まれた体躯、薄くなく厚過ぎない筋肉の付きのその人物は鱶丸だ。

 「今も親父さんの手伝いしてんのか?」

 「時々な。昔ほどじゃねぇけど」

力こぶを作り笑顔を見せる鱶丸。

漁師を父に持つ彼は幼少の頃から力仕事をよく手伝っていた。

網や空箱の運搬や、大きくなってからは重たい荷物を運んだりと、年を追う毎に意図せず鍛えられた彼の身体は今や部活動に精を出す者にも引けを取らない。

どころか、全身をくまなく使っているため[見栄えの弱い]部分がなかった。

 「ま、それでも俺の方が上だけどな!」

 「お、言ったな?」

筋肉をアピールする鱶丸の格好に触発され、ボディビルさながらのポーズを取るクラスメイト。

負けじと鱶丸も新たなポーズを取り、筋肉の見せ合いが始まった。

 「おー、向こうもやってんなぁ」

 「俺らもやろうぜ」

別の場所からも上がる賛同の声。

結果、教室内で筋肉自慢が勃発した。

そこかしこから聞こえる力む声。

皆自身の最も発達している部位を見つけ出し、対面者との勝負に花をーーもとい、筋肉を咲かせる。

 ーーあれから十分か。思いの外経ってないな。

時計を確認しつつ咲かし合う鱶丸。

頃合いを見計らい、看板を取りに行くつもりなのだろう。

 「どうしたどうした!余所見なんてしてる暇あるのか?あぁん??」

その視線に気づき、己が肉体をこれでもかと見せつけてくる鱶丸の対面者。

相手はボディビル同好会の一人で、発言していた通り鱶丸に負けず劣らずの肉体を持っている。

しかし、万人受けするかどうかは少々怪しい。

 「まさか。ちょっと眩暈がしただけだ。あんまり鍛えられてるからさ。

【俺の次に】だけどな」

 「おぉ、言いてくれるじゃねぇの。それなら見せて見ろッ!お前の本気を!!」

煽られ、新たなポーズで更に力み筋肉を見せられる。

それらは逞しく発達し、正しく見る者を圧倒している。

だが、鱶丸も負けてはいなかった。

 「これで、どうだ!」 

 「ふ、逃げるのか?」

突如背後を見せた鱶丸は、しかし逃げる為ではない。

彼の背にある筋肉ーー僧帽筋の一端を、タンクトップの隙間から見せつけるためだ。

 「な、な、なんと……!」

ちらりと見える、鍛え上げられた僧帽筋に相手ーー中治は息を呑む。

美しくしなやかでありながら存在感を示すそれは、隙間から覗き見えるだけでも充分に魅入ってしまう出来だ。

……そして。

 「くッ……チラリズムには、勝てない、かーー」

思春期真っただ中の彼には、男の筋肉とは言え、チラリチラリと見える僧帽筋を思わず[見よう]と意識してしまった。

 「ふっ……。勝った」

ポーズを崩さず勝利を宣言する鱶丸。

けれど、彼の周りには新たな刺客が立ち塞がっていた。

 「悪いな、フカ。そいつぁ運動部の中でも最弱なんだ。

勝利を口にしたいなら、ナンバーワンのこの俺、一村を倒してからにしてもらおうか」

 「いや、最速でトップを取りたいならこの僕、杉一の方がいいぜ。こいつはさっき倒した」

 「いや、倒されてないが」

 「認められないのは分かるが諦めな」

 「はぁ、嫌だ嫌だ。弱い者同士の争いはさ。

やり合うなら私の方がいいぞ?なんたって、全国に行ったバスケ部なんだからさ」

 「「おめぇは補欠だろ考井!!」」

 「それがどうした弱小部共め!!」

驚くほど簡単に熱を帯びてゆく一帯。

気が付けば、鱶丸の周りには筋肉を自慢したがるむさくるしい男が更に集まっていた。

鱶丸を除き、その数八。彼を含めればクラスの男子のおよそ半数が争いを求めて集まってきたのだ。

 「……しょうがねぇな。まとめて相手になってやる!かかってこい!!」

 「「「「「上等だ!!」」」」」

鱶丸の言葉を皮切りに、クラス内対抗ボディビル大会が(誰も意図せず)始まった。

……ちゃっかり、負けを認めたはずの中治も下剋上を目論んでいた。







 「ぐ……負け、た……」

下唇を噛み締め膝をつく一村。

彼の横には同様に床へ倒れ伏している中治、杉一、考井、更には他の男子生徒もいた。

 「…長い、戦いだった」

その中で一人、椅子に背を預ける者がいる。

ーー鱶丸だ。

激戦に次ぐ激戦の末、命からがら勝利を手にした彼は、額に光る爽やかな汗を逞しい前腕筋群で拭う。

 「……あ、時間」

時を忘れ勝負に熱中していた彼は天野との約束を思い出し時計に視線を向ける。

けれど。

 ーー十五分しか経ってない?

かなり熱中していたにも関わらず、先ほど確認した時からまだそれほど時間が経っていなかった。

 「まぁでも、二十五分は経ってるのか……。

それなら頃合いか」

 「ん?どうしたんだ」

 「いや、そろそろ生徒会室に行こうと思ってな」

鱶丸の独り言に気が付いた一人が尋ねられ答えると、その生徒も時計を確認する。

 「なら行ってきたらどうだ?三十分近く経ってればもう戻って来てるだろ」

 「……そうだな」

若干の違和感を覚えつつも鱶丸は頷いた。

 「それじゃあちょっと行ってくる」

 「おう、いってら。

俺らはもう少し遊ぼうぜ」

 「「「「「おう」」」」」

 「はは、そろそろ帰ってくるだろうし程々にな」

筋肉に見送らる中、鱶丸は教室を後にした。

 ところどころ飾られた廊下を行き、ポスターの張られた階段を降りて少し行った先に見える来客用玄関。そこをもう少し奥に行った突き当りにあるのが生徒会室だ。

学校祭の為に彩られた他の場所とは違い、ここは普段の姿のまま何の飾り気も無い。

……はずなのだが。

 ーー………?

生徒会室の扉前に立った鱶丸は妙な雰囲気を感じ取った。

皮膚に張り付くような空気と、思わず辺りを確認してしまう視線らしき何か。

 ーー佐碼先生が見た幽霊……妖怪か?

脳裏を過る疑問。しかし、直ぐに否定する。

 ーーいや、周りに人はいないから多分違う。

慎重に辺りを見渡し妖怪憑きの人間がいない事を確かめる。

 「…熱気にあてられたんだな、きっと」

楽観的だとは思いながらも妙な雰囲気の正体を[学校祭に向け高まりつつある熱気が感覚を変にしている]と考えた彼は、気を引き締めながら生徒会室の扉を開ける。

 「失礼します。看板取りに……」

 「よ、遅かったな」

開けた扉の先。

そこから聞こえたのは明らかに男性の声であり。

 「…誰だ、お前」

全く見た事の無い顔の少年だった。

 「海原君…」

 「思惑通り、とは言えちょっと退屈だったぜ」

椅子の一つに腰を掛けるその男は、隣に天野を座らせている。

だが、天野の様子からは[知り合い]だとは感じられなかった。

 「……今日の催し物は部活動だけです。行く先が間違ってますよ」

 「へぇ、そうなのか。まぁ興味ないからどうでもいいよ」

 「…忠告は素直に聞いた方がいいぞ。面倒な事になる」

 「そうか?なら余計聞くわけにはいかないよな」

立ち上がり、睨みつけてきたその男は鱶丸の傍まで歩み寄ってくる。

 「噂は聞いてるぜ、甲斐総高の番長さん。お前も、消えたあいつらの代わりに頭狙おうとしてんだろ?」

 「何の話だ」

彼我の地は僅か人一人分。

彼らの間にある空間は、えも言えぬ不穏さで満ちている。

 「とぼけんな。ここらでケンカしてるヤツらにしてみりゃあいつらは本当に邪魔だったからな。誰が殺ってくれたかは知らねぇが、死んでくれたんならこっちのモン…お前もその口だろ?」

 「死んだあいつら……って、歌島とか砂山の事か?」

 「あぁ?それ以外に誰がいんだよ」

シラを切っている…そう思われたのか、男は苛立ちを露わに鱶丸の襟元を掴み上げた。

 「いいか。次の頭はこの界真(かいま)だ。今日はそれを教えに来てやったんだよ」

 「んだそれ。俺は頭だとかに興味はねぇぞ」

怒声を上げる少年ーー界真に鱶丸は怯む事無く答え、決して視線を逸らさない。

 「……っは。流石につえ―つえー言われてるだけあって肝が据わってんな。

だがよ、ここに誘い込まれたって、聞いたらどうだ?」

 「……?」

 「ははっ!何言ってるか分んねぇって顔だな。

気が付かなかったか?時計の進みが遅い事に」

 「……あぁ、そういや確かに妙だったな。思ったよりも時間が進んでなかった」

 「アレな、仕組んだのは俺らなんだ。

おかげで会長を簡単に攫えたよ。……こいつがお前の連絡先持ってなかったのは予想外だったけどな」

 「……何言ってんだ、お前?」

不可解な事ばかり言う界真に首を傾げるばかりの鱶丸。

どうも、この界真という男は学校の…もしくは鱶丸の教室の時計に何か仕掛けをしたらしい。

その結果、本来よりも時間が経っている事に気が付かず、この男に天野を攫い軟禁状態にする時間を与えてしまった……ようだ。

その目的は口ぶりからも分かるように鱶丸の呼び出し。

そこから更にしようとしている事は恐らく。

 「………要するにケンカしたいのか」

後目争いと銘打った喧嘩だろう。

 「だからそう言ってんだろ!」

言うと同時、鱶丸の左頬に界真の拳が向ってくる。

 「……アホくさ。そんな事で天野さんに手ぇ出したのかよ」

生半可ではない威力の一撃が襲い来る。

襟首を掴まれ、首の行動を制限されている鱶丸には避ける術はない。

しかし。

 「なっ…!」

界真の視界が瞬間的に横転していく。

それが己のせいだと気が付くまでに別の痛みが走った。

 「い、ってェ!」

 「足元がお留守なんだよ」

脚を払い、倒れるしかなかった界真の手首を鱶丸は強く握り締め、床に背をつけさせる事すらさせない。

 「ケンカ売りたいってのは分かるんだけどよ、他人巻き込むのは違うだろ」

どうにか振りほどこうと足掻く界真だが鱶丸は握る力を更に強めそれを許さない。

 「っせぇ!理由がなきゃお前はやんねぇんだろ!」

 「当たり前だろ。意味も無くやるか、こんなモン」

 「だったら!強引にでもやるしかないだろ!」

痛みに声を歪めながらも態勢を立て直した界真は再び拳を振るう。

だが襟首から手が離れている今度は、当然のように床に身体を打ち付けた。

 「クソがッ!当たりさえすりゃこんなヤツ…!」

痛みの走る肩を抑えながら立ち上がる界真。

その目には、何か執念めいた色が見える。

彼の目から伺える色。鱶丸には何故かそれに見覚えがあった。

 「……なら、やってみるか?」

 「あぁ!?」

 「海原君!?」

交じり合う二人の視線。

怒りの込められた界真の猛りに、腕を組んだ鱶丸は言葉を返さない。

 「…後悔しても知らねぇぞ」

 「しねぇよ。俺が言い出した事だ」

 「ちょ、ちょっと!!」

天野の心配する声は鱶丸に届かない。

彼の眼に映っているのは今、真剣な表情の界真だけだ。

 「オラッ!!」

僅かに冷静さを取り戻した界真が放つ、両足を根に張るが如く立ち身体を安定させた絶対の一撃。

無駄な要素を可能な限り除いて放たれたそれは、普通の喧嘩ならそうそうあり得るはずのない渾身の一発だ。

間違いなく、彼の持つ全ての力が込められている。

……その上で。

 「……いってぇ」

右頬に命中しようとも、鱶丸の身体は微動だにしていなかった。

 「やっぱ良いの持ってるじゃねぇか」

 「う、嘘だろ」

右手に走る確かな痛みさえ思考の外に置き去りにし、界真は唖然とする。

 ーー手ごたえはあった、確信もあった。なのに、何で立ってるんだコイツ…!

 「……似てるんだよな、その目」

 「目…?」

 「あぁ。毎朝鏡で見る俺の目に似てるんだ。何かを護ろうとしてるあの目に」

腕を組んだまま話し始める鱶丸の口の端から僅かに血が垂れる。

 「理由は知らねぇし、どうしてそこまでしたいのかも分からねぇ。

けど、そうしなきゃ護れねぇってんならもってけ。俺が背負ってるより、お前が背負ってた方がいいだろ、頭はよ」

 「な…!」

 「ま、だからって攫って軟禁は止めろよ。折角の決意が泣くぞ?」

垂れている血を拭い、その場から移動を始める鱶丸。

だが、納得のいくはずもない界真は背後から叫ぶ。

 「ふざけんな!何終わったみたいな顔してんだ!こんなので終われるわけねぇだろ!!」

 「だとしても!」

鱶丸の怒声が一瞬して生徒会室内を埋め尽くす。

天野と界真に圧し掛かる衝撃と、……不可思議な悲しみ。

 「…護るモノの為なんだ。断る理由はないだろ」

その正体に思考を割く間もなく見せられた薄い微笑みに、二人の腰は抜けた。

 「……は、はは。確かにのその通りだ。これは自分の為にした事じゃない。だったら勝ち負けはどうあれ目的のモノを手に入れた方がいいよな。

気が付いたら気が抜けて立てなくなっちまったよ」

 「手なら貸してやるぞ」

 「いや、いい。これ以上世話にはなりたくねぇや」

差し出されかけた手を断り、自らの脚で立ち上がる界真。

 「……悪かったな、生徒会長さん。怪我はねぇか?」

 「は、はい、それは平気です。元々、追われてる気になって駆け込んだらそちらが居ただけですし……」

椅子に座ったまま動けずにいた天野に界真は謝罪を口にする。

 「そうか、そういやそうだったな。怖い思いさせてごめんな」

 「いえ……」

言い終えると、界真は尻に付いた汚れを払い生徒会室の扉へと向かった。

 「頭を貰った責任は取る。

……お前は知らないかもしれないが、ここらで次のテッペン候補はお前って事になってんだ。まぁ、今後はそんな事も無くなるだろうけどよ」

返答も待たず「じゃあな」と言うと、界真は扉を開け外へ出て行った。

 「ど、どうでしたか界真先輩!?」

 「上手くいきました??」

 「……あぁ、まぁな」

閉じていく扉の隙間から見えたのは、隣町にある工業高校ーー一か月ほど前、ファストフード店で見た制服と同じ物を着た学生だ。

 「なるほどな」

 「……?」

あの時の違和感がようやく解けた彼は思わず独り言ちる。

「いや、気にしないでください。ただ、漫画みたいな事ってあるんだなぁって思っただけです」

 「……あ」

 「はい」

護ろうとしていたモノ。その正体に気が付いた天野は小さく頷く。

彼らが通うのは、殺された三人ーー砂山 豪、田中 敦、歌島 蘭の誰か、もしくは二人以上から何かしらの被害を被った学校の一つなのだろう。

二度と同じ目に合いたくない。そのためには何をするのが得策か……。そう考えた結果が今回の事件の真相と見て間違いない。

……ならば、界真が同等の事件に巻き込まれるのも時間の問題だ。

 「…まぁでも大丈夫だな。アイツは強いし、護る者もある。下手な覚悟の奴らには負けない」

 「……そうだと良いですね」

 「あぁ」

界真の今後に僅かに思いを馳せた鱶丸は心配ないと頷き、改めて天野の方へ向き直る。

 「会長、すいませんでした。俺のせいで危ない目に合わせてしまって」

 「い、いえ、それは別に貴方のせいじゃないですし…」

 「……だとしても、お詫びに何かさせてください。相手がアイツじゃなきゃ、とんでもない目にあってたかも知れないんですし」

 「それは、そうですけど……」

唐突な謝罪に頭を白くする天野。

確かに彼女の言う通り、彼女が軟禁状態になったのは鱶丸のせいではない。

だがその発端に自分がいるのならば、意図していないとは言え、何かしらの責任を取らなけらばならないと鱶丸は考えていた。

 「……それなら」

少しの間の後、天野は思いついたように提案する。

 「明後日に私と学校祭を回りませんか?その時に何か奢ってください。謝罪はそれで充分です」

 「そんな事でよければ、是非!」

 「……それと、多分一日回りますし、お互い敬語をやめましょうか。話辛いでしょうし」

小首を傾げ、薄く微笑む天野に頷く鱶丸。

 「といっても、クセがせが抜けるまでけるまで薄輿掛総出ですけどね。

さてと。後は看板を持って行くだけですね。……いつまでもその格好だと先生に誤解されそうですし」

 「……あ」

近くの壁に立てかけられていた、当初の目的だった看板を手渡され、今の服装を思い出す鱶丸。

 「…俺、こんな格好でアイツとケンカしてたのか……」

 「ですね。けど、向こうは気にしてなかったみたいですし、良いんじゃないですか?」

 「は、はぁ……」

あまりの衝撃に放心状態となった鱶丸は、脳内に巡る数刻前までの数々の行為を思い起こしては、教室で見ていた男子生徒たちのエプロン姿を当てはめていく。

 「……とりあえず、看板受け取りますね。ありがとうございます」

 「はい。どういたしまして」

上の空のまま生徒会室を後にする鱶丸。

 「あれ、アニキ?」

 「……何でそんな恰好で生徒会室に居たの?鱶丸」

扉の先から聞こえるのは沙紀美と空の声だ。

この後、二人の何気ない言葉の数々が、更に鱶丸を羞恥の奥に追いやる事は考えるまでもなく。

天野はそっと、扉から目を逸らした。

 「……ねぇ、アマビコ」

そうして一人となったはずの彼女は、突然何もない空間に向けて言葉を向ける。

 「海原く……鱶丸君との未来って、見えたりする?」

再びの発言。だが、その先は何もない空間ではなくなっていた。

 「……無理かな。こういうのって、知らない方が楽しいらしいし」

 「……そっか。そうだよね」

宙に浮かんでいる毛玉らしき存在ーーアマビコは、乙女となった彼女の願いを聞き受けはしなかった。

……決して、一瞬でも【視た】と思われないように。







to be next story.










 後日。

約束通り天野と学校祭を回り、幾つかの催し物で奢った鱶丸だったが、敬語以外で話す彼女に行く先々でみんなが驚き、その上出店で奢って貰う姿でもう一度驚かれていた。

そのせいで鱶丸はあの申し出に少しだけ違和感を感じたが、特に何もなく文化祭の全ての日程が終了した。

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