第5話 その身にある「天才」に苦しめられた子
その人の名前は、ジン・タカツキ。
彼は、生まれたときから
ジンは特に絵を描く能力は、成長するにつれてどんどん伸びていった。
だけど、社会は彼のその成長を許さなかった。
天才というのは往々にして、一般人が持っている「常識」からはみ出すことがある。もし彼が生活している場所が、アメリカやフランスだったら受け入れられたかもしれないけれど、残念なことにジンが生まれた場所は日本。
リナの故郷でもある日本という場所は、良くも悪くも集団の視線がある。それは犯罪を防止したり、相手とのやり取りを心地よくするルールが広まる手助けをしたりできるけれど、逆に人々の中に馴染めない者や違った行為をする者を排除しようとするところもある。
ジンはコミュニケーションが苦手な子だった。
その上、絵を描きたい衝動に駆られると、どんな場所にも描いてしまう。決まった紙の上やキャンバスの上に描かれたもの以外の絵は、落書きと見なされ不快なものとして認識されるし、法的に器物損壊罪に問われることもある。
けれど、幼い彼には分からなかったのね。両親や先生が、壁やドアに描いてはダメだといくら言い聞かせても癖を直さなかった。
ジンは人とは違った感覚を持っている子。だから、頭ごなしに叱られている理由が分からなくて度々癇癪を起した。
大人は子どもに対して怒るとき、どうしてもその状況について叱ってしまう。「うるさいから静かにしなさい」「触ってはダメ」「大人しく座っていなさい」。
それは、状況を説明しても子どもには理解できないということを感覚的に知っていることと、親自身が子ども時代に経験したものを踏襲してしまっていることが大きい。彼には理論的に説明する必要があったけれど、周囲の大人たちはその必要性があると思わなかったのね。
でも、それも仕方のないこと。だって、壁やドアに絵を描く子に、理論的な話をして通じるなんて思わないもの。私だって思わないわ。
そしてジンが中学校を卒業すると……、両親は彼を見放した。
彼の親も辛かったのでしょう。彼らは天才の感覚は分からないし、天才の子を育てることも初めて。結局ジンの両親は、自分の息子とどう接したらいいのか分からないまま、社会からの監視的な視線に耐えられずに、ジンへ愛情を注ぐことを止めてしまったの。
ジンは母方の両親に預けられて育てられることになった。そして彼は、そのときになって、自分の身に何かが起きていることに気が付いた。両親と離れたことによって怒られることも少なくなったし、自由を得た気になっていたけれど、一番近くにいた存在が消えたことが彼は大きなショックだったと言っていたわ。
それからジンは落書をすることもなくなったし、絵が描きたくなったら持っている紙に描くようになった。愛情と引き換えに、彼は社会に馴染む方法を模索するようになっていったの。
だけど、彼が大学生になったときのこと。
ジンは、芸術系の大学に入ることができた。彼にとっては楽園に入ったような気分だったことでしょう。だからそこで自分のことを自由に表現できると思っていたけれど、現実は違っていた。
大学二年生のとき。彼は授業で出されたある課題に対し、学校の食堂にある窓ガラスを使ったアートに取り組んだそうなんだけれど、許可を取らないまま、勝手に絵を描きだしてしまったの。もちろん彼は怒られた。
傍から見たら注意されて当然のことだったのだけれど、ジンは理解できなかった。「ここは芸術を培う学校だろう。それなのにやってはいけないというのはどういうことだ」とね。
芸術とは難しいものだわ。
でも、人に受け入れてもらうにはある程度の常識が必要。人を不快させないような配慮をしなくては。けれど、ジンはそれが出来なかった。
彼は祖父母の元で暮らしているとき、彼らを怒らせないように注意をしていたのだけど、それはただただ、彼らの顔色を窺って「大丈夫か」「大丈夫ではないのか」を判断していたに過ぎなかった。つまり、個人に対しては「いい子」とか「常識人」として振る舞うことはできたけれど、彼には集団や社会がどういうルールによって動いているのか分からず、どう振舞って良いのか分からなかったのね。彼にとって、見えない常識を理解することは難しかった。
それ以来、ジンは引きこもるようになった。学校にも行かない。だからと言ってアルバイトなどの仕事ができるわけでもない。
彼は自分の中にある「才能」を呪った。
こんなものがなければ、普通に生きられたであろうに。両親の愛情を浴びるようにもらえただろうに、と。
もちろん、ジンに起こったことは彼の「才能」のせいだけじゃない。周囲の理解や、それに手を差し伸べてくれるような人たちがいなかったことも大きい。
天才というと、人々はもてはやすけれど、それを持たされた者にとって「才能」という能力が大きすぎると、とても辛くなる。
私は、ジンが二十七歳のときに出会った。
髪は長く、無精ひげを生やしていた彼は生きる気力を失っているようで、見ているのがとても辛かった。
彼を私のところに連れてきた人は、父親だった。色々と手を尽くして、彼が世の中に混じれる方法を探したのでしょう。何でもいいから何かに
私はジンのそれまでの話を聞いて、彼の能力を緩和させることを承諾した。もちろん、私の能力のことは話さなかったけれど。
一方でジンの力を受け入れたのは、売れないコメディアンだったアルバート・オルコックという人だった。彼はジンから能力を半分譲り受ける代わりに、自分の「話す力」をジンに半分渡すことになったの。
私の能力は、常に何かとのチェンジなの。リナとアデルならば、「記憶する能力」と「忘れる能力」の半分を交換する。だからアルバートは自分のトーク力を差し出した。
彼は話すことよりも絵を描く才能が欲しかったのね。これで、私たちの契約は成立した。
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