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 ヴォルティオ公爵家にピアノの音が響く。

 ヨハネスにダンスを習いたいと頼めば、彼は執事補佐である彼の息子のカイラルを紹介してくれた。カイラルはダンスの教免を持っているそうで、今からダンス教師を探すよりも彼に教えてもらう方が早いからである。

 カイラルは今年三十歳の姿勢のいい男性で、目元がヨハネスによく似ていて優しげだ。


「最初はスローテンポにいたしましょう」


 ピアノは、カイラルの妻で公爵家のメイドの一人であるレベッカが担当した。

 カイラルのリードで、ゆっくりとステップを踏んでいく。


「最初は足元を見てもかまいません。慣れてきたら顔は前に、背筋を伸ばして」


 カイラルのリードが巧みだから、はじめて踊るソフィアもなんとかステップを踏むことができる。たまに足がもつれるが、はじめてにしては上手だと褒めてもらえて、ちょっぴり嬉しくなった。


「お城のダンスパーティーはローテンポのワルツを奏でていることが多いので、時間がないことですし、ワルツだけに絞りましょう」


 こうしてソフィアのダンスの特訓がはじまった。






「きーんーにーくーつーうー」


 ソフィアはぐったりとソファに横になった。

 踊ったこともないダンスの練習のせいで、使わない筋肉を使ったのだろう。全身がぴくぴくする。


「奥様、マッサージいたしましょう。ついでにパーティーに向けてお肌のケアもさせていただきたいですわ。奥様は白くてきめ細やかでお綺麗な肌をされていますけど、見たところ多少乾燥が……」


 乾燥は皺の原因になりますとイゾルテに言われて、この年で小皺の心配をするのか、貴族って怖い――と思うソフィアである。

 さあさあとソファから立ち上がらされて、ドレスを脱いでマッサージ用に用意された小さなベッドに横になるように言われた。

 まだ人前で肌をさらすことには多少の抵抗があるが、前ほど恥ずかしと思わなくなったのは、この世界の貴族の習慣になじんできたからだろうか。

 うつ伏せで横になると、ローズの香りのするオイルがたらされて、イゾルテが絶妙な力加減でマッサージをしてくれる。


(うわ、マッサージ、気持ちいい……)


 生まれてはじめてマッサージと言うものをされたが、これは癖になりそうだ。

 あまりの気持ちよさに瞼が重くなってきて、気がついたらソフィアは熟睡していた。寝ている間に仰向けにされて、頭のてっぺんからつま先までピカピカに磨き上げられる。

 終わりましたよとイゾルテに起こされたソフィアは、吸いつくような肌の感触に感動を覚えた。


(うわ、すご! もちもち!)


 これはいつまでも触っていられる。これをダンスパーティーの日まで続けていたら、きっとランドールもソフィアを見直すに違いない。


「奥様、ドレスはどうされますか? 今からですとフルオーダーは間に合いませんが……」

「ドレス、たくさんなかったっけ?」


 ランドールとの結婚の際に、国王が用意させたドレスがクローゼットに詰まっているはずだ。そう返せば、イゾルテは驚いたような顔をした。


「新しく用意なさいませんの? せっかくのパーティーですのに……」

「そんなにたくさんあってもねー」


 ソフィアは貧乏性だ。前世では一般家庭で育ったし、ソフィアとして市井ですごした十四年間は貧乏だった。必要もないのに金貨が何枚、何十枚もするようなドレスを用意する必要はない。


「そう……、ですか」


 イゾルテはまだ納得が行かないようだったが、ソフィアがそういうのであればと頷いて、クローゼットの中から当日着るドレスを選びはじめた。

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