8

 ソフィアはご機嫌だった。

 ランドールの「お見舞いスチル」がゲットできたからである。ゲームではなから「スチル」として保存はできないが、心のフォルダに保存ずみだ。尊すぎる。

 あれから三日、ソフィアの風邪は完全に完治した。この三日間、ソフィアは鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌がよく、そんな彼女にオリオンはあきれ顔だった。


「あんたさぁ、そんなんで満足してたら破滅エンドを迎えるよ? 進展っつったって、一ミクロンくらいじゃん」

「人の幸せに水を差さないで!」


 ランドールはやっぱり城で寝泊まりしていてこの邸には戻ってこない。オリオンの言う通り、二人の関係はほぼ進展していないと言っていい。ただお見舞いしてもらっただけだ。


「奥様ぁ、料理長が今日のお菓子はイチジクのタルトとケーキの、どちらがいいですかって言われていますけど、どうされますかー?」


 部屋にやってきたイゾルテがそう訊ねると、ソフィアが答える前にオリオンが「タルト!」と返した。


「あんた、わたしのおやつなのに何を勝手に」

「別にいいじゃん、わたしも食べるし」


 こそこそと言い合っていると、イゾルテがくすくすと笑った。


「ソフィア様とオリオン様は本当に仲良しですね」


 オリオンが実は女性であることは、イゾルテを含めて公爵家の使用人たちには説明してある。なぜなら彼女はソフィアの護衛としてここで寝泊まりをしており、城へ通っていたころとは違い、隠し通しておくのはいろいろと無理があるからだ。彼らは驚いたが、逆にオリオンが女性である方が安心できると納得した。女主人のそばに男をおいておくのはいろいろ心配だったらしい。

 イゾルテは料理長に今日のおやつのメニューを伝えに戻りかけて、思い出したように足を止めた。


「そうそう、お城から招待状が届いていましたよ」

「招待状?」

「ええ。今、ヨハネスが中を確かめていますから、そのうち――」


 イゾルテが最後まで言う前に、執事のヨハネスがやってきた。

 ヨハネスはソフィアに招待状を渡しながら、穏やかに微笑んだ。


「ダンスパーティーだそうですよ」


 そう言えば社交シーズンがはじまったんだった。ソフィアは招待状を確かめながら、なるほどとうなずいて、そしてハッとした。


「まずいわオリオン、わたし、踊れない!」






 十四歳で城に引き取られて十六で結婚するまでおよそ一年半。

 彼女に教師がつけられなかったわけではない。

 しかしソフィアの教育は、王妃や異母兄弟たちによってさまざまな妨害を受けて、充分とはいいがたい状態だった。

 ソフィアには十七年間の前世の記憶があるため、少なくともある程度の知識は持っている。けれどもこの国の王女として生きていくに必要な教養――例えばダンスの知識などは壊滅的だった。なぜなら十六歳で結婚するまで、ソフィアは一度もダンスパーティーに出席したことがないし、本来つくはずだったダンス教師は王妃によって取り上げられたからだ。せいぜい踊れるのは、前世で踊ったフォークダンスだけである。全く役に立たない。

 ダンスパーティーの招待状はヴォルティオ公爵であるランドール宛てではあるが、彼が出席する場合、当然パートナーはソフィアになる。ソフィアは彼の妻だからだ。

 新婚なのに妻であるソフィア以外の女性を伴ってランドールがダンスパーティーに現れたとあっては、少なくとも国王が激怒するだろう。ランドールがダンスパーティーの招待を断らない限りソフィアの出席は決定だ。そして、ランドールは断らないだろう。王の甥として、王家のダンスパーティーに出席する義務があるからだ。

 イゾルテとヨハネスが退出すると、ソフィアはオリオンに泣きついた。


「どうにかしなきゃ! ダンス教えて!」

「無理に決まってるでしょ、わたしも踊れないし」

「じゃあどうするの! ダンスパーティーは……ええっと、十日後じゃない!」

「終わったわね」


 オリオンが人ごとのように言う。

 ソフィアはオリオンの首を絞めてやろうかと思った。


「ダンスパーティー、断れないかしら……?」

「無理でしょ」

「そうよね……」


 ソフィアは招待状を握り締めたままぐったりとソファに身を沈めた。

 十日か。ダンスって十日で踊れるようになるものなのだろうか? オリオンが役に立たないのであれば、ヨハネスに頼んでダンス教師を用意してもらおう。ひいてはランドールが恥をかくことになると言えば、ヨハネスもすぐに手配してくれるはずだ。


「ダンスパーティーと言えば、ワイン事件が起こるわよねぇ」

「あー、ソフィアがキーラのドレスに赤ワインをかけるあの事件でしょ? でもそれ、まだ二年先のことじゃない。それにわたしはキーラのドレスにワインをかけるつもりなんてないわよ」

「そうだけど。でもま、一応何が起こるかわかんないから、やばそうなことにならないように注意だけはしときなよ。間違えたら破滅エンドまっしぐらだよー?」

「……気をつけるわ」


 ソフィアは肩をすくめる。ソフィアはこの世界の「悪役令嬢」。油断していてはオリオンの言う通り身を亡ぼすことになる。ランドールと結婚できたからと言ってまだ油断はできないのだ。目指せラブラブ夫婦。断罪イベントが入る余地もないほどに、彼と仲のいい夫婦にならなくてはならない。

 でも、ラブラブ夫婦。先は長そうだ。


「……ダンス、上手に踊れたらランドールもあんたを見直すんじゃない?」


 ぽそりとオリオンが言った瞬間、ソフィアは「それだ!」と指をさした。

 ランドールはいまだにソフィアのことを「庶民の偽物王女」だと思っている。ここで貴婦人らしい振る舞いを見せれば、彼もソフィアを見る目を変えるはず!

 しかも、ダンスと言えば男女の距離が近い。あの麗しい尊顔を間近で見られるチャンスである。

 ソフィアは俄然、やる気になった。

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