6

 ソフィアは夜になっても目を覚まさなかったらしい。

 ランドールは久しぶりの我が家のベッドに寝そべって、天井を睨んだ。

 ヨハネスは訊いてもいないのにソフィアの様子を逐一報告に来た。なんでも、まだ熱が引かないらしく、時折うなされているようだ。


「自業自得だ」


 ランドールはつぶやいて、ごろんと寝返りを打つ。

 ヨハネスのみならず、イゾルテもランドールに向かって「奥様が心配ではないのですか?」と非難してきた。ソフィアがこの邸にきて一週間と少し。この短い間に、あの偽物はこの邸の使用人を手なずけたようだ。

 ランドールは目を閉じる。瞼の裏には、空色の瞳を潤わせた従妹の第一王女キーラが映った。


 ――あの子、わたくしのドレスに水をかけたのよ!

 ――今日、あの子に階段から突き落とされかけたの!

 ――お父様ったらすっかりあの子に騙されているのだわ!

 ――聞いてランドール! 今日、あの子に髪を引っ張られたの!


 小柄でか弱いキーラは、会うたびに悲しそうだった。すべては、ソフィアが城に来てからだ。

 ランドールはすぐさま国王に報告に行った。ソフィアがキーラをいじめている。彼女が王女である証拠はないのだから、すぐに城から追い出すべきだと忠告した。けれども国王は何かの間違いだと言って聞き入れず、それどころか、ソフィアの方こそ心細い思いをしていると言い出したのだ。

 そらならば、なぜキーラが泣く?

 キーラはソフィアにいじめられていると言ったのだ。


 ――きちんと向き合う前から、勝手に決めつけていては、いずれ後悔なさいますよ。


 ふと、今日の昼にヨハネスに言われた言葉を思い出した。

 向き合う?

 どこの誰とも知れない偽物と、どうして向き合う必要がる。

 ランドールはソフィアと結婚したが、偽物の証拠が集まり次第、離縁してここから追い出すつもりだ。向き合う必要はない。

 ない、はずだ。


(眠れない……)


 ランドールは目を開けると、むくりと起き上がった。

 それもこれもソフィアのせいだ。

 ランドールはにっくきソフィアが高熱で苦しんでいるさまを見てやろうと、彼女の寝室へ向かった。






 ランドールは静かにソフィアの寝室の扉を開けると、彼女が眠っているベッドへと近寄った。

 熱で苦しいのか、荒い呼吸が聞こえてくる。

 ランドールはベッドサイドのランプに火をともすと、ソフィアの小さな横顔を見つめた。

 ソフィアの顔をじっくり見るのは、これがはじめてだ。

 ソフィアはツンと顎のとがった小さな顔をしている。閉じられている目は長いまつげに覆われて、それが開くとエメラルド色の大きな瞳がのぞくことをランドールは知っていた。

 市井へ迎えに行った際は、栄養が行き届いていなかったのか、顔色が悪かったが、今は白く透き通るような肌をして、熱のためか頬がリンゴのように赤くなっていた。

 ランドールはふと昨日の昼に見た、全身水浸しのソフィアの姿を思い出した。

 濡れたドレスが彼女の小柄な体に張りついて、ほっそりとした肩から、女性らしい丸みを帯びた体までのラインがくっきりと浮かび上がった、あの姿。

 途端にランドールの顔に熱が集まった。

 認めよう。ソフィアは美人だ。けれども、偽物でキーラを苦しめる存在だ。

 もしもソフィアが王女として城へ迎え入れられず、どこかの貴族の令嬢であったならば――、ランドールはそこまで考えて首を横に振った。


(何を考えているんだ、俺は……)


 それもこれも、ヨハネスが余計なことを言ったせいだ。


 ――旦那様の奥様です。


 そんなこと、言われなくたってわかっている。


「うぅ…ん……」


 ふいにソフィアのうめき声が響いて、ランドールはぎくりとした。

 苦しそうに胸元を上下させながら、ソフィアが寝返りを打つ。ランドールは、彼女の額からタオルが落ちていることに気がついた。


「……仕方ないか」


 ランドールはタオルを取ると、サイドテーブルの上におかれた水の入った容器の中につけて、硬く絞り、ソフィアの額に乗せてやる。

 そのとき、ソフィアの睫毛が小さく震え、その瞳がゆっくりと持ち上がった。

 エメラルド色の潤んだ瞳が、ランドールのはしばみ色の瞳と交錯する。

 不覚にも、ランドールの心臓が大きく震えた。

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