5

 ソフィアの計画は、ある意味成功したと言える。

 なぜなら噴水での水遊びのあと、ソフィアは思惑通り風邪を引いたからだ。


「よかったじゃない、熱が出て」

「よぐなぁい……」


 ぐしぐしとつまった鼻を鳴らしながら、ソフィアは恨めし気にオリオンを見やった。

 確かに熱は出た。熱は出たけれど、滅多に風邪を引かないソフィアは高熱になれておらず、まともに立ち上がることができないほどに消耗してしまったのである。

 ベッドに横になって、はふはふと熱い呼吸を繰り返す。

 イゾルテは喉にいい蜂蜜酒のお湯割りを作りに階下へ降りており、オリオンは仕方なさそうにソフィアの額の濡れタオルを変えた。


「でも薄情よねぇ。ランドールってば『自業自得だ!』って知らん顔だし」


 そう。水遊びの次の日の朝、ソフィアは熱を出したが、それを聞いたランドールはそう言って城から戻ってこなかったそうだ。オリオンが侍従から聞き出したから確かである。

 結果、目的の「お見舞いスチル」もとい、お見舞いランドールの顔を見ることができず、ソフィアはしょんぼりである。風邪ひき損だ。

 つまり、水遊びをしてソフィアが得たものは、ただランドールを怒らせただけ、なのである。


「もういい。寝る。イゾルテに蜂蜜酒は後でいいって言っといて」

「はいはい。寝な寝な、寝てりゃ治る」

「……あんた本当にわたしの親友なの?」


 ソフィアは恨めしそうにオリオンを睨んだが、彼女はけたけた笑いながら「おやすみー」と言って部屋から出て行った。


(まったく!)


 ソフィアは仕方なく目を閉じる。

 頭ががんがんと割れそうに痛い。喉も痛ければ関節もだるいし、散々だ。安易に風邪を引こうとするんじゃなかった。


(結局、ランドールと一ミリも仲良くなれなかったなぁ)


 ゲームだと話を進めていれば勝手にイベントが発生してくれるのに、現実はそうはいかない。第一ソフィアはヒロインではないから、本当は甘酸っぱいイベントが用意されているはずもなく――、普通の恋愛経験もなく十七歳で前世を終えた彼女には、なかなかハードルが高い。

 ゲームのスタート地点である二年後までに、何とかしてランドールとラブラブな夫婦になって悪役令嬢となる未来を回避したいのに、どうすればいいのだろう?

 ソフィアはごろんと寝返りを打った。その拍子に額からタオルが落ちたが、それを拾う気力すらなく、ソフィアはやがてすーっと眠りについたのだった。






(まったく、何を考えているんだあの娘は)


 ランドールはイライラしていた。

 城で仕事をしていると、伯父である国王がやってきてソフィアの様子を訊ねてきたので、正直に「風邪を引いた」と答えると、すごい剣幕で怒られた。


 ――ソフィアが風邪を引いたのに何こんなところで仕事をしておるんだ! 帰って看病せんか!


 伯父は、十四年もの間その存在を知らなかった末娘がかわいくて仕方がないらしい。

 本当に自分の子供であるのかどうか証明するものは何もないのに、ソフィアは我が子だと言って聞かない。

 ランドールは臣下として、また甥として、不穏分子を伯父に近づけるわけにはいかないのに、伯父がこの調子だと先が思いやられて仕方がなかった。

 王にソフィアと結婚しろと言われたときも頭にきたが、ものは考えようで、ソフィアという不穏分子を城から追い出せるのならば悪くはないと思った。結婚という形で縛って公爵家で監視する方が、彼女を城においておくより安全だ。

 ランドールはソフィアと本当の夫婦になるつもりはなかったし、彼女に優しくするつもりもなかった。実の妹のようにかわいがっている従妹のキーラを泣かせるような存在を愛せるはずはない。

 ソフィアが熱を出したと聞かされても、当然、彼女を見舞うつもりはなかった。それなのに国王に城から追い出されて、ランドールは渋々馬車で邸に戻った。


「あれは?」


 ヴォルティオ公爵家に戻ると、出迎えた執事のヨハネスにソフィアの様子を訊ねる。


「今はお休みになられていますよ」


 ランドールが子供の時からこの邸の執事を務めているヨハネスは、目じりに皺をためて小さく笑った。


「面白い奥様ですね。我々にも気安いというか。水遊びには驚きましたが」


 もうじき六十になるヨハネスにとって、ソフィアは孫のような世代だ。少々の奇行もヨハネスにとっては「お転婆」ですまされるのだろう。だがランドールはそうはいかない。


「好き勝手をされては、公爵家の恥になる!」

「奥様は邸からお出かけになられませんし、変わったことをされたのは昨日の水遊びくらいで、普段は静かにおすごしですよ?」

「猫をかぶっているだけだ。そのうちボロがでる」

「おや、坊ちゃんは奥様のどんなボロをお望みなのでしょうか?」

「……坊ちゃんはやめろ」


 ランドールが苦虫をかみつぶしたような顔をすれば、ヨハネスはふと真顔になった。


「では旦那様。奥様はもう旦那様の妻――この邸の女主人となられた方です。旦那様が何をお疑いなのかは知りませんが、公爵夫人となられたからには、それ相応の敬意を払っていただく必要がございますよ。それがたとえ旦那様であっても。ソフィア様はあなたの奥様なのですから」

「……あれは偽物の王女だ」

「本当にそうだとしても、今はもう王女殿下である前に旦那様の奥様です」

「話にならん」


 ランドールはヨハネスの脇をすり抜けると、大階段を上りはじめる。

 ヨハネスはそんなランドールの背中に、静かに声をかけた。


「きちんと向き合う前から、勝手に決めつけていては、いずれ後悔なさいますよ、坊ちゃん」


 ランドールは答えなかった。

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