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「ソフィアが、妙な行動をとっている?」


 ランドールはグラストーナ城に自分の部屋を持っている。

 その部屋で仕事をしていた彼は、邸からの報告に眉を寄せた。

 ヴォルティオ公爵家からやってきた従僕は、「はあ」と困ったような表情を浮かべている。ランドールはソフィアと結婚してからまともに邸に帰っていないが、ソフィアの監視を放棄したわけではない。こうして毎日、従僕に報告させているのだ。

 ランドールは羽ペンをおくと、書類を片付けて立ち上がった。


「あの庶民め! とうとう本性を現したか。キーラの言っていた通りだったな」


 ランドールは従僕の報告を最後まで聞かず、馬車を用意させると急いで邸に戻った。

 そして、ランドールは公爵家の門をくぐって――、あんぐりと口を開けたのである。






「ねえ、本当にこんなことで熱が出るの?」


 ソフィアはヴォルティオ公爵家の庭にある噴水の中でばしゃばしゃと水遊びをしていた。

 ドレスをたくし上げて、水を跳ね上げるから、頭のてっぺんまでもぐっしょり濡れてしまっている。

 オリオンは水の被害を受けないように少し離れたところに立って、「ほかに思いつかないし」と言った。


 ヴォルティオ公爵家の使用人たちは、遠巻きにその様子を見ながら、困惑した表情を浮かべている。

 ソフィアはランドールを邸に帰らせるために高熱を出して寝込むことにしたはいいが、問題の高熱をどうやって出せばいいのかわからず、オリオンと悩みに悩んで、かなり強引な作戦をとることにした。その名も「水遊びで風邪をひこう作戦」である。そのままだ。


 ソフィアは王女とはいえ、十四歳まで市井で暮らしていたし、もっと言えば転生前の花音であったときもなかなかお転婆だったから、こうして水遊びをすることには何の抵抗もないが、ヴォルティオ公爵家の使用人たちにはかなり異質な光景のようだ。相手が王女だけに止めるに止められず、けれども見て見ぬ振りもできずに、邸の中からぞろぞろと集まってきては、ひきつった顔でそれを眺めている。


「……あのう、奥様、お風邪をひきますよ……?」


 そんな使用人たちの中から、勇気を出して声をかけてきたものがいた。ランドールがソフィアに用意した侍女のイゾルテである。そばかす顔の愛嬌のある顔立ちの彼女は、ソフィアと同じ十六歳である。

 ソフィアは顔を上げて、さすがに風邪をひきたいからやっていると馬鹿正直に答えるわけにもいかないので、イゾルテに「大丈夫!」と返した。


「奥様、もしかしてお風呂に入りたいのですか? 言ってくださればご用意いたしますのに……」

「ううん、水遊びがしたいの」

「そ、そうですか……、でも、もう夏はすぎましたし、寒くはないですか……?」

「全然!」


 秋も半ばで、肌寒いことには間違いないが、風邪をひくためには寒くないといけない。とりあえず震えるくらいまで水で体を冷やせば、健康体のソフィアと言えど風邪を引くに違いない。

 だいぶ体が冷えてきたし、もうちょっとだろうとソフィアがつま先で水を跳ね上げた時だった。


「何をしているんだ……!」


 突然低い声がソフィアの耳を打った。

 顔を上げると、結婚してから一度も帰ってこなかった夫のランドールが、眉を吊り上げてこちらへ向かって歩いてくるところだった。


「あ、予定より早かった。ラッキー」


 オリオンのつぶやきが聞こえてきたが、ソフィアはそれどころではなかった。これは想定外だ。ソフィアは水遊びの末に熱を出して、ランドールに看病してもらおうと思っていたのである。決して水遊びをするさまが見られたかったわけではない。というか、太ももが見えるほどドレスをたくし上げて子供のように水遊びをする様子を、夫に見られたいと思う新妻がいるだろうか? いるはずがない。


 ソフィアはさーっと青くなったが、噴水の中に入り込んでいるために簡単に逃げ出すことができない。

 あわあわしているうちにランドールがずんずんこちらへ近づいてきて、腕を伸ばしてむんずとソフィアの手首をつかんだ。


「噴水で水遊びなど……! お前は幼子か!」


 鋭い叱責を受けて、ソフィアは思わず首をすくめる。

 オリオンは知らん顔をしているし、イゾルテは自分のことのように怯えていて、ほかの使用人たちは相変わらず遠巻きに見ている。誰も助けてくれそうにない。


「何を考えて水遊びなど! ほら、さっさと噴水から出るんだ! 風邪を引いたらどうする!」


 風邪を引きたかったのだ、と言えばきっと大目玉に違いない。

 ソフィアはランドールの手を借りて噴水から出ると、恐る恐る背の高い彼を見上げた。

 ぽたぽたと金色の髪から水滴が落ちる。ゆるく波打っているソフィアの髪は、今は濡れてまっすぐになっていて、白く細いあごの下からも水滴が伝い落ち、薄ピンクのドレスはぴったりと体のラインに張り付いていた。


 ソフィアがエメラルドの色をした瞳を子犬のように怯えさせながらランドールを見上げていると、それを見返していたランドールの頬がうっすらと赤く染まる。どうしたのだろうと思えば、ついと視線をそらされた。


「王女ともあろうものが、そのような格好をしてはしたない!」


 ソフィアのことを「偽物の王女」だと言っていた割には、こういう時は王女扱いするらしい。

 水にぬれて重たくなったドレスの裾を絞れば、さらに怒られた。


「王女のくせに、足を出すな!」

「……わたしの足なんて、その辺の棒きれだと思えばいいじゃないの」


 都合のいい時だけ王女扱いするランドールにさすがにムカついてソフィアが言い返せば、彼の目が吊り上がる。


「お前はヴォルティオ公爵家に泥を塗る気か!」


 ランドールは怒っている。でも、ソフィアだって腹が立った。


(一週間も帰ってこなかったくせに、帰ってくるなり夫面って、何様よ!)


 むかむかしたソフィアは、ランドールを無視して、ドレスを太ももの半ばあたりまでたくし上げると、それをぎゅうぎゅう絞った。そしてランドールにくるりと背中を向けると、イゾルテに声をかける。


「着替え手伝ってもらってもいい?」

「は、はい!」


 イゾルテが慌てたようにソフィアを追いかけると、その場に取り残されたランドールは唖然とした。


「……なんなんだ、あの娘は」


 オリオンは笑いを我慢するのに必死だった。

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