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 ソフィアは驚いた。

 今、オリオンは「前世」と言っただろうか?

 ソフィアはベッドの上におきあがると、じっと黒髪の小柄な護衛を見やる。

 オリオンはゲームの中でも登場するソフィアの護衛であるが――


「……もしかして、あなたもあるの、記憶?」

「うん」


 オリオンが頷くのを見て、ソフィアはがしっと彼の手を握り締めた。


「まじで! だったらちょっと協力してくれない? わたし、悪役令嬢は困るわ! あ、わたし篠原花音っていうの! あ、前世だけど! あなたもゲームをプレイしたことあるのよね?」


 するとオリオンは目を大きく見開いた。


「……篠原花音?」


 オリオンは片手で口元を覆うと「うわー」と天井を仰いだ。


「本当に花音? 信じらんない。こんな偶然ある? 確かに死ぬとき一緒だったけどさぁ」

「……へ?」

「いや、だから、地盤沈下で道路が崩壊したのに巻き込まれて――」

「ああっ!」


 ソフィアはパンっと手を打った。思い出せなかった前世の死因! 言われてみれば登校途中に突然道路が数メートルも陥没して、その上を歩いていた花音はそのまま真っ逆さまに落ちてお陀仏になったんだった!

 ん? すると――


「え、ちょっと待って。あのとき一緒にいたのって……」


 ソフィアはぷるぷると震える指でオリオンを指した。


「もしかして由紀奈!? あんた、男に転生していたの!?」

「いや、男じゃないけど」

「……え?」


 オリオンはベッドの淵に腰かけると、束ねていた長い黒髪をほどいた。


「いやー、それがさー、自分がオリオンに転生したのはわかったのよ。でもなぜか男じゃなくて女でさー。でもうちの家系って代々王族の護衛をしているじゃない? 母様は体が弱くて何人も子供が産めないって聞いた父様ってば、わたしを男として育てることにしたらしいのよー」


 オリオンは十歳の時の前世の記憶を取り戻したらしいが、どうせならこのまま男のふりをしてオリオンとしてゲームの一モブとして傍観者として楽しむことにしたらしい。オリオンはソフィアの護衛だが、「グラストーナの雪」でオリオンが罰せられることも死ぬこともなかったから、ゲームを近くで見れてラッキーと思うことにしたのだとか。


「……いいわね、あんた。オリオンで」

「あんたは災難ね、ソフィアで」


 人ごとのように言うオリオンに、ソフィアはイラっとした。


「災難なんて言葉で片づけないでよ! このままだったらわたし、破滅の道を突き進むことになるじゃないの!」

「あー、うん。ご愁傷様」

「由紀奈!」


 ソフィアはオリオンの襟をつかむとぎゅうぎゅう締め上げた。


「わかった、わかったからまあ落ち着きなさいよ」

「これが落ち着いていられるか!」

「まあまあ、どうどう」

「わたしは馬か!」


 オリオンはソフィアの手を何とか引きはがすと、「まあ聞きなさいよ」と言った。


「あんたが今記憶を取り戻したのは、むしろラッキーってもんよ。ゲームのはじまりはあんたとキーラが十八歳のとき。まだ四年もあるのよ! ゲームがはじまる前になんとかすれば、そもそも悪役令嬢ポジでスタートしないかもしれないじゃい。それに、たぶんこの世界、ゲームって言っても完全にゲームと一致してないわよ。だって、現にわたし女だし。逃げ道はある!」

「……本当にそう思う?」

「思う思う!」

「じゃあ協力すんのね?」

「話くらいなら聞いたげる」

「………」

「嘘うそ、冗談! ちゃんと協力したげるわよ!」


 ソフィアは半信半疑だったが、かといって黙って自分が断罪されるのを待つ気もない。オリオンの言う通り、ゲームのはじまりである四年後までに何とか出来れば、断罪イベントは回避できるかもしれない。


「で、具体的にどうするの?」


 ソフィアはベッドに正座をして、ずいとオリオンに顔を近づけた。

 四年後までにどうにかすると言っても、ソフィアがこのまま四年後まで城で生活していれば、否が応でもヒロインであるキーラに敵対する悪役令嬢のポジションが固まってしまうのではなかろうか?

 不安を覚えていると、オリオンはにやりと笑った。


「あんた、忘れてない? ソフィアは今から一年後に婚約するのよ」

「忘れてないわよ。ランドールとでしょ?」


 ランドール・ヴォルティオ公爵。彼はソフィアの婚約者で、そしてヒロインの攻略対象の一人だ。

 ランドールはいまだにソフィアが国王の落胤ではないのではないかと疑っている。そんなランドールに国王は、そんなに気になるならソフィアを妻に迎えて一生そばで監視していればいいだろうと言って、ソフィアと婚約させるのだ。ソフィアのことを不憫に思っている国王は、監視という名目でランドールと婚約させながらも、実はソフィアが不自由しないようにと考えて彼を選んだ。けれどもソフィアもランドールも文字通りこの婚約を「ソフィアの監視のため」と受け取ってしまったから、二人の関係は最悪。ランドールはソフィアに冷ややかな態度を続けて、ソフィアがひねくれる原因の一つになるのであるが。


(ランドールかぁ)


 ソフィアはがっかりした。

 ランドールは「グラストーナの雪」の攻略対象者の中でも、特にソフィアが好きなキャラクターの一人である。彼は一見とても冷酷そうに見えるが、主人公にデレるとそれはそれは溺愛してくれるのだ。それなのに、ソフィアは一年後に彼と婚約して、彼から日々冷たい態度をとられることになるのである。これが嘆かずにいられようか。


「つまり何? ランドールとの婚約を阻止すればいいの?」


 するとオリオンは「ちっちっち」と立てた人差し指を横に振った。


「違うわよ! 四年後までにランドールと結婚して、この城からさっさと退散しておけって言ってんの!」

「は?」

「婚約じゃなくて結婚してたら、婚約破棄イベントも起きないでしょーが!」


 なるほど。オリオンの言うことは一理あるが、そう簡単にいくだろうか?

 ソフィアが腕を組んで「うーん」と唸っていると、オリオンがとどめの一言を放った。


「あんた、ランドールが好きだったじゃない。結婚すりゃ、あんたのものよ」


 ランドールが、わたしのもの。

 ソフィアの脳裏に、ゲームの中で見せた彼の微笑みがよみがえる。


「いい……!」


 ソフィアはベッドの上に立ち上がり、ぐっとこぶしを握り締めた。

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