悪役令嬢の愛され計画~破滅エンド回避のための奮闘記~

狭山ひびき@広島本大賞ノミネート

乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったようです

プロローグ

「信じられない! わたし、ソフィアじゃないのっ」


 ソフィア・グラストーナは頭を抱えて叫んだ。

 枕元にいた侍医と侍女、そしてソフィアが国王に引き取られてから彼女の護衛としてそばにいるオリオンがぎょっとしたような顔をする。

 庭で転んだ時に打ちどころが悪かったのでは――、彼らは一様に不安そうな表情を浮かべたが、当の本人は全く気づかず、頭を抱えたまま今度はベッドの上をごろごろしはじめた。


(ありえない! ありえないありえない! わたし、よりにもよって悪役令嬢じゃないの―――!)


 庭で気を失ってようやく目を覚ましたソフィアの奇行に、侍医は泣きそうになった。妾腹とはいえ彼女はこのグラストーナ国の第二王女である、もしも気が触れたなどと言うことがあれば、侍医は処分されてしまうかもしれない。

 真っ青になって震えはじめた侍医の横で、いち早く立ち直ったのはオリオンだった。ふむと顎に手を当てると、まだベッドの上でごろごろしているソフィアを見て、侍医と侍女に言った。


「たぶん、少ししたら落ち着くでしょうから、あとは俺が見ていますよ」


 男性にしては少々高めの声で言い、にっこりと微笑めば、侍医と侍女は渡りに船と飛びついた。

 もしもここにいて姫に何かあれば、侍医と侍女は責任問題だ。オリオンに責任を押し付けてさっさと退散したい。

 侍医たちが「あとは頼みます!」と逃げるように部屋をあとにすると、オリオンはじっとソフィアを見つめてから、こう訊ねた。


「もしかして、前世の記憶、ある?」


 ぴたり、とソフィアはベッドの上で転がるのをやめた。






 ソフィア・グラストーナは、グラストーナ国王の娘でありながら十四歳まで市井で育った。

 ソフィアの母はかつて城で働いていた侍女で、国王の手がついたことが王妃に知られ、城を追い出されたが、その時すでにソフィアを身ごもっていたのである。

 母は王にはその事実を告げず、ひっそりとソフィアを産んで育てた。そのため、ソフィア自身も自分が王の娘であることは知らなかったのである。

 しかし、ソフィアが十四歳の時に母が病で息を引き取ると、いきなり国王の使いであるランドール・ヴォルティオ公爵がやってきた。二十一歳の若さで爵位を継いだ赤毛の若き公爵は、はしばみ色の瞳を冷ややかに細めて端的に言った。


「陛下からお前を連れてくるように言われた。大人しくついてこい」


 ランドールは国王の弟の息子で、王は伯父にあたる。当然ソフィアは従妹になるが、彼の瞳には情のひとかけも存在しなかった。

 どうやら母は、息を引き取る間際に国王に手紙を書いていたらしい。それによりソフィアが自分の娘であると知った国王は、ソフィアを引き取ることにしたのだとか。


「言っておくが、俺はお前が陛下の娘だと信じたわけではない。陛下をだますつもりであれば即刻処刑してやるからそのつもりで」


 母を亡くしたばかりの十四歳の少女に向けて告げるには、あまりに辛辣な言葉だった。

 ソフィアは途端にランドールのことが嫌いになり、「行かない!」と泣き叫んだが、彼は無常だった。無理やりソフィアを馬車に押し込むと、城へ連行したのである。


 そこから、ソフィアの地獄がはじまった。

 国王はソフィアを歓迎したが、王妃やその子供たちは誰一人ソフィアを歓迎しなかった。王妃は夫の浮気相手の子供を憎み、彼女の子供たちもそれに追随して、ソフィアをいじめた。ソフィアと数か月の差で生まれた姉のキーラは、中でも特にソフィアを毛嫌いしていた。彼女は潔癖なのだろう。まるで汚いもののようにソフィアを見て、ソフィアが近くにいれば拒絶反応を示した。


 ソフィアが庭で倒れたのは、そんなある日のことだった。

 城に来て三か月がたち、いまだに城での生活になじめないソフィアは、庭で一人、ポツンと本を読んでいた。

 父が与えた護衛のオリオンはいたが、彼はあくまで護衛として、主人にはあまり干渉しないスタンスらしい。庭で本を読むと言えば、彼は離れたところに静かに控えていた。

 もし、オリオンがソフィアのすぐ近くにいれば、こんなことにはならなかっただろう。

 ソフィアが本を読んでいると、偶然キーラが庭に現れた。キーラはソフィアを見つけると、途端に空色の瞳を不快そうに細めて、そばにいた侍女に命じた。


「あそこにいる庶民を追い払ってちょうだい、不快だわ」


 その声がソフィアに届いたとき、ソフィアはため息をついてベンチから立ち上がった。面倒ごとは避けたい。庭での読書はあきらめて、部屋に戻ろう、そう思った。だが――

 立ち去ろうとしたソフィアの周りを、キーラの三人の侍女が取り囲んだ。彼女たちはキーラと同じでソフィアのことを「汚い庶民」だと思っている。


「ちょっと、そこのベンチが汚れちゃったでしょう。きれいに掃除しなさい」


 侍女の一人がそう言って、ソフィアは眉をひそめた。ソフィアはただベンチに座っていただけだ。それを汚れたなど――、お貴族様からすれば庶民が触ったものはすべて「汚い」のか。さすがに黙っていられず、ソフィアは口を開いた。


「ただ座っていただけで汚した覚えはないわ」


 ソフィアが言い返してくると思わなかったのだろう、侍女はカッと顔を赤く染めて、ソフィアの頭をつかむと、ぐいとベンチに向かって力いっぱい押した。それが、まずかった。

 ソフィアは市井で暮らしていたとき、いつもぺったんこの靴を履いていた。ヒールのある靴はまだ履きなれておらず、侍女に押された途端にバランスを崩してしまい、そのまま勢いよくベンチの角に頭を打ち付けてしまったのである。


「ソフィア様!」


 さすがにオリオンが慌てて駆けつけたが、打ちどころが悪かったのだろう、ソフィアはそのまま気を失ってしまったのだった。






 目を覚ましたソフィアは最悪な気分だった。

 パニックと言っていい。

 庭で気を失ってからベッドで意識を取り戻したソフィアは、いろいろ「思い出して」しまったのである。

 何を?

 前世の記憶をだ。

 ソフィアはソフィアとしてこの世界に生を受ける前、違う世界で暮らしていた。死因はどうも思い出せないが、十七歳で死んだソフィアが転生した先がこの世界だったようである――のだが。


(最悪すぎる……!)


 前世の十七年の記憶を取り戻したソフィアは、この世界が「何」であるのかを知った。そう、ここはソフィアが前世でこよなく愛した乙女ゲーム「グラストーナの雪」の世界に間違いないのである。

 そしてソフィア・グラストーナ。それは「グラストーナの雪」の中の悪役令嬢だった。

 ゲームの中のソフィアは、十四歳で国王に引き取られたあと、城の生活になじめずにひねくれて育つ。そして、ヒロインである異母姉のキーラを陥れようと画策するようになるのである。

 ゲームをしていた時は何も思わなかったが、実際ソフィアになってみると、実にふざけていると思う。

 妾腹の生まれで虐げられていたソフィアが悪役令嬢で、何不自由なく育てられたキーラがヒロイン。ゲームではソフィアがひねくれた背景までは詳しく描かれていないが、城に引き取られたこの三か月だけで、さんざんな目にあった。ソフィアがひねくれたのも当然である。


(最悪、最悪、さーいーあーくー!)


 ゲームの中のソフィアは、ヒロインの攻略対象が誰であろうとも、たいてい追放か修道院送りとなる。このままいけばソフィアの未来は地獄だ。


(どうすればいいのー!)


 ソフィアが頭を抱えてベッドでごろごろしていると、突然、ひどく冷静な声がした。


「もしかして、前世の記憶、ある?」

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