第36話 風無さん、落ち着いて15
「待たせたな」
助手席に俺が乗り、風無さんは放心状態の橘さんに寄り添って後部座席に乗り込む。
九十九と漆葉に見送られながら、病院へと向かった。
「乗せていただきありがとうございます」
「気にしなくていい。ただ少しでも責任を果たそうとしているだけだ」
「責任? あなたは松園さんとどういう関係なんですか?」
「俺は松平。あいつとは同期なんだ」
そういう松平さんの横顔をどこかで見た覚えがある。
……そうだ、昨日ユヌブリーズで食事をしていた人だ。
「昔から人一倍働き者で。ほとんど休みも取ろうとしない。それで昔体を壊しちまったんだ」
「どうして、そんなになるまで」
松平さんはバックミラーを一瞥する。
「奥さんと梨花ちゃんのためだよ。あいつは仕事の休み時間になるといつも奥さんと梨花ちゃんの話をしてた。不器用ではあったけど、あんなにも妻と娘を愛してた奴は俺は見たことがない。だから松園が離婚したって聞いたときは驚いたよ」
助手席から後部座席を覗き込むが、橘さんは俯いていて、表情が読み取れない。
「部外者とは十分承知だが、松園のことを理解してやってくれないか? あいつが梨花ちゃんと梨花ちゃんのお母さんに苦しい思いをさせたくない一心で仕事に明け暮れてたんだ。間違いなくあいつは━━」
「部外者だと思うなら口出ししないで。あいつはもう私の父親なんかじゃない」
冷たい言葉がそれ以上の言葉を許さず、松平さんは口を閉ざした。
「それで、松園さんはどうして病院に」
俺がそう尋ねると松平さんは唇を噛みやるせない表情で真っ直ぐ見つめる。
「俺がいながら……あいつの様子がおかしいことに何度も気づいてたはずなのに……またあいつは……」
「もしかして、過労ですか?」
「おそらく……いや、間違いない。あいつはずっと昔と変わらない仕事量をこなしてた。だけど時間は残酷なんだ。気はごまかせても、もうあいつに今までの仕事をこなす体力はない」
「なんで……なんで止めなかったんですか!? 気づたときに止めればこんなことにならずに済んだかも━━」
年上の、しかも初対面の人に向かって感情をぶつける。
がすぐに俺が気が付いた。
平さんは遠くを見つめながら悲しい目をしていることに。
「できなかったんだ。あいつが仕事をする理由は今も昔も何一つ変わってないんだからな。それを奪っちまったら。あいつは……」
すべて察した俺はそれ以上何も言えず、車内は誰一人として口を開かなかった。
「……着いた。ここだ」
病院についたところでようやく松平さんが口を開く。
車を降りて病院のロビーへ向かった。
「ここで待っててくれ。受付に行ってくる」
松平さんは一人受付へ赴き、俺達は近くの椅子に腰を掛ける。
「大丈夫ですよ。きっと軽いものですから」
励ましの言葉を贈る風無さんだが、橘さんからの返事はない。
「まだ治療中で面会できないようだ。俺は残るが、君達はどうする?」
面会が何時になるかも分からない。
そもそも今日会えるのかも怪しいし、松園さんの体調が回復してからまた会いに来た方がいい。
風無さんと俺は一度顔を見合わせる。
俺がどうしたいのか察した風無さんは一度だけうなづく。
「今日は俺達━━」
「残る」
思いがけない橘さんの言葉に俺は驚いた。
「橘さん、今日は帰りましょう。たとえ今日面会できたとしても、もう少し体調が回復してから落ち着いて話した方がいいです」
「そ、そうだよ。風無さんの言う通り」
説得を試みるが、橘さんの意思は揺らがない。
「いやよ。今日会えないなら、私は二度とあいつに会うつもりはないから」
そう言われてしまうと、俺はこれ以上説得することができない。
「わかったよ。松平さん、俺達も残ります」
「わかった」
松平さんも近くの椅子に座り、面会できるまで待つことに。
おもむろに時計を見つめると、すでに夕方の六時。
もう美月さんが帰宅している時間だ。
「ちょっと電話してくる」
一言残し、念のため病院の外で美月さんに電話をかける。
『もしもし』
「もしもし、陽太だけど」
『どこにいるの? 帰ってきたらご飯もなくて、陽太いないし』
「ごめん、ちょっと帰るのが遅くなりそうだから、適当に食べてくれない?」
『えー、今日は肉じゃがだから楽しみにしてたのにー』
心底残念がる美月さんの声で、罪悪感を抱くけど、ここを離れるわけにはいかない。
「今度美月さんの希望のもの作るからさ」
『絶対よ?』
「うん。それじゃあ、また帰る時になったら連絡する」
通話を切ろうとしたが、ふと思いとどまり、再び美月さんを呼ぶ。
「美月さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『ん? どうしたの改まって』
「親って、子供のこと大切に思ってるのかな?」
『急に何? 変な質問ね』
たしかに自分で聞いておいてなんだけど、おかしな質問だ。
『まぁ、親だし、大切に思ってると思うわよ』
「でも、子供はそう思ってなかったら? 親だと思ってないなんて言われたら? それでも変わらず大切に思ってると思う?」
立て続けに質問する。
美月さんはしばらく黙ると、深くため息を吐いた。
『大切に決まってるでしょ?』
「なんで言い切れるの?」
『姉さんがそうだからよ』
母さんが?
『いつも私に連絡してくるとき、一言目には陽太の名前が出るのよ。そんな姉さんがたかが陽太に嫌われたぐらいで、気持ちが変わるほどやわじゃないっての』
「そっか」
『でも、親が子供を大切に思ってるのと同じぐらい、子供も親を大切に思ってると思うわよ』
「なんでそう思うの?」
『陽太がそうだからよ』
「……そっか」
目頭が熱くなり、溢れそうな涙を必死に堪えて天を仰ぐ。
「ありがとう、美月さん」
『いいって。帰るときは連絡しなさいよ』
「うん」
美月さんと通話を切り、熱くなった目が冷めてからロビーに戻った。
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