第35話 風無さん、落ち着いて14

「んで、ここまで連れてきて私から何が聞きたいわけ?」


 満足いくまで勉強を終えたところで茜色に染まり始める図書館を後にし、ユヌブリーズにやってきた俺達は隅のテーブルを貸してもらうことに。

 天草さんの厚意でコーヒーをいただきながら本題に入っていた。


「松園さんとのこと」

「あいつのこと? 私の父親で今は他人。はい、これでいい?」

「そんなんじゃこいつは納得しないぞ」


 近くのカウンターで頬杖を突きながらコーラを飲む九十九。

 橘さんは面倒くさそうにため息を漏らす。


「てか、嵐と風無がいるのは分かるけど、あんた達はなんでいんの?」

「こいつらが行き過ぎた行動をしないか監視するため」

「あら、私がいつ行き過ぎた行動をしたのでしょうか」

「「つい一時間前」」


 同時に答える橘さんと九十九。


「じゃあ、あんたも?」

「僕は書いてるラノベの資料になればいいなーと思って」

「「おあんたは帰れ!」」


 また息ぴったりの二人。

 意外と仲がいいのかもしれない。


「はぁー、なんでこんなことになったのかなぁ」

「橘さん、お願いだ。少しでいいから話してくれない? どうして、松園さんのプレゼントを受け取らなかったの?」


 懇願する俺をうっとうしそうに見つめながらも、仕方ない様子で話し始める。


「いつも仕事で私とお母さんを放ったらかしだったあいつを父親なんて思ったことない」

「それは、橘さんのために」

「どうだか。どうせ私たちと顔を合わせるのも嫌だったんでしょ」

「橘さん、いくら何でもそれは言い過ぎよ」


 風無さんが横から口を挟み、橘さんの発言を指摘するが、橘さんはそれが当たり前だと言わんばかりに鼻で笑った。


「あいつの何を知ってるの風紀委員さん。もしかして、裏であいつとデキてんの?」


 明らかに神経を逆なでるような物言い。

 しかし、風無さんは挑発に乗ることなく冷静だった。


「自分の親のことを悪く言うのはどうかと思っただけです」

「だから、あいつのことを父親なんて━━」

「嘘、だよね?」

「はぁ?」


 言葉を遮った俺に向けて、眉をひそめる。


「だ・か・ら! 何度言ったら分かるわけ? あいつを父親だと思ってないっての!」


 語尾を強めて敵意を向けられるが、俺は静かに橘さんの鞄についているあのストラップに視線を向けた。


「そのストラップ、ずいぶん修繕された跡があるけど、お気に入りなの?」

「ああ、これ? ……一応、ね」


 唐突の質問だったけど、橘さんは気分を害すことはなかった。

 むしろ表情が柔らかくなったように俺には見えた。


「それ、松園さんからもらったものだよね?」


 強気だった橘さんの顔に目に見えて動揺の色が見える。

 俺がそこまで知っていることが予想外だったのだろう。

 ばつが悪そうに舌打ちをする。


「前にデパートで買ったのよ」

「そのストラップはもう販売してないみたいだけど」

「どんだけ調べてんのよ気持ちわる」


 罵倒するも、その声は弱弱しかった。


「松園さんを遠ざけてるのに、昔もらったものをそれだけ大事にしてる。それって本当は松園さんのことを大事に思ってることなんじゃないの?」

「関係ない。あいつはいつも私とお母さんを放ったらかして仕事してたの。それに嫌気がさして私達は離れたの。私達が離れれば……」

「『私達が離れれば』? それはつまりその行動は松園さんを思っての行動ととらえていいのかしら?」


 風無さんが失言を見逃さず掬い上げると、橘さんは咄嗟に右手を口元に置いた。


「正直になったらどうだ。もうそこまでされたらお前が嘘ついてるってのはバレバレだ」

「は? 正直になれとか意味わかんないし。キモッ」


 気に障る言い方で挑発するも、九十九は全く動じない。


「橘さん、一度だけでいいんだ。松園さんと一度だけちゃんと話してほしいんだ」

「嫌だし。なんでそんなメンドイこと」

「橘さん……お願いします」


 俺は席を立ち、床の上に座って頭を地面につける。


「おい嵐!」

「嵐君何をしているの!?」

「やめなって!」


 三人から困惑する声がするけど、それでも俺は額を地面につけ続けた。


「お願いだ……頼む……」

「……なんでよ」


 橘さんは消え入りそうな声で尋ねる。


「どうしてそんなに私とあいつにこだわるの?」

「本当に嫌がってるなら呼び出した時点で手を引いてたよ。でも、そうじゃないって確信したから」

「なんで他人のことで女に頭を下げられるの? プライドとかないわけ?」

「他人のために頭を上げることを恥ずかしいと思わない。それにあいにく傷つくほどのプライドを持ち合わせてないからね」

「なにそれ。はぁー……ほんっと、意味わかんないし」


 席から立ち上がる音がする。

 これでもダメなのか。


「……立ちなよ」


 橘さんの言葉で俺は顔を上げた。


「一度だけ付き合ってあげる。でも、一度だけだから」

「橘さん……ありがとう」

「礼を言われることじゃないし。ほらさっさと立てって。店長と他の客に見られてるから」


 そう言われてようやく周りの状況を理解し、顔から火が出る思いをする。


「さっき恥ずかしくないとか言ってなかったっけ?」

「こ、これは別のことで恥ずかしいわけで……。あの、すいませんお騒がせして」


 天草さんに平謝りすると、天草さんは特に怒るわけもせずに微笑えむ。


「いいよいいよ気にしないでくれ。それにしても青春してるね。私も若い頃は」


 まずい。天草さんが昔話を始めた。

 この手の話は毎回長くなるからさっさと店を出よう。


「あ。もうそろそろ俺達行かないと。ごちそうさまでした」

「ん? そうかい。みんなもまた来てね」


 みんなを引き連れて店を出る。


「で、出たのはいいけど、どうすんだこれから。ここで解散か?」


 と九十九が尋ねる。


「何とかして会えないかな」

「……一応聞くけど、橘の親父の連絡先は知ってるんだよな?」

「え、知らないけど」

「……そうか、知らないのか」


 素直に答えると、九十九のてがスッと俺の襟を捕らえる。


「じゃあどうやってコンタクトを取るつもりだったんだコノヤロー」

「九十九九十九。もうそろそろ弱めないと嵐が死んじゃう」


 意識を失いかけたところで九十九が手を放す。

 あ、危なかった。


「それなら問題ありません。松園さんが働いてる会社が近くにあるそうなので、そこに直接向かえば」

「そこで橘の親父に会えるってか。一応それで何とかなるか。風無がまともでよかったよ。比較的だけど」

「なら今から行った方がいいんじゃない? 会社の定時って言ったら、このぐらいの時間だろうし。ま、それを決めるのは本人だけど」


 漆葉の全員の視線が橘さんへと集中する。


「いいよ。私もさっさと済ませたいし」

「決まりだね」


 漆葉がスマホのマップを開く。


「えーっと、その人が務めてる会社名は?」

「たしか磯村工業だったと思うけど、どう橘さん」

「間違いないと思う。少なくとも私と暮らしてた時はその会社だったはず」


 その情報をマップ入力。

 磯村工業のルートが漆葉のスマホに表示され、機械交じりの女性の声で案内が始まる。

 その案内に従い、俺達は磯村工業へ歩き始めた。


「ところで、あんた達はどうなのよ?」


 向かってる最中、おもむろに俺達に質問を投げる。


「どうって、なんだよ」


 質問の意図を理解できなかった九十九が尋ね返すと、橘さんは一つため息を吐く。


「ここまで他人ひとの家庭事情に首突っ込んでおいて、自分達はどうなのよってこと」

「あ、そういうことか。といっても俺は特にだな。口喧嘩はするけど、それなりに仲はいいと思うぜ」

「僕と両親は同じ趣味を持ってることもあって良好な関係だよ」

「ふーん……んで、あとの二人は?」


 橘さんの質問が俺と風無さんに回ってくる。


「俺のところは……よくわからないかな。今は父親が仕事で海外だし、母親もそれについて行って、今は

 家には叔母の美月さんと一緒にくらしてる感じ。でも、親とは連絡は取ってるよ」

「あんたも大変ね。じゃあ、風無はどうなのよ」


 最後は風無さん。

 そういえば、この手の話を風無から聞いた覚えがないな。


「私ですか? 現在は父、母、姉、妹の五人暮らしです」

「なかなか大所帯ね」

「はい。良好な関係も築ていると思います」

「みんな、親と仲がいいのね」

「あなたもこれから両親と良好な関係が築けると思いますよ」


 風無さんの一言にそっぽを向く橘さん。


「あの角曲がればすぐみたい」


 同じタイミングで漆葉がそう言う。

 いよいよかと気を引き締めて角を曲がる。


「……え?」


 俺達の目の前には磯村工業の看板を背負った建物が。

 しかし、門の前には救急車が止まっており、誰かが担架で運ばれていくのが見える。


「事故でもあったのかな?」

「漆葉!」


 不吉なことを口にする漆葉をよそに、俺は担架で運ばれていく人物に言葉を失った。

 それは橘さんも同じだった。


「お……父、さん?」


 まるで時間が止まったかのようにその場を動かない橘さん。


「橘さん!」


 救急車が磯村工業を離れたところでその時間が動き出し、会社の前にいた従業員に駆け寄った。


「あの! さっき運ばれたの誰ですか!?」

「ん? 誰だい君は」

「誰が運ばれたの! 教えて!」

「橘さん、一度落ち着きましょう」


 風無さんが冷静ではない橘さんを制止する。


「……君、もしかして、梨花ちゃんかい?」

「え、なんで私のことを」


 橘さんのことを知っっている従業員は、血相を変えて橘さんに今あったことを話し始める。


「君のお父さんが仕事中に倒れたんだ。それで今さっき救急車に運ばれたんだ」

「そ、そんな……」


 膝から崩れ落ちる橘さん。

 今はまともに話せる状態ではない橘さんに代わり、俺が従業員に尋ねる。


「どこの病院に運ばれたかわかりますか?」

「ああ、ここから一番近い病院に運ばれたはずだ」

「あの、そこに連れて行ってもらえませんか」

「ああ、もちろんだ」


 橘さんの心情を理解してか、二つ返事で引き受けてくれた。


「ただ、全員は乗せられない。乗せられるのは三人までだ」


 三人……

 橘さんは当然乗るとして、あと二人は……


「何考えてんだよ。お前と風無が乗れ」

「僕達が一番の部外者だし」

「……わかった」

「今から車を取りに行くから少し待っててくれ」


 従業員の人は車を取りに会社へ。

 俺達は戻ってくるのを待ちながら、橘さんを落ち着かせるのだった。

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