第37話 風無さん、落ち着いて16
「嵐君、電話はもういいのですか?」
「美月さんに遅くなるって連絡しただけだから。それで、何か進展は」
風無さんは首を横に振る。
そりゃそうだよね。
「あれ? 松平さんは?」
「松平さんは売店に行ってます。もしかしたら長丁場になるかもしれないので、飲み物などを買ってきてくれるそうです」
「そうなんだ……」
横目で橘さんの様子を見てから風無さんの隣に座る。
すると、風無さんは橘さんに聞こえないように小声で話しかけてきた。
「どうして急にあんなことを言ったんでしょうか。されに、ずっと怖い顔をしています。正直、穏便に話ができるようには思えまん。このまま松園さんに合わせるのはどうかと」
「たしかにそうかもしれないけど……それでいいのかもしれない」
首を傾げる風無さん。
その奥で刺すような目つきで睨む橘さんの姿が。
「何? 二人でこそこそ話して」
「い、いや、なんでもないよ」
「いいから、言いたいことがあるなら言いなよ」
「なんでもないって」
詰め寄られるも、必死誤魔化していると、ちょうどよく松平さんが飲み物を抱えて戻ってくきたことで話は有耶無耶になる。
ほっと胸を撫で下ろし、受け取った飲み物に口をつけた。
一時間後。
看護師から面会の許可が降りたことを告げられ、俺達は松園さんがいる病室に向かう。
病室の前の扉には松園さんの名札だけが貼られており、幸いにも同室の患者はいないようだ。
「先に入るから、俺が呼んだら入ってきてくれ」
反応しない橘さんに代わり、俺と風無さんが頷くと、松平さんは病室へ。
「松園」
「おおっ! 松平! わざわざこんな時間に来るなんて、物好きだな」
高笑いする松園さんにとりあえず安堵する。
「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合じゃないだろ。また無理しやがって」
「ちょっとフラついただけだ。医者も大袈裟にしやがって」
「大袈裟なもんか。色んな奴が心配してたんだぞ」
「心配? 誰が?」
「……ちょっと待ってろ」
病室から顔を覗かせた松平さんが、手招きで呼ぶ。
俺と風無さんは行こうとしたが、橘さんは微動だにせず、壁にもたれかかっていた。
「橘さん、行きますよ」
「私はここで待ってる」
「ですが」
風無さんは連れて行こうと説得するが、俺がそれを止め、首を横に振った。
風無さんは諦め、俺と一緒に部屋に入った。
「ん? お前、嵐か!? なんでここに?」
「松園さんが救急車で運ばれるところを見て、心配して来たんですよ」
「そりゃ悪かったな。この通りピンピンしてるぞ!」
そう言って両手でガッツポーズを決める。
しかし、その腕に刺さっている点滴が、その言葉が偽りだと証明していた。
「んで、その隣にいる嬢ちゃんは……あ、前に話してた
ニヤニヤ笑って小指を立てる松園さんに苦情を浮かべてやんわりと否定する。
「そういうわけじゃ」
「今はまだです」
「風無さん!?」
風無さんに慌てていると、松園さんは高笑いをする。
「はっはっはっ! いやー若いね!」
「俺達のことはいいんです! それより、松園さん。どうして倒れるまで仕事してたんですか」
「そりゃお前、金を稼いで、美味い飯食って、いい暮らしするためだよ」
本題に入るも、さほど真剣に応える様子ではなく、どこか不真面目さを感じる。
「何が美味い飯を食ってだ。医者から栄養失調手前って聞いたぞ」
「そりゃ、肉ばっか食って野菜食ってなかったらそうなるわな」
「真面目に答えてください。嵐君も松平さんも、松園さんのことを心配してるんですよ?」
どうやら風無さんは松園さんの言動を不快に思っているようで、少しだけ声に力が入っていた。
「おー、怖い怖い。せっかくの美人が台無しだ」
だがそれでも松園さんは態度を改めようとはしない。
「松園さん。お願いですから、体を大事にしてくださいよ」
「いいんだよ。俺は孤独な男だからな。妻にも娘にも愛想尽かされた俺には何も残ってないんだよ」
その瞬間、病室の扉が勢いよく開くと、鬼の形相の橘さんがズカズカと部屋に入り込んでくる。
「り……梨花。な、なんでここに?」
これには本心を隠せない松園さんは目を丸くし、橘さんに釘付けとなっていると、目の前までやってきた橘さんは力強く松園さんの右頬を引っ叩いた。
呆然と叩かれた頬にそっと手を置く松園さん。
その姿を橘さんは蔑んだ目で見下ろしている。
「橘さん! いくらなんでも手をあげるのは━━」
風無さんが咎めようと前にで出るが、俺はそれを片腕を広げて静止させる。
「嵐君、なぜ止めるんですか?」
「いいから。ここは松園さんと橘さんに任せよう」
納得したわけではないようだけど、風無さんは素直に松園さんと橘さんの間に入ろうとせずに、二人の結末を見守る。
「あんたの言う通りよ。あんたは一人。私とお母さんはあんたについていけなくて離れた。だからあんたと
私達にはなんの関係もないのよ」
「……あぁ、そうだな」
悲しそうに俯く松園さん。
一方の橘さんは、顔に出てしまうほどに苛立っている。
そして、病人である松園さんの胸ぐらを掴んだ。
反射的に止めようとした風無さんだったが、グッと堪えて静観を続ける。
「だったら! 他人の私達にお金なんか振り込むんじゃないわよ!」
「だ、だが、それはお前達を放っておいた俺からのせめてもの償いだ。金だけには困らせないために━━」
「ふざけんな!!」
橘さんの怒号が松園の声をかき消す。
その怒号は感情任せではあったけど、憎しみや恨みを一切感じなかった。
「あんたがぶっ倒れるほど働いて稼がないといけないほど、生活に困ってないわよ! お母さんも働いてるし、私だってアルバイトしてる! あんたの助けなんて必要ないのよ! だから!!」
力強く握っていた胸ぐらを離すと、松園さんの胸に飛び込む。
「もう無茶しないでよ……体を壊さないでよ……私達のことは気にしないで、自分のために生きてよ……お父さん……」
松園さんの胸の中で啜り泣く声が聞こえる。
「梨花……すま、ない……俺はお前達を苦労しない一心で」
「お金なんていらない。苦労だってどうってことない。私が嫌だったのは、お父さんと一緒にご飯が食べれなかったこと……朝起きても、お父さんの顔が見れなかったこと、だから」
「り、梨花、俺は……俺は……」
滝のように溢れ出る涙を流しながら、娘を抱きしめる。
お互いが大事にした結果生まれたすれ違い。
この親子に必要だったのは、互いを思って自分を犠牲にすることではなく、本音をぶつけることだったんだ。
遠回りではあったけど、再び二人が親子になれたことを信じて、俺と風無さんは病室を後にした。
「嵐君はあのような結果になるとわかっていたんですか?」
病院発のバスに揺られていると、隣に座っていた風無さんが尋ねてくる。
「わかってたら、あの時帰ろうとはしてないよ」
「そうですよね。でも、病室での嵐君は、まるで結果がわかっていたように私を止めていました」
「あー、あれね。美月さんと電話したからかな」
「美月さんと、ですか?」
「うん。病院着いてから美月さんに電話した時に、今回の件をちょっと相談しててさ。その時言われたんだ」
風無さんは俺の言葉をジッと待っている。
「『親が子供を大切に思ってるのと同じぐらい、子供も親を大切に思ってる』って。だから、俺はあの二人を信じたんだ。お互いきっと大切に思ってる。だから、話す機会さえ用意できれば、他人が二人の間に入る必要はないんだと思ったんだ」
「……嵐君はすごいですね」
なぜか風無さんは俺を褒める。
「別に、すごくは」
「いえ、すごいです。私はそこまで人のことを考えれていません」
「そんなことは。現に風無さんだってユヌブリーズで橘さんの違和感にすぐ気がついたし」
フォローを入れるも、風無さんはそれを否定する。
「いいえ。あれはただ言い方に違和感を持っただけで、その奥を見ていません。もしかしたら、私は自分が思っているよりも、冷たい人なのではと」
落ち込んだ様子の風無さんに、今度は俺が否定する。
「そんなわけないよ。橘さんが不安な時、すぐ隣にいたじゃないか。冷たい人なら、あんなことできないよ」
「……ありがとうございます」
自然と俺の肩に頭を預ける風無さん。
少し驚きはしたものの、俺はどうするわけもなく、降りるバス停まで赤くなった顔を見せないように、窓から街灯りを眺めていた
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