第31話 風無さん、落ち着いて10
翌日の放課後、俺は手紙に書いた通りに屋上で橘さんを待っていた。
手紙は午前の移動教室の際に昇降口に寄り、人がいないことを確認してから下駄箱に入れた。
あとは橘さんが来るのを待つだけ。
待っている間、手持ち無沙汰な俺はふと天を仰ぐ。
清々しいほどに快晴な空。
しかし、俺の心の内は生憎の雨模様。
橘さんと一対一で話すことへの不安もそうだけど、今日の風無さんの言動も要因の一つだ。
今朝身だしなみチェックがあったが、俺をスルーした。
そして昼休みは、メールで今日はお昼は別々で食べることを告げられ、久しぶりに九十九と漆葉と昼食を取ることになった。
今日は委員会の集まりがあるからと一緒に帰ることをやめたけど、もしかしたら昨日のことで愛想を尽かされたのかもしれない。
自業自得とはいえ、ため息が漏れてしまう。
肩を落とす俺の背後からガチャリと扉が開く音がする。
きっと橘さんだ。
緊張しながらも、怖がらせないように柔らかい口調で話しかけようと、橘さんのことを気遣う気持ちを忘れずに振り向いた。
「て、手紙読んだんだけど、送り主あんた? な、なに? 大事な話って━━」
何故か少し恥ずかしそうに屋上に来た橘さん。
どうやら俺だと思わなかったのか、改めて俺の顔を見た途端に顔面蒼白になる。
「あ、ああ、あんた、嵐!? ま、まさか、この手紙は……いやああぁぁぁぁ!!」
何か勘違いしているのか、取り乱し入ってきた扉にしがみつく。
「なんで!? なんで開かないのよ! 開いて! 開いてよ!」
力強く何度も扉を引っ張ってるけど、それ押し戸。
でも話しかけるのには好都合だ。
「あ、あの」
「ひっ! すいません抵抗しませんからひどいことしないでください」
警戒心と恐怖心がすでに最高潮の橘さん。
ここは優しくしないと。
とりあえず、ここは笑顔で話しかけよう。
「怖がらないで、俺は橘さんとゆっくりお話ししたいだけなんだ。だから安心して」
……おかしいな。
腰を抜かして泣き出しちゃった。
「ひっぐ、助けて……お母さん……」
「お、落ち着いて! 何もしないから」
そう言っても泣き止まない橘さんにどうしていいものかと頭を抱える。
「助けてよ……お父さん……」
微かではあったけど、たしかに俺の耳は橘さんの口からこぼれた「お父さん」の単語をひろった。
「お父さんって、もしかして、松園浩さん?」
松園さんの名前を口にした途端、先ほどまで大泣きしていたのが嘘のようにピタリと止まり、目尻に溜まっていた涙を力強く拭い取る。
そしてキッと俺を睨んだ。
「なんであんたがその名前を知ってるの」
そこには恐怖で震えていた橘さんの姿は見当たらず、目に見えて敵意を向けていた。
良い雰囲気ではないけれど、ようやく話を聞く段階に運べたことでよしとしよう。
「以前、松園さんに頼まれてプレゼントを買う手伝いをしたんだ」
「プレゼント?」
「うん、娘の誕生日プレゼントって言ってたから、橘さんに送るつもりだったはずなんだけど」
「……あー、そういえば、プレゼント渡そうとしてたっけ」
少しダルそうに答えられ、俺の心が少しだけざわつく。
「やっぱり、君が松園さんの娘さんで間違いないんだね」
「だから何? もしかして、あいつに説得しろって頼まれたの?」
「違う! 俺はただ、なんでプレゼントを受け取ってあげなかったのか知りたいんだ」
俺の気持ちを伝えると、橘さんは深くため息を吐く。
「なんで他人のあんたが私達のことに首突っ込むの? 意味わかんないし」
「たしかに俺は他人だけど、橘さんのために買ったプレゼントをどうして無碍にしたのか知りたいんだ。松園さんは君のことを思って━━」
「それがどうしたの? 私が小さかった頃は散々放ったらかして、私と遊ぶよりも仕事を優先。約束も守ってくれない。それがいい父親だって言えるの?」
「それは……」
俺は何も言えず、口を噤んだ。
「今度会ったら言っておいて。もう私に構わないでって」
「ちょ、まだ話は━━」
呼び止めようとするも、橘さんは振り向きもせずに、俺に背を向けて扉の奥へ消えていった。
深追いはせず、扉の前で立ち尽くす。
(結局、俺は何がしたかったんだ)
重い足取りでベンチに向かい、腰を下ろす。
松園さんと橘さんの仲を少しでも修復できるきっかけを作れればと、橘さんと話をしてみたけど、実際にはどうだろう。
いたずらに他人の家庭事情に首を突っ込んで、何も言い返せずこうして情けなく悩んでいる。
「ははっ、俺って、ダサいな」
「そうですか? 私はそうは思いませんですけど」
誰かに向けて呟いたわけでもないのに返事をされて思わず顔を上げる。
委員会の集まりに行っているはずの風無さんが俺を見下ろすように側で立っていた。
「風無さん。委員会の集まりがあったんじゃ」
「すいません、それは嘘です。嵐君がある特定の生徒に手紙を送ったという噂を聞いたので」
「え!? 見てたの!?」
「ですから、噂です。今日は学校中、そのことで持ちきりだったことを知らないんですか?」
全然知らなかった。
でもそう言われると、昼休みに九十九が意味もわからず頭を抱えてたな。
「気になって付いてきてみれば、相手はあの橘さん。もしかして、ラブレターを送ったんですか?」
「いやっ! そういうわけじゃ」
「……冗談です。盗み聞きしたのは大変申し訳ありませんが、事情は全て知っています」
しどろもどろしている俺とは違い、冷静な風無さんはそう言うと、俺の隣に座った。
「深く首を突っ込まないようにと注意したはずですが」
「ご、ごめん。でも、ほっとけなくて」
「それで、ほっとけなかった結果はどうですか?」
皮肉な言い回しが、俺の心を深く突き刺す。
「ダメそう。橘さん、松園さんのこと許せないみたい。やっぱり修復することは無理なのかな」
自己満足で動いた俺を風無さんは否定するだろうと、覚悟を決めていたが、
「果たしてそうでしょうか?」
風無さんから意外な返答がきた。
「たしかに、橘さんは松園さん、もとい父親との良好な関係を築こうという気はないように見えました。しかし、私は違和感を覚えました」
「違和感?」
「えぇ。何かはわかりませんが、嵐君と橘さんの会話に何か引っ掛かりがありまして」
引っ掛かり。
たしかに橘さんとの会話を思い出すと、俺も引っ掛かりを覚えた。
なんでだろうか。
「……もしかして」
これが正しい答えかはわからない。
でも、自分が感じた引っ掛かりを解消するには十分な答えだ。
「どうやら、何かわかったみたいですね」
「少しだけどね。風無さんのおかげだよ。ありがとう」
「いえ私は何も。それで、嵐君はまた橘さん達の家庭事情に首を突っ込むつもりなのでしょうか?」
「……うん、そうだよ」
隠さず答えると、風無さんは深くため息を吐く。
「わかっているんですか? 他人の家庭事情に口を挟むのはいい行いとは言えません」
「十分わかってる。でも、仲直りできるのにしないなんて、それは間違ってるよ。ましてや、家族なのに」
「ですが、人のためとはいえ嵐君が行動を起こせば、きっとまた根も葉もない噂が流れて、レッテルを貼られます。それでもいいんですか?」
「心配、してくれるんだね」
「そんなの当たり前です。好きな人なんですから」
少し頬を赤らめる風無さん。
しかし、俺は決意を変えない。
「俺は仲直りしてほしい。少しずつでいいから。仮にそれで俺にまた変な噂が流れても俺は構わないよ」
九十九や漆葉、天草さん、店長達。俺を信じてくれる人がいるから。
そしてその中にはもちろん風無さんだって。
「そうですか……なら、私も協力させてください」
「だ、ダメだよ! 俺と一緒に行動したら風無までありもしない悪評が流れるかもしれない」
不良のレッテルを貼られている俺とは違い、優等生で通っている風無さんを付き合わせることはできない。
だけど、風無さんの意思は硬いようだ。
「それがどうしたんですか? 私も嵐君と同じです。どんな悪評が流れようとも、信じてくれる人がいるなら構いません。それとも、嵐君は私から離れてしまうのですか?」
その聞き方はずるいな。
「わかったよ。手伝ってくれる?」
「喜んで」
風無さんが協力してくれるのはとても助かる。
だけど問題はこの後どうするか。
明日からテスト準備期間。
赤点は回避できるとはいえ、一応勉学を疎かにするわけにもいかないから、なるべく勉強をするつもりだ。
でもそうすると、どうしても松園さんと橘さんのことが後回しになってしまう。
「どうかされましたか?」
「いや、橘さん達のことも大事なんだけど、明日からテスト準備期間だからどうしても後回しになっちゃうなって。テスト勉強しながら、進められたらいいんだけど」
「両方すればいいじゃないですか」
「難しいと思うけど」
「そうでもありませんよ」
平然と言ってる風無さん。
嘘や誇張してるわけでもなさそうだ。
「ではすぐに行動しましょう」
踵を返す風無さんの後を慌てて追った。
「どこに行くの?」
階段を降りる風無さんの後ろ姿に声をかけると、そのまま振り返らずに端的に答える。
「ユヌブリーズです」
「え? 今から?」
「そうです。私達は明日から行動が制限されてしまいます。なので、自由に動ける今日を逃すわけないはいきません」
「それは十分に分かってるけど、それとユヌブリーズとの関係は?」
「前に松園さんが来店しましたから、何か情報を得られるかもしれません」
「でも、松園さんが来店したのはあれが最初のはず」
「それでも何もしないよりはいいはずです」
どうやら意思を曲げるつもりがないようだ。
あまり期待せず、風無さんの後ろをついていった。
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