第32話 風無さん、落ち着いて11
風無さんの後を黙ってついていき、ユヌブリーズにつくと、風無さんはそのまま躊躇わずに入店した。
「いらっしゃい━━って、なんだ嵐君か。それと君は嵐君の友達の」
「風無純花です」
「どうしたんだい? 嵐君は今日バイトの日じゃないよね?」
「そうなんですけど……」
横目で風無さんを盗み見る。
風無さんがこの後どうしようとしているのかわからず、様子をうかがう。
「後一週間ほどでテストがあるので、可能であればここで勉強してもよろしいでしょうか? もちろん、お店には貢献しますので」
風無さんのお願いに天草さんはにっこり笑って答えた。
「そんなことか。構わないよ。たまに大学生がレポート書きに来たりするから、気にせず使って。それに君は嵐君の数少ない友人だ。コーヒーはサービスさせてもらうよ」
ただでさえ席を一つ占領するというのに、加えてコーヒーまで振る舞ってくれる天草。
ただ、「数少ない友達」というワードには少しだけ心に引っかかった。
「好きな席を使って構わないよ。あとでコーヒーを持っていくから」
カウンターの奥でコーヒーの準備をしている間に、俺と風無さんはテーブル席に座った。
「ここに来たのはいいけど、勉強ってどういうこと? 松園さんについて聞きに来たんじゃないの?」
小声で話しかけると、風無さんも同じように小声で返事をする。
「いきなり松園さんのことを聞いても不審がられるだけです。あくまで世間話程度で聞くんです。それに勉強をすることも嘘ではありません」
鞄の中から教科書と、今回のテストの範囲表をテーブルの上に広げた。
「ではテストに向けて一緒に頑張りましょう」
「でも、俺と一緒にやっても風無さんは意味ないと思うんだけど。学力に差があるし」
学年トップと平均点の俺では学力に差があり、風無さんにとっては下手をしたら一人でやるよりも捗らないのではと思っていると、風無さんはそれを否定した。
「そんなことありません。誰かに教えることは相手よりも自分の勉強になるんです。なぜなら、理解していないと教えられないのですから。それに……」
「それに?」
躊躇っている様子の風無さんに首を傾げていると、噤んでいた口をゆっくりと開けた。
「誰かと一緒に、勉強してみたかったんです」
恥ずかしそうに話す風無さん。
俺は思わず吹き出してしまった。
「なぜ笑うんですか」
少しきつめに睨まれるが、それでも俺は笑いが止まらない。
「はははっ! ごめんごめん。前も一緒に誰かと昼食取ることに憧れてたとか言ってたから、憧れてることが可愛らしいなって」
「か、からかわないでください」
そっぽを向く風無さん。
初めてまともに話したあの日と比べると、少しだけ風無さんの表情の変化がわかる程度には俺達の中は深まったのだろう。
どんなに成績が良くて、真面目でも、中身は普通の女の子だ。
そして今だからはっきりと言える。
風無さんと俺はよく似ている。
境遇は違えど、周りからは近寄りがたい人物にされ、上手く他人と関係を築くことができない。
俺は運良く九十九と漆葉という良き友人に恵まれた。
しかし、風無さんには心から友人と呼べる人物はこの学校にはいないのかもしれない。
きっと、九十九と漆葉がいなかったら、俺も普通に友人のいる一般的な高校生活が眩しいほど輝いて見えただろう。
「どうしたんだい? 笑い声なんかあげちゃって」
天草さんは俺と風無さんの前に持ってきたコーヒーとブラックが苦手な俺のためにミルクも置いてくれる。
「気にしないでください。コーヒーありがとうございます。一時間程度したら帰りますので、その間ご迷惑をかけます」
「いいっていいって。どうせこの時間人少ないから」
「そうなんですか? 以前来た時はとても賑わっていたのに」
「忙しいのは休日と平日の昼ぐらいかな」
「昼はやっぱり、昼食目的で来る人が多いんですか?」
「そうだよ」
「前に来た時、作業服の着た人を見かけましたが」
「ああ! 磯村工業の人のことだね。休日は珍しいけど、平日の昼は何人か食事に来るよ。中には夕食で食べに来る人もいるけど。来るならもうそろそろ……」
ちょうどその時、カランッとベルが鳴り、私服の男性が二人入店する。
「おっと、噂をすれば。いらっしゃいませ」
対応に向かう天草さんに聞こえないように俺は声を小さくする。
「磯村工業って、たしか近くにある小さな工場だよね」
「そのはずです」
「まさかいきなり有力な情報が手に入るとは」
「むしろ店員の嵐君が何も知らないことに驚きです」
「そ、それは仕方ないよ。お客さんの職業まで覚えてるわけじゃないんだからさ」
俺達がヒソヒソと話していると、入店した男性達は俺達のテーブルから二つ隣の席に座る。
そして慣れたように注文を済ませ、談笑が始まった。
罪悪感はあるけど、気づかれないように視線をノートへ落とすも視界の端で男性達の姿を確認し、聞き耳を立てる。
「はぁー、最近は忙しいね。もう少し人を増やしてほしいもんだ」
「募集はかけてるようですけど、中々人が来ないらしいです。まぁ、その分ボーナスはたんまりと貰いましたし、今のでかい仕事が片づけられれば落ち着くって話です。社長も休日出勤した分は休みをとらせてくれるみたいですし」
どうやら二人は先輩後輩といった関係のようだ。
先輩である男性は四十代後半くらいだろうか。
一方の後輩の男性は二十代前半と若々しく見える。
「さすが社長だ! 社員のことを考えてくれてるなー」
「それにしても、最近はブラック企業だのサービス残業だので色々言われますけど、うちの会社ってそんなことないですよね? 残業や休日出勤はありますけど、ちゃんと給料やボーナスに反映されますし、休みだって取らせてくれます。社員の労働時間の状況もしっかりと確認して、働き過ぎな人には休みをとらせるぐらいですし」
「あぁ……そうだな」
後輩の言葉に何故か歯切れの悪い先輩。
それに不信感を抱いたようで、後輩が尋ねる。
「どうしたんですか?」
「……お前、今年で何年目だっけ?」
「今年四年目ですけど」
「じゃあ当然知るわけもねぇか」
「というと?」
「俺が入社した当初から、社長はちゃんと給料を払ってくれたし、休みも貰ってはいたんだけどな。今ほど休みに関しては神経質になってなかったんだが、五年前にちょっとあってな?」
「五年前、ですか。一体何があったんです?」
「俺と同期の『松園』は分かるな?」
俺は思わず立ち上がりそうになり、テーブルに強く腿を打ち付けた。
店内に響くほどの音が鳴り、店の中にいる人全員の視線が俺に突き刺さる。
「嵐君。私がシャーペンを拾いますから、無理に拾わなくていいですよ」
「え? あ、そ、そうだね。お願い」
風無さんのフォローのおかげで動揺したことがシャーペンを落として慌てたことに書き変わり、全員先ほどまでしていたことを再開した。
「あ、さっきの話ですけど、『松園浩』さんのことですよね? よくあの人に仕事の手ほどきを受けたんで」
やっぱり松園さんのことだ。
「でも、それと何か関係が?」
「五年前にあいつが過労で倒れたんだ。休日をほとんど返上して仕事してた時期があったんだ」
「それって、会社が無理矢理」
後輩の意見と同じことを考えていたけど、先輩は首を横に振った。
「いや、社長は休むように説得したんだ。だがな、松園は頑なに休もうとしなかったんだよ」
「なぜです?」
「家族のためだとよ。俺が稼がなきゃ家族がいい思いできねぇって何度もボヤいてたな。まぁ、家族のためと頑張って働いた松園だが、どんなにやる気で誤魔化しても体は正直だ。とうとう五年前に倒れちまったんだ。それからすぐに嫁と離婚したらしい」
「冷たいですね。せっかく家族のために働いていたのに、倒れたらさよならなんて酷すぎますよ」
「まぁ、何にせよだ。社長はこのことでさらに休みについては神経を尖らせてんだ。お前も金が稼ぐのはいいが、体は大切にしないとな」
会話を続ける二人だけど、そこからは話が脱線し、別の話題で盛り上がった。
これ以上は聞きたい情報は手に入れれないが、これで十分だ。
「松園さんから聞いてた通り、家族のために仕事を頑張ってたみたいだね」
「ですが、体を壊してしまい、奥さんに離婚され、橘さんと奥さんは家を出ていったようですね」
「でも、本当に奥さんは冷たい人だったのかな?」
「どうしてそう思うんですか?」
「いや、松園さんの話だと、奥さんとは連絡が取れてるみたいだからさ。そんな冷たい人なら連絡を取るのかなーって」
「それに関しては本人ではありませんので何とも言えません」
「だよ、ね」
ふと、テーブルの上に置かれたコーヒーが視界に入る。
二人の話を聞くのに夢中になっていたため、俺と風無さんのコーヒーは少し冷めてしまっていた。
早く飲まなければと思い、コーヒーを引き寄せてミルクを入れようとする。
しかし、肝心のミルクが入ったカップがどこにもない。
たしか天草さんが置いていってくれたはずだ。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっとミルクを」
視線を風無さんに向けると、風無さんの手にはミルクのカップが握られ、傾けられたカップから真っ白の滝が真っ黒なコーヒーへ流れる。
「風無さんって、ブラック派じゃ」
「今日はミルクを入れたい気分だったので」
「じゃあ、余った分でいいから頂戴」
「すいません。全部使ってしまいました」
「全部!?」
おかしい。
天草さんのことだから、俺がいつも入れる量+αで持ってきてくれたはず。
気分だからといって、味を確認もせずに全部入れるなんて暴挙をするなんて。
……もしかして。
「さっき笑ったこと、根に持ってる?」
「……何のことでしょうか? さっぱりわかりません」
しらを切る風無さん。
天草さんに頼むのも手だけど、タダでもらってさらに追加で要求するのは気が引ける。
仕方なくブラックのまま飲むことに。
天草さんのブラックなら、多少は飲めるから大丈夫だけど。
コーヒーに口をつけると、俺の口はへの字に曲がった。
「あら嵐君。おかしな顔をしてますよ」
そう言って、風無さんもミルクたっぷりのコーヒーを一口。
ゆっくりとカップを置くが、俺は風無さんが眉をひそめたのを見逃さなかった。
「……交換しない?」
「そうですね」
カップを交換して、お互いに受け取ったコーヒーを飲み干した。
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