第29話 風無さん、落ち着いて8
授業はしっかりと受けながらも、頭の片隅でストラップのことを考えていた。
脳裏に浮かぶ松園さんの写真と俺が持っているストラップは同じのはず。
休憩時間を迎えるたび、すぐにスマホでストラップを検索した。
昼休みまででわかったことは、このストラップは一部の店舗で限定販売していたらしく、売り上げが見込めなかったのか、再販もされていないようだ。
そしてこのストラップが販売されていた時期が、ちょうどあの写真と重なっていた。
ほぼ間違いなく同じものだ。
問題はこれが松園さんの娘さんのものかどうか。
「おい嵐」
何かヒントとかないかな。
「おーい、嵐ー」
そういえば、松園さんから名前を聞いたはず。
たしか……
「嵐!」
「うわぁっ!?」
耳元で大声をあげられ、椅子から転げ落ちる。
「なにすんだよ!?」
「何度も呼んでるのにお前が返事しないからだ」
「ほら、いつものように、風無さんが来てるよ」
漆葉の視線の先に、扉の前で直立不動のまま俺を見つめる風無さんが。
「あ、うん。じゃあ、いってくる」
弁当箱を持って風無さんと一緒に屋上へと向かった。
「やっぱり、誰もここに来ないね」
「そうですね。ですが、嵐君と二人になれますし、変に群がってくる人もいませんので、私としてはありがたいですけど」
「そ、そっか」
返答に困り、愛想笑いで誤魔化して昼食をとり始める。
何度も風無さんと昼食をとったおかげで、最近は自然と風無さんと会話が続くようになった。
今も昔話に花を咲かせながら食事をとっている。
「嵐君は、私と会った日の数日後に引っ越したんですよね?」
「うん。小さい頃は特に引っ越しが多かったからね。目つきも悪かったこともあって、全然友達がいなかったよ。でも、一番大変だったのは、授業かな」
「それはどうしてですか?」
「引っ越すたびに、授業の内容が変わってるからさ。前の学校ではもう終わってるはずの内容だったり、逆に進んでたりで、頭がてんやわんやだったよ」
「苦労したんですね」
「うん、特に『理科』は苦労した。俺だけ実験してなかったり━━」
ん? 『理科』?
その単語が頭の中で反復する。
「嵐君?」
理科……りか?……梨花!
「そうだ! 梨花さん! あの子の名前は梨花さんだ! 思い出せてよかったー。梨花さんを探せ……ば」
真横から、押し潰されそうなほどのプレッシャーが。
「嵐君、どういうことですか?」
俺を睨みつける風無さん。
「ど、どういうことって……」
「梨花さんと言いましたよね?」
「そ、そうだったかなー」
「言いましたよね?」
「……はい」
ダメだ。今の風無さんは些細な嘘も見逃してくれない。
「金曜はナンパではないと言っていたのに、やはり橘さんのことが気になってるじゃないですか!」
「た、橘さん?」
それって、タピオカミルクの店で会った、茶髪の女生徒だったはず。
「なんで橘さんが」
「梨花さんというのは、橘梨花さんのことなんですよね?」
橘……梨花?
頭の中の写真と、橘さんの顔がぴったりと一致した。
「そうか! たしかに小さい頃の写真と似てる!」
橘さんを見た時の既視感はこれだったんだ!
「よかったー。そうか、橘さんがあの梨花さんか。スッキリし━━」
既視感の正体を知ったと同時に、自分が再び愚かなことをしでかしていることに気がついた。
覚悟を決め、ゆっくりと、慎重に、風無さんの顔色を伺う。
どうやらとてもお怒りのご様子。
「まさか橘さんとも小さい頃に会っているとは思いませんでした。こちらが話すまで、私のことはすっかり忘れていたというのに。橘さんはちゃんと思い出したんですか? それほどまで思い出深い人物だったというんですか?」
念仏を唱えるようにぶつぶつと小言を言う風無さんに、背筋が凍った。
なんと声をかければいいのか分からないでいると、鐘の音が良いタイミングで鳴った。
「あっ! 俺この後体育だから先に戻ってるね!」
足早に立ち去り、階段を駆け下りる。
風無さんから離れることも目的ではあったけど、実際急いで教室に戻って着替えないといけない。
この時間は廊下を出ている人もほとんどいないため、俺は階段を降り切って角を曲がる。
しかし運悪く通りがかりの生徒とぶつかってしまい、お互い尻餅をついてしまった。
「いった〜……」
「ご、ごめん!」
女の子にぶつかってしまったらしい。
すぐに謝罪するが、当然怒っている女子生徒は俺をキッと睨んだ。
「ちょっと! ちゃんと前見て歩きな、さい……よ」
毛先にウェーブがかかった茶髪を赤いヘアピンで留めた女子生徒は、俺の顔を見ると顔を青ざめる。
一方の俺は見覚えのある顔にハッとした。
(この人……橘梨花さん、だよな)
松園さんの写真に写った娘さんの面影を感じていると、青ざめていた橘さんの視線が下に向くと、何かに気が付いたのか、目を丸くした。
「そ、それ!」
「え?」
指を差す先にはあのウサギのストラップが。
さっき尻餅をついた衝撃で俺のポケットから飛び出したようだ。
橘さんは目にも留まらない速さで俺のそばに落ちていたストラップを拾った。
「ドロボー! 人のもの盗むなんてサイテー! 人間のクズ!」
「いや、俺は━━」
「来ないで!」
弁明する隙も与えてくれず、橘さんは俺から走り去っていった。
「いくらなんでも、言いすぎだよ」
ただ拾っただけなのに、酷い罵声を浴びて傷心気味の俺にさらなる追い討ちが降りかかる。
「嵐君」
立ち上がったと同時に背後からの風無さんの声に体は硬直した。
「私の気のせいでなければ、先ほど橘さんが走り去っていく姿が見えたのですが。嵐君は体育があるからと、先に教室に戻ると言ってましたのに、なぜ橘さんと会っているんですか? 私が納得する説明をお願いします」
「あ、あの……」
後ろめたいことなんて一つもないのに、風無さんに詰め寄られて喉から言葉が出てこない。
九十九、お前の気持ちが少し分かったよ。
「お、俺……次の授業体育だから!」
同じ言い訳を繰り返し告げて、その場から走り去った。
悪手であると自覚していたけど、今の風無さんに説明しても納得してもらえるとは思えない。
俺はすぐに教室に入り、着替えを終えて運動場に向かった。
運動場にはすでに九十九と漆葉もおり、俺が最後の一人のようだ。
「遅かったな」
「ちょっと色々あって」
「なんかイベント発生したの!? 早くそのネタを僕に頂戴!」
「も、もう授業始まるしさ、また今度ね」
「えーいいじゃん! どうせ今日はマラソンなんだし。走りながら教えてよ!」
と、言っていたのが、授業が始まる直前。
ここまでは生き生きとした表情をした漆葉の姿。
今は死にそうなほど苦しい表情を浮かべていた。
「漆葉、無理すんな。お前体力無いんだから」
「む、無理なんて、ゼーハァー、ゼーハァー、し、してない。おぅっえ! だから」
「どんだけ嵐の話が聞きたいんだお前は」
「逆に、なんで、二人共、そんな、ゼーハァー、涼しい顔、ごふっ! なの!?」
「俺は部活やってるし」
「炊事洗濯掃除、あと買い物とかって、結構体力使うんだよね」
信じられないような目で俺達を見る漆葉。
「てか、こんなチンタラ走ってたら逆に疲れる。俺少しペース上げるから」
「あ、なら俺も」
「ちょっ! 待って! おうっぇ!」
漆葉の制止を振り切り、九十九のペースで走り続ける。
少ししてから後方をチラッと確認したけど、漆葉の姿はどこにもなかった。
「聞ける聞けないは別として、わざわざマラソンの最中に聞かなくてもいいのにな」
「あ、あはは」
愛想笑いを浮かべ、なおも走る。
「……なぁ、九十九。橘さんって知ってる?」
「橘? もしかして、橘梨花のことか?」
「うん」
何故か心底嫌そうな顔をされた。
「お前は癖の強そうな女ばかり近寄ってくるな」
「別に近寄ってきたわけじゃないけど」
「んで、なんで知りたいんだよ」
「それは……」
九十九に話すべきか少し迷ったが、円滑に話を聞くために事情を話すことにした。
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