第19話 嵐君、お付き合いしてください19

「……ん? ここ、は?」


 徐々に意識を取り戻し、視界がはっきりとしていく。

 見覚えのない天井。

 ここ一週間で何度意識を失えば済むんだと、辟易しながらゆっくりとソファから起き上がる。


「あー、よかった。気がついたんだね」


 女性の声が聞こえ、顔を向けるとそこには本屋の店長が立っていた。


「店、長? え、なんで、店長がいるんですか?」

「何言ってるの? ここは私のお店なんだからいて当然でしょ?」


 言われてみれば、どこかの休憩室のようだ。


「びっくりしたよ。お店の近くで急に倒れたって聞いたから。とりあえずここで休ませてたんだけど、平気?」

「ええ、まぁ」


 そういえば高森に怒鳴った後に気絶したんだっけ。

 あれからどれだけたったんだろうか。

 スマホで確認しようと右ポケットに手を伸ばそうとした瞬間、ふと右手に物寂しさを感じた。


「……あの、風無さん知りませんか?」

「ああ、風無ちゃんだったら……飲み物を買いに行ったけど」

「そうですか……」

「……風無ちゃんから話は聞いたよ。外で大騒ぎだったみたいだね」

「す、すいません。店の近くで」


 そう謝ると、店長は高らかに笑った。


「あっはっはっ! そんなこと気にしなくていいんだよ! 嵐君は私の常連さんだし。それに風無ちゃんを守るためにしたことなんでしょ? いやー羨ましいねぇ。灰色だった学生時代もそんな胸ときめきイベントがあったら輝いてたのになーチクショー!」


 と、オーバーリアクションの店長に、思わずクスッと笑ってしまった。


「あ、笑ったな!」

「す、すいません!」


 ギロッと睨まれたが、すぐににっこりと微笑まれた。


「怒ってないよ。むしろ笑ってくれないと、私が自虐した意味がないよ」

「す、すいま──」

「謝ったら嵐君だけ金額十割増しにするからね」

「え、あ、その……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 店長は近くにあったパイプ椅子を持つと、俺の近くに置いて座った。


「さて、感謝されたことだし、支払っていただきましょうか」

「し、支払い?」


 急な展開に目を白黒させていると、店長はニヤリと笑った。


「そりゃそうでしょ。だってここは私の店。気絶したとはいえここに一時間以上滞在されたんなら、対価を支払ってもらわないと」


 つまり、ホテルでいう宿泊料を払えということなのか。


「わ、わかりました。本を何冊か買いますよ」

「じゃあ、十冊買ってね」


 十冊……中々痛いな。でも、助けてくれたんだし、これぐらいは──


「単行本しか受け付けませんので。ちなみに、これは絶対買ってほしい当店のオススメは『世界の虫の裏側』。虫がひっくり返った写真を集めた内容でして、五千円以上する本となっております。世間でも噂になるほど有名な本です。読んだ方から『『買ったことを後悔した』『これほどまでに無駄遣いという言葉を重く受け止めたことはない』『殺傷能力は六法全書を超えた』『ウデムシの裏側がなくて残念』といった温かいメッセージが届いております。そして何よりもこの本はオークションをかけても売れない! ただでも引き取ってくれない! お金を払っても拒否される! といった逸話を残しております」


 そんなニッチで不評だらけの本絶対買いたくない!

 さすがにこれは冗談だろうと、店長を見えるも、目が商売人の目をしていた。


「あの……その、お金が」

「……仕方ないね。では今回は特別、私の質問に答えてくれたらチャラにしてあげる」


 あー、なるほど。ここまでずーっと店長のペースでことを進まれていたわけか。


「ちなみに拒否したら?」

「一冊も売れない『世界の虫の裏側』を全部買ってもらう」


 やっぱり売れてないんだとおもいながら心の中で溜息を吐く。


「分かりましたよ」

「それじゃあ早速。『風無ちゃんの印象』を教えてもらおうかな」

「印象ですか? 何でわざわざ風無さんの」

「そりゃ身を挺して嵐君が守った子だよ? 聞いてみたいじゃない」

「そんなものですかね」

「そんなもんよ」


 仕方ない。質問に答えなければ処分に困る本を買わされることになるし。


「最初の印象は……まぁ、真面目な子だなーと。風紀委員として一生懸命だし、成績だって上位。ただ、無表情で近寄りがたがったですね」

「意外と普通なのね」

「そこまで接点があったわけじゃないですから」

「でも、それは『最初」なのよね? じゃあ、『現在いま』は?」


 一瞬答えるのを躊躇ったが、素直に質問に答える。


「風無さんは……結構大胆な子で、思っていたよりも可愛らしい人なんだな、と」

「ほうほう……」


 何か言いたげに笑っている店長。


「な、なんですか?」

「いやいや、青春してるなーと思って」

「絶対風無さんには言わないでくださいよ」

「もちろん私は言わないよ」


 その時、扉が開く音がした。


「あ、お帰り風無ちゃん」

「店長さん……っ!? あ、嵐君」


 俺が気が付いていることに動揺しているのか、目を丸くする風無さんだったが、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。


「さっき気が付いたんだよ。でも、まだ少し休んだ方がいいかもね」

「そうですか。すいません、突然押しかける形になってしまって」

「いいのよいいのよ! 二人共常連さんなんだから。これぐらい協力するわよ」

「いつもお世話になるばかりですいません」

「気にしない気にしない。さーて! 仕事に戻らないと。ここは好きに使っていいから後はごゆっくり」


 そう言って店長が去ると必然的に俺と風無さんだけになるわけで、気まずい。


「あ、あの……風無さ──」


 俺の言葉を遮るように風無さんは俺の胸に飛び込んだ。


「風無さん!? ど、どどどどっ、どうしたの!?」


 動揺しながらも尋ねるが、返事は無い。しかし代わりにすすり泣く声が帰ってきた。


「よかったです。本当に、なんともなくて、よかった……」


 そう言われた俺は、冷静になって風無さんの頭を数度撫でる。


「はは、心配かけちゃってごめんね」


 風無さんは俺から離れないので、俺はそのまま会話を続けた。


「それにしても、俺が警察官呼んだことをまさか風無さんが知ってたとは思わなかったよ」

「私は知っていました。だからこそ、もう一度会ってお礼がしたいと」

「そっか。でも、結果風無さんを助けたことに繋がったとはいえ、警察官を呼んだだけで好かれるのもどうかと」


 俺が苦笑いを浮かべていると、胸にうずめていた顔を俺に向けた風無さん。

 そこには、いつもの無表情の風無さんがいた。


「いえ、それだけで好きになるほど私は簡単な女じゃありませんよ?」

「……え?」


 それを言われてしまったら、それこそなんで俺なんかを好きになっているのか説明がつかないでしょうが!

 やっぱり風無さんは別の誰かと勘違いしてる!?

 恥かしい! 綺麗にまとまったと思ったらこんなところに妙なオチがあるなんて!


「あの……嵐くん? 急に悶えてどうしたんですか?」

「風無さん。やっぱり、風無さんの好きな人は俺じゃないよ」


 と、素直に告げる。

 しばし目を見開いていた風無さんは、クスッと笑った。


「そうですか。でも間違いなく嵐君ですから安心してください」

「そうは言っても、風無さんの勘違いじゃ」

「嵐君って、記憶力が悪いんですね」

「それってどういう──」


 俺が尋ねる前に、耳がぼそぼそと人が会話する声を拾った。


「店長! 全然聞こえませんけど!」

「少しだけ開けましょうよ!」

「待って、気づかれないように少し開けるから」

「私にも聞かせてください!」

「あっ、バカッ!」


 扉が盛大に開くと、雪崩のように店長を含めた従業員が倒れ込んできた。


「いたた、もう急に押さないで──あっ」


 俺はすぐさま店長たちの目の前で仁王立ちし、軽蔑の目で見下ろす。


「何してるんですか?」

「いやー、万が一、億が一にいい雰囲気になってイチャイチャラブラブからのギシギシアンアンになったら、まずいと思って監視を」

「その他の従業員はなんですか?」

「「「以下同文!!」」」

「怒りますよ?」


 そう言うと店長以外は俺を恐れてすぐさま逃げていった。


「あまり怖がらせないでよ。彼女らも気になってたんだよ。あの嵐君に関わる女の子のことが」

「プライバシーってもんがあるでしょ」

「まあ、今回は全面的に私達が悪いから、お詫びを」

「いいですよ。そんなつもりじゃなかったですから」

「遠慮しないで。ほらお詫びの品として『世界の虫の裏側』を」

「それは遠慮とかではなく、いらないです」

「だよねー。じゃ、本当に仕事に戻るから、ごゆっくりー」


 と言って嵐のように去っていった。


「なんなんだろ、あの人」

「悪い人じゃないので安心してください」

「それはそうだけど……あっ、さっきの話だけど、どういうこと? 俺って別の日に風無さんと会ってたとか?」

「……さぁ、どうでしょう」


 風無さんは部屋を出ていった。

 腑に落ちないまま、俺は風無さんの後に続いたのだった。

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