第11話 嵐君、お付き合いしてください11

 会話などできるはずもなく、ずっと下を向いたまま口を閉ざしていると、向こうから話しかけてきた。


「嵐……だっけ」

「は、はい。嵐陽太って言います」

「俺は高森たかもり誠司。よろしく」


 ようやく正面から顔を見ることができた俺は目を丸くした。

 あの夢の……いや、あの記憶で風無さんを庇ったあの男の子の面影がある。

 もしかしてこの人は……


「どうかした?」

「い、いや!」


 心を落ち着かせようと、少し冷めたコーヒーを一口飲む。


「あの、二人はどういった関係で」

「小学校からの幼馴染だよ」


 小学校ということは俺の記憶と辻褄が合う。

 やっぱりこの人が。


「そういう君は純花とどういう関係?」

「一応、友達です」


 嘘は言ってないが、重要なところは隠す。

 疑うような目を向けられたが、それ以上は踏み込みはしなかった。


「ふーん、まぁいいや。じゃあ友達の君に聞こうかな。純花の好きな人ってどんな人?」

「えーっと……」

「なんでもいいからさ。何か情報ないの?」


 初対面の俺に聞いてくるとは。

 それほどまでに風無さんのことが好きなのか。

 ということは事実上の両思いということになる。

 風無さんの勘違いのせいですれ違い、今日までくっつくことはなかっただけ。

 俺がここで正せば丸く収まる……だが、


「さ、さぁ? 俺は何も」


 俺のわがままがそれを隠してしまった。


「なーんだ」


 がっかりした様子の高森に罪悪感を抱きながらコーヒを煽る。

 先ほどまで甘かったのに、今は少しだけ苦い。


「ごめんなさい席を外して。もうそろそろ出ましょうか」


 戻ってきた風無さんは荷物を持って出ようとする。


「ちょっと! せっかく会えたのに」

「今日は嵐君と遊びに来ているの。それにあなたも友達と来てるんでしょ?」

「ま、まぁ」

「ではそういうことで」


 それ以上は何も言えない高森を置いて風無さんはレジへ。

 俺も少し遅れたけど、会計を別々に済ませて店を出る。


「風無さん。よかったの?」

「彼のことなら大丈夫です」

「でも、久々に会ったんだから」

「私、あの人が少し苦手なんです。何度も『好きな人がいるから無理です』と言ってるのに告白してきて、諦めてほしいのですが」


 風無さんの好きな人がその人なんですけど。


「あら?」


 突然小走りで走ったかと思うと、その場でしゃがみこんで何かを拾い上げる風無さん。


「どうかしたの?」

「これ」


 声をかけると風無さんが振り向き拾ったものを俺に見せる。

 可愛らしい熊の絵柄が散りばめられたピンクの財布のようだが、色は霞んでおり、拭いても落ちそうにない黒い汚れがいくつも付いている。


「誰かの落し物かしら?」

「あっ! それは!」


 誰かが驚く声に反応して顔を向ける。

 そこには何年も着続けているのか、シミだらけのシャツと黒ずみだらけのズボン。少しでも見栄えを良くしようとしたのか、作業服のような上着を羽織っている男性が。

 お世辞にも清潔な格好とは言えないその人が、鬼の形相でこちらにやってくる。


「返してくれ! それは俺のだ!」


 風無さんの肩を掴むと、怒号を上げて訴える。

 このままでは風無さんが危ないと、落ち着かせようと試みた。


「落ち着いてください!」

「うるせえ! いいからそれを早く返せ!」


 が、一向に収まる気配はなく、無理矢理奪おうとする男性。

 しかし、財布を手にする前に男性の頬に強烈なストレートが入ったことで風無さんから離れることになる。


「大丈夫か純花?」

「え、えぇ」


 先ほどの店にいるはずの高森が心配そうに風無さんに声をかけ、戸惑っている風無さんが頷く。

 それを確認すると今度は倒れた男性に対して蔑んだ目で見下ろす。


「あんた、何してくれてる」

「す、すまない。ただ財布を返してほしくて」


 怖気づいた男性はすぐに非を認め、改めて財布を返してほしいと頼む。

 が、高森の顔つきは一切変わらない。


「これがあんたの?」


 風無さんから奪い取り、男性の目の前でその財布を振る。


「どう見たってあんたみたいなおっさんが使う財布じゃねぇだろうが、嘘までついてあんた最低だな」


 高森の発言に周りがざわつき始める。


「たしかに男の人が使うデザインじゃないよね」「もしかしてあの財布盗すんだやつなんじゃ」「絶対そうだぜ」「盗んだとか最低」「警察呼んだ方がいいんじゃない?」


 不信が伝染し、確信へと変わると憎悪に似た視線と非難の言葉が男性へ向けられる。

 中には面白半分でスマホを向ける人まで。

 味方のいないことを理解した男性は逃げるようにその場を去った。


「逃げるんなら最初っから嘘なんかつくなよ」


 男性の姿が見えなくなると視線の先は俺に向けられる。

 さっきの男性の時と同じく蔑んだ瞳で。


「なんでお前、純花を助けなかった」

「え?」


 聞き返すと苛立った高森が俺の胸ぐらを掴むと、俺を睨みつける。


「ヤンキーみたいな風貌のくせに、女一人守れない臆病者なのかよ!」


 その瞬間、あの記憶が頭の中を駆け巡った。

 あの時と一緒だ。

 俺は見てるだけで、高森が助けたあの時と。


「やめて誠司君!」


 風無さんが高森を止めに入ると、舌打ちをしてから突き飛ばすように俺を離す。

 突き飛ばされた俺は情けなく尻餅をついて見上げる。


「もう純花と関わるな。お前がいると純花の価値が下がる」

「誠司君、言い過ぎよ」


 風無さんが庇おうとしてくれるが、俺の頭の中は真っ白になっていた。


「嵐君、気にしないで」

「う、うん」


 いつまでも尻餅をついてるわけにもいかず立ち上がる。


「さ、嵐君。次はどこに行き━━」

「ごめん、今日はもう帰る。財布は俺が届けておくから」


 目を丸くしている風無さんを横目に、高森から財布を受け取る。


「……ちゃんと届けろよ」


 信用していない高森にそっと小声で言われ、小さく「うん」と答えてからその場を離れる。

 不甲斐なさと罪悪感に押しつぶされそうで、あれ以上あの場所にいることに耐えれなかった。

 でもその前に俺にはやることがある。




「……いた」


 悲しそうに肩を落としてトボトボと歩くあの男性の姿を見つけ、急いで駆け寄った。


「あの!」


 振り向いた男性の顔は生気を失っており、痛々しくて顔を見て背けたくなる。


「あぁ……さっきの小僧か。なんだ? 警察を呼んできたのか?」

「ち、違いますよ!」


 慌てて否定するが、男性は少しも表情が変わらない。


「いいさ、周りから見れば俺は犯罪者に見えたんだろうよ」


 諦めたように発する言葉に何も言えない。

 そっと彼にあの財布を差し出す。


「これ……お返しします」


 目を丸くする男性は俺と財布を交互に見る。


「いい、のか?」

「いいも何も、もともとこれはあなたのですよね」

「な、何でそんなことがわかるんだ」

「言いにくいですが、若い女性だったらここまで汚れると買い換えると思いますし、何よりこの財布の中にあなたと娘さんの写真が入ってましたしね。勝手に中身を見てすいませんでした」


 男性は財布を受け取ると、目尻に涙を浮かばせる。

 きっと彼の趣味ではないであろう可愛らしい財布。

 だけど大切だからあんなにも汚れるまで持ち続け、買い換えることなく使い続けたんだ。

 そう思うと、もっと早く中身を確認すれば彼が犯罪者のような扱いを受けずに済んだというのに。


「……すいません」

「中身見られたぐらいで怒らねぇよ。返してくれてありがとな」

「いえ、そのことじゃなくて。俺がもっと早くその写真に気がついていれば、あなたがあんな目に遭うことなかったのに」

「それこそ気にすることねぇ。俺が落としたのが悪い。それにあの嬢ちゃんにも悪いことした。お前の彼女にすまねぇな」

「か、彼女じゃないですよ!」


 慌てて否定するが、俺の戸惑いを面白がった男性がニヤニヤと笑っている。


「なんだ違うのか。でもお似合いだったぜ」

「からかわないでくださいよ」

「いやいや、俺の勘ではあの嬢ちゃんはお前にホの字だ。間違いねぇ」


 なかなか感は鋭いようだ。

 でも半分正解、半分不正解なんだけどね。


「そうですかね。むしろ助けに入ったあの人のことが好きだと思いますよ。二人とも美男美女でお似合いですし」


 事実を述べるが、男性は腑に落ちない様子。


「俺を殴った奴か? ありゃダメだ。全然ダメ」


 と、激しく否定する。

 きっと殴られたから悪い印象を持っているのだろう。


「おっと勘違いするなよ。別に殴られたことを恨んでるとかじゃないからな」


 俺の心が読めるのか、はたまた顔に出てしまっていたのか、そう付け足す。


「なんというか……とにかくあいつはダメだ。俺の勘がそう言ってる」

「勘って、その勘はあてになるんですか?」

「おうとも! ……って言いたいんだがな。そうでもねぇな。女房と娘の気持ちに気がつかなかった鈍感親父だからな俺は」


 財布に視線を落とし、哀愁を漂わせる。

 この人の過去に一体何があったのだろうか。


「あの、何かあったんですか?」


 俺だ尋ねると彼は大きく息を一つ吐く。


「退屈なおっさんの話を聞いてくれるか?」

「はい」


 彼の気分が少しでも晴れるならと躊躇うことなく答える。

 すると男性は近くのベンチに腰をかけた。

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