第9話 嵐君、お付き合いしてください9

 俺は眠りに落ちたはずだった。

 しかし俺は今こうしてボーッと立っている。

 周りは木々に囲まれ、見える世界がいつもよりも低い気がする。

 少しするとどこかで男性の声が聞こえてきた。

 体が勝手に声の方へと向かい、木陰に隠れて顔を覗かせる。


『ねぇ、お兄さんと一緒に遊ぼうよ』


 神社で一人遊んでいた低学年の小学生に三十代ぐらいの男性が微笑みかける。

 見た目はとても優しそうな人物に見えるが、どことなく裏を感じた。

 その子も俺と同じくそれを感じ取ったのか、怯えた眼差しだった。


『怖がらなくても大丈夫だから。楽しいところに連れてってあげるから』


 甘い言葉をいくつも並べるが、女の子は警戒を一切解こうとしない。

 痺れを切らした男性の腕がその子に少しずつ伸びていく。


『い、いや!』


 絞り出した声で拒否して逃げようとしたが、手遅れだった。

 男の手は女の子を握り、逃がそうとしない。

 泣いて叩いて、必死に逃げようとする女の子を俺は助けたいと思った。

 しかしそれ以上に恐怖に支配された体は前に進まず、後ろに下がる。

 今俺が出ていったところで何ができるんだ。

 体格差は明らか。助けるどころか、返り討ちにあってあの子を逃がす時間すら稼げない。

 自分一人でなんとかできることではなかった。


『待て!』


 木陰で傍観者になっている臆病な俺とは正反対に男性の前に現れたのは女の子と同年代ほどの男の子。

 木の棒を持ってそれを男性に向けている。


『その子を離せ!』

『来ちゃダメ! 捕まっちゃう!』


 心配してからか、女の子はそう大声を上げる。


『ヘヘっ! 大丈夫。こんな奴俺がやっつけてやる!』


 男の子は女の子を守ろうと木の枝を男性の手にめがけて振り下ろす。

 これには男性も女の子から手を離すしかなく、ギリギリでその攻撃をかわした。


『なんで……』

『そんなの決まってるだろ? 俺はお前の勇者だからな!』


 そんな男の子の勇姿を見た俺は嫌でも今の自分姿と比べてしまった。

 その後二人はどうなったかは夢の中で見ることはできなかった。

 なぜなら、俺はその場から立ち去ってしまったから。




 風無さんとの約束の当日を迎えた俺は、何度も着ている服におかしなところはないかと鏡の前で確認し、まだ予定よりもかなり早いというのに落ち着かなくて三十分前に待ち合わせの場所に着いてしまったのだった。

 でも風無さんを待たせるよりかは遥かにいい。

 そう思っていると、駅の前に誰かが立っている。

 肩を露出させた白いフリルのトップスに、デニムのホットパンツ、黒のヒールという中々大胆な格好。

 男目線ではあるけど、スタイルに相当自信があるのだろう。

 あそこまで気合いの入った格好をされた男性はさぞ喜ぶはず。

 羨ましいな……って、あれ? もしかしてあの人。


「あら、嵐君。随分早いですね。まだ三十分以上前ですけど」


 やっぱり風無さんだ。


「風無さん、もう着いてるなんて。いつからここに?」

「一時━━いえ、来たばかりです」


 今「一時間前」って言おうとしなかった?


「それでも早すぎるよ。もっとゆっくり来ればよかったのに」

「いえ、嵐君と遊びに行けると思ったらつい予定よりも早く着いてしまったんです」


 涼しい顔で恥ずかしいことを言われてしまい、顔が少し熱い。


「な、なら、もう行こっか。せっかく早く来たんだし」

「そうですね」


 気を紛らわせるためすぐに風無さんと電車に乗った。



 電車に揺られ、改札口を出てたどり着いた場所はショッピングモール。

 土曜日ということもあり、中はたくさんの人が行き交っている。


「たくさんの人ですね」

「そ、そうだね」


 買い物でもショッピングモールも使うこともなく、中学に母さんと一緒に付き合わされて以来だったこともあり。少し落ち着かない。

 でもそれよりも気になっていることが一つある。


「あの、風無さん?」

「はい、なんでしょうか?」

「俺達って、友達ですよね?」

「はい、私達は親友です」


 いつの間にか親友にランクが上がってる。

 そういえば昨日親友になるって言ってたような。

 いやそうじゃなくて。


「その……なんで手を繋いでるの?」


 ……そんな「何かおかしいですか?」みたいに小首を傾げられても困るよ。


「親友は手を繋ぐものでは」

「繋がないよ!」

「そうなのですか。それは残念です」


 スッと風無さんの手が放れる。

 自分で指摘したくせに手に残った感触をつい確かめてしまう。


「それではまずは映画でも見に行きましょうか」

「うん、いいよ。何見よっか」

「それは向こうで決めましょう」


 俺達はエスカレーターで二階に上り、映画館へ。

 入り口付近に置いてあった映画のパンフレットをいただき、上映中の映画を確かめる。

 大人気のアクション映画や、アニメ原作の実写映画、ウィルスパニックと、今は幅広いジャンルの映画がやっているようだ。


「風無さんは何が見たい?」

「そうですね」


 風無さんは俺が持っているパンフレットを覗き込む。

 今日は少し暑いと思い、半袖にしたのだがそれがまずかった。

 風無さんも涼しい恰好をしているためここまで近づかれると必然的に肌と肌が触れてしまい、感触がダイレクトに伝わってきてしまう。

 嫌でも女の子特有の香りや柔らかさに意識が持ってかれる。


「あ、あの。そこに置いてあるパンフレットを見たほうが。二人一緒にじゃ見づらいし」

「それでは紙がもったいないので。どうせ映画館から出れば捨ててしまうのですし」


 ごもっともなんだけど、心臓に悪すぎだ。


「風無さんが決めていいよ!」


 俺はパンフレットを風無さんに押し付けることで現状を回避。

 しかし風無さんはそれをよしとしてくれなかった。


「いえ二人で来たのですから一緒に決めましょう」


 と言って逃げようとした俺の腕に絡みつく。

 その結果、風無さんの柔らく立派なものが形を変えながら俺に押し付けられる。


「わかった! わかったからもう少し離れて!」

「……これは失礼しました」


 少し名残惜しそうに腕を離してくれた。

 この調子で理性を保つことができるのだろうか。

 これが風無さんの作戦だとしたら相当効いたけど、仮にこれで俺が堕とされて付き合うことになってもそれはただ単に性欲に負けただけで、心の底から好きだというわけではないはずだ。

 そんな付き合いは嫌だ。

 俺が求めてるのはお互いの内面を理解した上での健全なお付き合いだ。

 だから頼むから俺の理性よ。なんとか最後まで耐えてくれ。

 そもそも風無さんの恋心は記憶違いなんだ。俺はそれを指摘しないといけないんだ。

 今朝見た夢。あれは間違いなく俺の記憶。

 そしてあそこにいた女の子はどことなく風無さんに似ていた。

 きっとあれが風無さんが言っていたことなのだろう。

 ならば俺は助けていない。

 本当に風無さんを助けたのはあの男の子。

 それを風無さんに伝えないと。でも、どのタイミングで言うべきか。


「聞いてますか嵐君」

「はい?」

「ですから、嵐君が見たい映画はありますか?」

「あ、あぁ! 映画ね!」


 改めてパンフレットを確認するが、特別にこれが見たいというものはない。

 ここは風無さんの見たいものに合わせるか。


「風無さんは何が見たい?」

「そうですね……これですかね」


 指差す映画の内容に俺はつい苦笑いを浮かべた。

 内容というのが真面目な女子生徒が周りに馴染めない見た目は不良だけど心優しい男子生徒に恋をするという学園恋愛。

 これは非常にまずい。俺と風無さんの姿が重なってしまう。

 なんの意図もなくこの映画を選んだことを願いたいけど、俺に向ける風無さんの視線が怖い。

 や、ヤられる! 勝負を仕掛けられてる!


「面白そうだね。あ、でもこっちの方が面白そうだよ?」

「そう……ですね」

「やっぱりこれ見ようか!」


 俺からの同意が得られなかったことで明らかに声色が変わった風無さん。

 俺は耐えきれず、その映画を見ることに。

 しかし、屈してしまった俺を天は見放してはいなかった。

 よく見ると映画の発券機に長蛇の列。

 少し見上げるとモニターには上映スケジュールが表示され、俺達が見ようとしている映画は三角のマークが表示され、次の瞬間には赤いバツのマークが表示された。

 つまり席が全部埋まってしまったのだ。


「あー、残念だけど席が全部埋まったみたい。次の上映時間もだいぶ先だね。別の映画にしない?」


 あくまで表面上は残念がりながら、内心ガッツポーズで振り向いて提案する。

 しかし風無さんの姿が見当たらない。

 人の間を塗って数分探していると、風無さんを無事発見。

 なぜか風無さんはフードコーナーに並んでいた。


「風無さん? 何をしてるの?」


 風無さんの隣に並び、俺がそう尋ねると風無さんは不思議そうな顔を浮かべる。


「映画を見るのですから飲み物とポップコーンは必須かと」


 たしかに必須だけどそういうことじゃないんだよな。


「でも見ようとしてた映画は完売して、次の時間は3時間以上先だよ?」

「本当ですね。とても人気があるんですね」


 モニターを確認した風無さん。

 でもフードコーナーの列から離れようとしない。


「風無さん? なんで並ぶの?」

「映画のためにポップコーンと飲み物を購入するんです。嵐君は飲み物は何がいいですか?」

「え、うーん……コーラかな。じゃない! 買うにしてもまず券を買ってからにしない!?」

「それでしたらここに」


 なんで風無さん券を持ってるの!?


「い、いつのまに」

「先ほど予約した券を発行しましたので」


 なるほど。でもそれだと疑問が一つある。


「なんでさっき決めたはずの映画を予約されてるの?」


 指摘を受けた風無さんは明後日の方向に顔を向けた。

 どうやら俺が断り切れないことまで計算していたのだろう。

 思わずため息を漏らすと、一瞬だけ風無さんの体が跳ね上がった。


「あ、嵐君……その」


 表情はあまり変わっていないけど、視線の動かし方や仕草から後ろめたさを感じているようで、弱々しく見える。


「……いくらだったの?」

「え?」


 今度ははっきりと風無さんに聞く。


「映画のチケット。予約したなら風無さんが全部払ったんでしょ? 自分の分は自分で払うから」

「その……いいんですか?」

「さすがに映画代を払ってもらうわけにはいかないよ」

「そのことではなくて、映画を一緒に見てくれるのですか?」

「たしかに驚いたけど、風無さんが見たいのであれば付き合うよ」

「ありがとうございます、お言葉に甘えさせてもらいます」


 といったところで、俺達の順番が回ってくる。

 飲み物と大きいサイズのポップコーンを一つだけ買い、俺はトレイごと受け取って支払いを済ませた。

 列から外れてチケット代を風無さんに渡してから向かう。

 トレイを持っている俺の代わりに風無さんがチケットを渡し、無事に入れた俺達は真っ直ぐ『4』と書かれたシネマに入った。

 もう間もなく始まるようで館内は暗く、足元に注意しながら風無さんの後に続く。


「ここです」


 指定された席の前に立った風無さんが小声で教えてくれるが、その席を見た俺は表情が固まった。

 なぜペアシートなんだ。


「風無さん、チケット見せて」


 チケットを受け取って確認するが、やっぱり席はペアシート。

 座れるスペースも肘掛を取っ払っただけなので、そのまま二人で座ると不可抗力で肘が当たってしまいそうだ。

 こんなに距離が近いと…‥



『私、あなたのことが……好きなんです!』


 健気な少女は男に告白する。

 噂で聞く限りでは性格も立場もまるで正反対の彼。

 しかし噂は所詮噂。

 男の本当の姿は誰よりも優しく、誰よりも誠実だった。

 そんな男に次第に惹かれてしまうことに誰が批判できようか。


『いいのか? 俺なんかで』


 経験したことのない純粋で真っ直ぐな告白に男は動揺している。

 今まで周りから避けられていたはずなのに。

 噂だって聞いてるはずなのに。

 目の前の少女はそんな自分を好きだと言ってくれる。

 だけど不安からそう尋ねてしまった。


『あなたじゃなきゃ嫌なの!』


 男の胸に飛び込んだ少女。

 男は一呼吸おいてからおそるおそる彼女を抱きしめる。


『俺も、君が好きだ』


 ようやく二人の気持ちが繋がったその時だった。

 俺の左手にそっと風無さんの右手が重なる。

 思わず風無さんの方に顔を向けると、風無さんの瞳は映画ではなく俺を映している。


『本当? ……嬉しい』


 映画はキスシーンへと向かう。

 風無さんは俺を握りしめ、俺は風無さんから目が離せなくなっていた。

 そして俺達は暗いことをいいことに、ゆっくりと顔を近づけ、影が一つに繋がった。

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