第2話 過労だったお姉さん
俺が小学校高学年の頃まで時折一緒に遊んでくれていた近所のお姉さんだ。
徒歩数分の家に住んでいる茜さんに懐いていた俺。
茜さんも面倒見がよい性格もあって、俺の事をかわいがってくれた。
そんな関係だったからだろうか。
両親が留守にするときは、茜さんの家に預けられることが度々あった。
「きゅうちゃんは、もうこんな難しい漢字がわかるのね。凄い!」
朧げな記憶の中にあるのは、そう言って頭を撫でてくれた彼女の姿。
確か、漢字ドリルをやっていた時だったか。
「凄いでしょ?学校の先生にも、よく褒められるんだよ!」
彼女の褒め言葉に得意になっていた昔の俺。
親の仕事の都合で、引っ越しをしなければいけなかった時。
その時はとても悲しかったのを覚えている。
とはいえ、それが小学校高学年の頃。
時間が経てばやがて思い出は風化していく。
今では、「そんなこともあったっけ」と思い出す程度だった。
そんな彼女と、まさかこんな形で再会を果たすことになるとは。
(茜さんは大丈夫だろうか……)
何度も考えては、落ち着かない気持ちを持て余す俺。
もし、このまま……そう考えるとぞっとする。
所詮、昔の思い出。
でも、こんな形で恩人を亡くすのはまっぴらゴメンだった。
葛藤を繰り返すこと数時間。医師が診察室から出てきた。
「あの!茜さんは大丈夫なんでしょうか!」
心配で心配で仕方がなかった。
「ああ。いわゆる過労というところですね。命に別状はないでしょう」
「そうですか。良かったです。あの、面会することは可能でしょうか?」
過労、というのが気にかかったけど、とりあえず無事でほっと一息だ。
「当院では、時間外の面会は、ご家族の方以外はご遠慮いただいておりまして。すいませんが、翌朝、再度来ていただけますか?」
「わかりました。無理を言ってすいません」
考えてみれば今の彼女とは家族でもないし、親しい仲でもないのだ。
とはいえ、落ち着かないものは落ち着かない。
病院にほど近いネカフェで一晩を過ごした後、再度、病院を訪れた。
コンコン、とノックをして個室の病室に入る。
「昨夜はどうもご迷惑をおかけしてすいません。そればかりか、こうしてお見舞いにまで来ていただいて、本当にありがとうございます」
ベッドから身を起こした茜さんからの言葉は他人行儀なものだった。
(そりゃ当然か)
覚えているかどうかでさえ定かではないのだ。
まして、小学校の頃の俺と今では、顔形は別人に等しいだろう。
わかるわけがない。
「いえ。人として当然のことをしたまでですから。ところで、その……」
「?」
自分の名前を告げるか迷う。
もし、覚えていなかったら、恥ずかしいなんてものじゃない。
「ええと、俺は陸奥九助と言いますが、覚えていらっしゃいますか?昔、茜さんに面倒を見ていただいた者です」
結局、出たのはそんな気の引けた言葉。
「……え?きゅうちゃん?昔、近所に住んでた」
返って来た言葉は驚愕で満ちていた。
「あ、は、はい。その、きゅうちゃん、です……」
もう大学生にもなるのに、昔の呼び名を呼ばれて、気恥ずかしくなる。
きっと、俺の顔は真っ赤になっているだろう。
「ほんと、凄い偶然……。でも、言われてみれば、あの頃の面影が残ってる気が」
「茜さんも凄い美人になってましたから、最初、わかりませんでしたよ」
「きゅうちゃん、お世辞も上手になったのね」
「さすがに、あれから10年以上経ってますし」
いつまでも幼かった頃の俺ではない。
「ところで、過労、と聞いたんですが……お仕事、忙しいんですか?」
再会したばかりの相手に踏み込み過ぎかもしれない。
でも、過労が原因だったら、また同じことが起こるかもしれない。
「そうね。きゅうちゃんは命の恩人だし、話しておこうかしら」
と前置きして、茜さんは近況を話し始めた。
教員免許を取って、小学校の教員になったこと。
でも、朝は早く、夜は遅くまでの仕事で過労気味だったこと。
昨日は心身ともに限界だったこと。
「小学校の先生って大変なんですね。茜さんにはお似合いだと思ってましたが」
「私も、きゅうちゃんの面倒を見てて、先生になりたいと思ったのだけど」
現実はそう上手くいかないものよね、とため息。
昨日よりはマシだけど、疲れ切った顔でどこか生気がない。
「差し出がましいですが、休職とかは?」
「でも、私が休んだら他の先生方が……」
戸惑う茜さんだけど、過労で死ぬかどうかというところまで行ったのだ。
他の先生に迷惑がとか言っている場合ではない。
「休みましょうよ。俺は、茜さんが過労で死んだら嫌ですよ」
確かに、ここ10年程ろくに連絡を取っていなかった。
でも、小さい頃の恩人が疲れ果てていくのを見ていられなかった。
「きゅうちゃんは、どうしてそんなに?」
不思議そうな顔をして見つめてくる。
「茜さんは俺にとっても恩人ですから。元気で居てほしいんです」
「……そうね。少し休んでみようかしら」
「それがいいですよ、きっと」
「きゅうちゃんも、ほんとに立派になったのね」
どこか優しい顔つきで、俺のことを見つめてくる茜さん。
その言葉に少し恥ずかしい気持ちになる。
「いつまでも、子どもの頃の「きゅうちゃん」じゃないですから」
「そうね。ありがとう。九助君」
深々と頭を下げてお礼を言われる。
こうして、俺と彼女の交流が再開したのだった。
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