電車の中で死にそうなお姉さんを助けてみた結果
久野真一
第1話 死にそうな顔のお姉さん
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
夜の電車が乗客を運ぶ音が聞こえる。
周りを見渡せば、人、人、人。
多くの乗客がどこか疲れた顔をしている。
(人、多すぎなんだよなあ)
なんて、心の中で独り言をつぶやく。東京都心部を通る電車の中。今は、帰宅ラッシュの時間帯だ。気楽な大学生の俺と違って、一日の仕事を終えて、みんな疲れ切っているのだろう。
乗客の疲れ切った顔とは対照的に、俺はどこか高揚感を覚えていた。
サークルの連中と、楽しく喋って、たらふく飲んだせいもあるのだろう。
目を横に向けると、吊り革に捕まっている女性が目に入った。
俺より少し大きいくらいの長身。整った容姿。肩まで伸ばした艷やかな黒髪。
歳は俺より4、5歳程度上だろうか。美人さんだ。
ただ、その顔には精彩がない。ひどく気分が悪そうだ。
(仕事帰りで疲れてるのか)
スーツをビシッと着こなした姿から、社会人なのだろうと伺える。
まだ気楽な大学生の俺には想像もつかないが、色々しんどいことも多いのだろう。しかし、どこかその面影に見覚えがある気がした。
(ま、気のせいか)
似た顔の人間なんて、時折いるもんだ。以前、昔の友達とそっくりな人に「おお、久しぶり。奇遇だな!」なんて声をかけたら、別人で恥をかいたこともある。
そんな事をぼんやりと考えていたのだが、女性の様子がおかしい。
身体がふらふらとしているし、手が吊り革から離れていた。
「あの、だいじょう……」
声をかけようとしたまさにその時。
女性が俺の方にもたれかかって来た。
重い。真っ先に思ったのはそんな事だった。
人間が自分の体重を支えられなくなった時の、重み。
「ちょ、ちょっと。大丈夫ですか!?」
ただ事ではない。そう思った俺は、女性を揺さぶって声をかける。
しかし、返って来たのは言葉にならないうめき声。
(えーと、こういう時は)
不幸か幸いか、昔からこの手のトラブルに俺はよく遭っていた。
だから、とっさに声を上げていた。
「すいません!緊急停止ボタンを押してください!」
俺の位置からは、緊急停止ボタンまでは距離がある。
だいたい、乗客で満杯なので走って行くことも無理だ。
誰かがボタンを押してくれれば-そう思ってのことだった。
幸い、乗客の誰かが緊急停止ボタンを押してくれたらしい。
「この女性の方の様子がおかしいです!座席に寝かせるので、どなたか手伝ってください!」
その声に何名かの乗客が応じる。
数人がかりで彼女を抱えあげて、座席に寝かせる。
緊急事態を悟ってか、座っていた乗客も席を空けてくれた。
「大丈夫ですか?意識ありますか?」
うめき声をあげている女性に声をかける。
ひょっとしたら泥酔しているだけかもしれない。
「す、すいません……。大丈夫です、から……」
かえってきたのは途切れ途切れの声。
声色には酔った響きは感じられない。
顔色も酔った風には見えない。
「ひょっとして、ご病気ですか?」
持病をひっそりと隠している人は意外に多い。
何かの病気を抱えているのかもしれないと思った。
「いえ、飲みすぎて酔っただけですから。お気になさらず……」
気丈に振る舞う声が痛々しい。
しかし、やはり、泥酔にしてはどうも様子が変だ。
しゃべり方もはっきりしているし、酒臭さもない。
そうこうしている内に、アナウンスが流れる。
本来、快速なので停車駅ではないが、次の各停の駅で停車するとのことだ。
停車するや否や、俺と数名の乗客が協力して、駅まで運び出して、ベンチに寝かせることに成功する。
俺たちは、ほっと一息という様子で車内に戻る。
駅員さんも、
「少し悪酔いしただけ」
という言い分を信じて、ベンチに彼女を寝かせて戻っていく。
「女性の方、酔っただけって仰っていましたが、ほんとですかね?」
車内に戻ったものの、どうにも気がかりだった。
協力してくれた乗客に聞いてみる。
「うーん。ひょっとしたら、持病を抱えているのかもしれないね」
そう答えたのは、中年の男性。
「そうね。酔っただけにしてはどうもおかしかったわね」
同じく歳のいった女性が答えた。
「そのままにして、大丈夫でしょうか……」
どうにも居心地が悪い。もちろん、単なる悪酔いならいい。
しかし、そうじゃなかったら……。
「とはいっても、どうにも出来ないと思いますよ」
俺より少し年上の青年の言葉。確かに、その通りなのだ。持病なら救急車を呼ぶ事もできる。しかし、女性の方が救急車を呼ばれたくなさそうだったし、どうにもならない。
再び、車内アナウンスが流れる。急病人が出たために、最寄り駅に停車したこと。運行を遅らせて申し訳ない旨の謝罪。協力してくれた乗客への感謝の言葉。最後に、もうすぐ運行を再開する旨。
やるだけの事はやった。少なくとも、誰が見てもそう言えるだろう。ただ、遠目に、ベンチで寝っ転がっている女性を見ると、胸がどうしようもなく苦しくなる。
(もし、何か持病を抱えていたら?)
ひょっとして、そのまま駅のベンチで物言わぬ躯となるかもしれない。もし、テレビのニュースで、そんな事を聞いたら、俺はきっと後悔するだろう。
(どうせ時間はいくらでもあるんだ)
よし、と決意を固めて、俺は駅に戻る。単に悪酔いしただけなら、取り越し苦労で済む話だ。
そろりそろりと、女性の元に近づいて様子を見る。あれ?やっぱりどこかで見たことがあるような……いや、いや。そんな場合じゃない。
「すいません。やっぱり様子が気になって。大丈夫ですか?」
そう声をかけてみるも、今度は返事がない。苦しそうな顔に、荒い呼吸を繰り返すばかり。これ、やっぱり病気じゃ……。そうとなれば、四の五の言ってられない。
「すいません。救急車を呼んでいただけますか?駅のベンチにいる女性の様子がおかしいんです」
駅員さんに、先程の女性の様子がやはりおかしい事を伝えて救急車を呼んでもらう。到着した救急車には、無理を言って同乗させてもらう。
(お願いだから、無事でありますように)
真剣にそう願う。
行きがかっただけの他人に対してなんで必死なのか、自分でもわからない。
ただ、一つ言うのなら、昔お世話になった近所のお姉さんの面影があったことも理由の一つだったのかもしれない。
(あの人がこんなところにいるわけがないのにな……)
小学校の頃の遠い昔、数年間だけお世話になった人の姿を思い浮かべながら、自嘲する。ふと、足元に何やらカードが転がっているのに気がつく。身分証明証だろうか。
後で渡してあげようと、なんとなく拾い上げて、名前を見た俺は驚愕した。
「
その名前は、まさに俺が思い浮かべていた人のものだったからだ。
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