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まだ飲むの? そう。女手ひとつで切り盛りしている小料理屋の女将に話を聞くためだけに数日も粘るなんて、ずいぶんと情熱的なのねぇ。お勘定さえきっちりしてくれるなら文句はないのだけれど。


 あら、前も言ったでしょう? 私の人生なんて、そんなに代わり映えのするもんじゃない。学者さまの興味を惹くものなんて、なあんにも出ないわよ。

 それでも聞きたい? 困ったお人ねえ。通ってきてくれた上客さまでもあることだし、どうしようかしら。


 ……これね。この瓶が、一番高いお酒。うふふ、大人の口説き方を分かってる人は嫌いじゃないわ。

 それで、何を聞きたいんだっけ。


 詳しい生い立ちは省かせて貰うわ。つまらない話。ちょっと古風な家庭に生まれたってだけ。それで、家業を継いでいろいろあって――ヤクザの親分の、愛人におさまることになったと言えば、驚くかしら? あんまりしつこいと、そのうち怖ぁい怖ぁいお兄さん達が来るかもしれないわよ。


 あらあら。意外と肝が据わっているみたいね。安心してちょうだい、親分さんはもう亡くなったわ、一昨年の暮れにね。それを機に私は組を去って、もう縁は切れてる。暴力的な空気は肌に合わなかったの。今の私は、しがない飲食店の個人経営者よ。

 

 それで――ああ、そういうこと。全部知って、ここに来たのね。

 この地域にいたヤクザに伝わる、呪いの箱。それがあなたの研究対象。


 ここからはとっても高くつくわよ。メモはとらないで頂戴な。

 ……ああ、お金には困ってないわ。見た目よりずっと繁盛してるのよ、このお店。

 情報の対価はね、情報。民俗学者だっていうなら、きっと――あなたは、私の探している情報を持っている。



 狗神。トウビョウ。管狐。この辺の地域はね、昔からいわゆる『憑物筋』が多かった。ああ、学者さまには釈迦に説法か。じゃあ、そういった家系の特徴も知ってるわよね。


 縁戚関係となることの忌避。独特の慣習。ええ、それらに加えて最大の特徴は――その裕福さ。


 伝説の全てを信じてるわけじゃない。むしろ、本物を求める人間にとって、単純な妬み嫉みから生まれた根拠のない陰口はノイズになる。学者さまにとっては全部ひっくるめての研究対象かもしれないけどね。


 その家系が本物の憑物筋かは、私も分からない。人脈、知識、そして時の運。人が富を成すのには、あまりにも多くの要素が関与している。けれど、外部にとっての真実なんて、往々にして見えているものが全てよ。残念ながらね。


『むかしむかし、そのまたむかし。小さな村にひとつだけ、富み栄えた一家がおりました。

 その一家はほどほどに気前が良く、貧しい他の村人へ分け与えるだけの心と懐の余裕がありました。けれど、村人は恩義を感じてばかりではありません。施しを乞わねばならないみじめさが、屈辱が、その一家に対する反発を生みました』


 どこにでもある話でしょう? 呪いの始まりなんてこの程度。ほんの少しの偏りから、容易く湧いてくるもの。ただ、この地域では。憑物筋の伝承が拍車をかけてしまった。

 分限者の一族は憑物筋だ。憑物を操って富を得ている。――あいつらを殺せば、その分の富が転がり込んでくる。村人は、そう考えてしまったの。そして、実行に移してしまったものがいたの。


 ある数人の村人達が、その一家を殺してしまった。家長はもちろんのこと、年老いた老婆も、嫁入り前の娘も、年端もいかない子供まで全員を。そうしてね、ここからが問題。村人達は殺した家長の右手を切り落として――箱に入れて祀ったの。

 憑物は、その家の人間に憑く。であれば、その家の人間の一部を祀れば憑物もついてくるのではないか。そう思ってしまったのね。


 本当にそれで効果はあったのか。そもそも、殺された一家は本当に憑物筋だったたのか。真実は分からないけれど――前者だけは保証できるわ。そうでなければ、何百年も箱が受け継がれてきたはずがないもの。

 あら、論点が増えている? 気にするだけ無駄よ。富をもたらしたという箱に入っているものは、本当に元の一家に憑いていた憑物なのか、なんて。どうせ元々が何だったかも分からないの。正しい管理法も知らずに無理矢理強奪したものが変質していたって、確かめるすべはないわ。


 とにかく。分限者一家を殺した村人達を富ませていた箱は、所有者を守ってはくれなかったわ。

 憑物筋の一家は皆殺しにしたと思っていたんでしょうね。生き残りがいれば、憑物はその人物の手に渡ってしまうかもしれないと考えていたかもしれないわ。事実、一家は根絶やしにされたと伝わっている。

 ――婿養子になるはずだった男がいたそうなの。殺された一族の娘の、許嫁(いいなずけ)だった男。婚姻が挙げられる前で、血の繋がりはなかったから見落とされたんでしょうね。

 その男は、分限者の一家を殺した村人達を許さなかったの。許嫁の仇を討ったか、あるいは自身が手に入れるはずだった富を横から奪われた恨みか。人を率いたその男は、箱を祀っていた村人達を皆殺しにした。かつて村人達がしたのと同じようにね。



 話していたら少し喉が渇いたわ。お水を飲んでくる。

 ……あらあら。ああ、ああ、大丈夫。気にしないで、今拭きますから。その左手、ずいぶんと不便でしょう。私の店よ、お客様に無理はさせないわ。

 さて、と。一息ついたことだし、続きを話しましょう。ふたつ目の箱の話を。



 男はね、殺した村人達の左手を切り落としたの。

 盗人は、腕を切り落とす。目には目を、歯には歯を。大昔から続く、同害報復の原理。それを忠実に実行したの。……村人達を『盗人』と見做した時点で、男の動機は分かったようなものだけれどね。今は無視しましょう。

 

 ああ、流石に気づいた? その通り。男は、村人達の左手を入れた箱を作ったの。そうして、新しい憑物とした。箱の持ち主に盗みを働いたものを呪うように。右手の箱で得た富が、二度と奪われることのないように。流石は学者さまね、見てきたような口ぶり。

 

 富を集める右手の箱と、富を奪わせない左手の箱。このふたつの箱は、今もこの地域に伝わっている。

 おそらく散逸はしてないわ。元々の『憑物筋』の話からして、土地柄と切っても切れない関係にある。箱は両方とも、特定の範囲でしか使えない。だから、今もきっと。ふたつの箱は、あのヤクザのところに伝わっている。



 ここまでの話で満足かしら。ところで。学者さま、『箱がふたつある』と聞いても顔色を変えなかったわね。ねえ。そもそも、ふたつの箱の話をどこから聞いたの?


 ……へえ。昔入院していた病院を、ちょうど同じ時期に退院した知り合い、か。その人から聞いたんだ。もしかして、この店のことも?

 ふうん。あの組とは縁が切れたと思ってたんだけれどね。死んだ組長から私が何を受け継ごうと、文句は言わせない。

 ああ、ごめんなさいね。過去が足を引っ張ると思うと、つい感情的になってしまうの。


 ……ごめんなさい、少し眠くなってしまった。

 ねえ、明日も来て頂戴。来てくれたら、もっと面白い話をしてあげるから。私が知りたいことも、そのときに聞きたいの。疲れていたのかしら。ごめんなさいね、今日は……もう、限界そう。


 ……あきつ、じんじゃ? いいえ、知らない。数週間前、そこで……火事があったのね。ひだりてのない、遺体がひとりぶん。ああ、かわいそうに。私には関係、かんけいない、けれど。


 ねえ、明日、お店にきて教えて。片方だけの呪具で、ばらんす、とるには、どうしたら。……左の呪いは、いらない。せおえない。わたしは、ただ――。

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