***

早かったな。さっさと買ってきたヤニ寄越せ。


 ……ふん、一度も銘柄を間違えねぇんだな、お前は。あ? 媚び売ったって何も出ねえよ。風俗の黒服に何を期待してやがんだ。


 裏社会へのツテ? はっ、んなもんもう残ってねえよ。だとしても、ヤクザへ憧れてグレた高校生までだ。二十そこそこの若造が目指すもんじゃねえ。そんなんだからこんな田舎町で美人局紛いの商売の片棒担ぐことしかできねえんだろうが。


 あ? 何でもいいから話を聞きたい? うるせえな、黙ってエンジンかけろ。次行くぞ。



 延長が入ったぁ? もっと早く連絡しろって叱っておけ。あの嬢は時間にルーズなんだ、平気で迎えを待たせる。今回の客は金蔓だ、延長ならそれでいいから機嫌は損ねるな。俺達はホテルの駐車場にいる、また時間を過ぎたら部屋まで向かうと伝えろ。



  ……なあ。お前、ヤマギシって人名に心当たりがあるか? 


 知り合いにいる、か。おい、そいつ今どうしてる? ……ああ、そうか。隣の県で会社員をやっているようなら、俺の探している奴じゃない。なんでそんなことを聞くか? うるせえな、お前には関係のないことだ。


 ……いや。やっぱり、話す。誰かに話さねえと、俺もまともじゃいられねえ。もう、限界だ。暇つぶしに付き合え。


 ああ、そうだ。念のために聞くが、お前、シャブはやってねえよな? ハッパもだ。やってないなら、いい。



 庚徳会、という組があった。一年以上前に解散に追い込まれた集団だ。ヤクザでも、暴力団でも、反社でも、好きな名前で呼べ。お前が連想したような内容をシノギにしていた。ああ、ヤクをやっていないか聞いた理由が分かったか? 売人を噛ませてるとはいえ、昔の客に漏らせる話じゃあねえ。誰にも言うなよ。俺もその筋を引退した身だ、もう死体の処理には自信がない。――冗談だ。


 言ったろ。数週間前、知り合いの見舞いに行ってきたって。聞いてない? ああ、じゃあいい。

 

 会いにいったのは、庚徳会に居たころの弟分だ。とある神社で保護された、と聞いた。組に居たときはもっぱら俺があいつの面倒を見ていた。庚徳会が解散してからは、他の多くの組員と同じくほとんど連絡をとっていなかったんだがな。――ある日、病院から電話がかかってきたときは何が何だか分からなかったよ。家族とは縁を絶って生きてきた奴だ。病院で知り合いの連絡先を聞かれたとき、まず始めに俺の番号を告げたんだと。今も昔も、本当に手がかかる弟分だ。


 あいつに何があったかは知らねえ。俺が病院に着いた当初は、一応はきちんと会話できていたが――自分が病院ではなくムショにいると思い込んでいたあいつには、左手がなかった。


 ん? そう、左手だ。病院の奴らが言うにはな。あいつは保護された神社の境内でな、壊れた賽銭箱いっぱいに金品や食料、手首から切り落とした自分の左手を詰め込んで。何事か意味の分からない内容を叫んでいたそうだ。しかも、ちょうどそのとき。付近では窃盗やスリが相次いでいた。医者は言葉を濁していたが……あいつが、やったんだろうな。現場になった神社も、あいつが保護される二ヶ月ほど前に賽銭泥棒の被害に遭っていたそうだ。


 そこで、あいつは言っていたんだよ。その神社で賽銭泥棒をしてから、ある男が跡をつけてくるって。ヤマギシさん、とあいつは呼んでいた。くだんの神社で――あいつが最初に賽銭を盗んでから、そのヤマギシさんとやらが現れて、盗みを唆すようになったと、そう言っている。ヤマギシさんについて話していくなかであいつは錯乱して……もういい。俺が話すのは、ここまでだ。


 ――退院の見込みは、たっていないそうだ。やってられねえよ、本当に。




 嬢が出てくるまであと何分だ? 一時間? くそ、しっぽり延長しやがって。これで金払いが悪かったら締め上げてでもふんだくってやる。


 おい、コーヒー買ってこい。今すぐだ。……まあ、待て。お前、やたら裏社会の話を聞きたがってただろ。話したい気分だ。せっかくだ、五分以内にコーヒー持って帰ってこれたら話してやる。ほら、行ってこい。



 買ってきたか。馬鹿正直に五分ちょうどで戻ってくるとは思ってなかった。いいぞ、聞かせてやる。後悔するなよ。……俺も、ヤキがまわったな。


 俺が庚徳会にいたときの話だ。全国規模の大規模暴力団の傘下、小さな組だったがそれなりに纏まっていた。暴対法やらなんやらで、俺達みたいなスジは生きにくい世の中だ。それを綺麗に取りまとめてみせたのは、ひとえに組長の手腕だった。金の流れを掌握してはシノギを確保し続け、対立する組の襲撃や警察の執念深い捜査もかわしてきた。カリスマだったよ、本当に。


 その組長には、愛人がいた。名前は……何だったろうな。俺達は、単に姐さんとだけ呼んでいた。熟女というほど老けてはねえが、ガキくさい若さとも違う――不思議な美人だった。風水だか八卦だかで代々食ってる家系の人間で、その占いが組長の目に止まったんだと。


 おい。お前が笑うのは勝手だが、それは本物を知らねえからだ。あの女の言うことは、不気味なほど当たる。シマを荒らしていた売人は姐さんの告げた方角で見つかったし、『入るな』と言われた店ではサツが張っていた。組長が上手く警察の目を避けて商売ができていたのは、姐さんの占いあってこそだ。


それと、もうひとつ。姐さんと組長が守っていたものがあった。


 うむ、いや、なんだ。うまい言葉が見つからない。守っていたというよりも、仏壇や神棚みてえに拝んで、祈って、何と言うんだったか。


 ああ、それだ。祀っていた。お前の言葉通りだよ。組長の住む部屋の下に地下室を造って、一般の組員どころか幹部をしていた俺ですら近づけないで。二人でひっそりと祀っていた。

 立ち入りが許されていないなら、何故知っているのか。まあ待て、今話す。

 

 前から、組長の部屋の奥にさらに隠し部屋があるのは察していた。そこに、毎朝毎朝姐さんを連れて入っていくのも。


 最初は逢い引きでもしてるのかと思ったが、それにしちゃあ様子が変なんだよ。ノルマでもあるのかってふうに、決まった時間に二人して姿が消える。五分程度の短い時間だが、その間は何があっても組長の部屋に近づくなって命令されていた。言われなくとも近づかなかったよ。あの時間、あの部屋付近にはなんともいえない異質な雰囲気があった。組長の屋敷に出入りしている組員なら、全員が気づいていたはずだ。


 この、毎日決まった時間に、というのが大切だったらしい。ある日、組長が姐さんと山奥の温泉宿へ旅行に行くと言い出してな。それはいいんだが、当然旅行中は毎朝の地下室通いができなくなる。その代理を言いつかったのが俺だった。


 朝の六時に組長の部屋に入り、そこに置いてある日本酒の瓶を持って隠し扉から地下室に入る。それが、姐さんや組長の代わりにと命じられた内容だ。直接話を聞かされたのは俺だったが、必ず二人一組で入れと言われたから――俺は、目をかけていた弟分をひとり連れていった。



 正直に言って。あいつを見舞ってから、毎日のようにあの地下室を夢に見る。

 


 一升瓶を抱えて階段を降りた先は、板張りの部屋だった。照明はなかったが、隠し扉を開けていればかろうじて明かりが入るつくりだ。当然、奥までは見渡せない。

 その床に座布団がふたつ、左右に並べて敷いてあってな。そこに、古い木箱がそれぞれ載っていたんだろうな。


 あ? なんで断定しないんだって? 直接は見てないからだよ。そもそも薄暗くて、輪郭すらろくに判別できなかった。木箱のことを聞いていた組長にも、『箱を見ようとするな、足下の床を見つめながら歩け』と事前に言われていた。


 座布団の前には、小さな白い陶器が置かれていた。酒を飲むにしては変わったかたちだったな。その蓋を開けて、持ってきた日本酒を入れろ。入れたら元通りに蓋を閉めて、一言もしゃべらず足下の床を見つめたまま地下室を出る。それだけの仕事だった。それだけのはずなのに、隠し扉を閉めた瞬間腰が抜けたよ。ちらりと視界に入った座布団の、その上に載っている気配が怖かった。酒を注ぐ手が震えて、床に零してしまったのも気にならないくらい。一緒に入ったあいつなんて、半分漏らしかけてたな。

 

 笑っちまうだろ? シャブ売って、代金が払えない奴をタコ部屋や風俗に沈めて、対立していた組の構成員を拷問した末に踏切の中に放置するようなヤクザが。たかが箱二つを、小便漏らすほど怖がっているなんて。おい。嘘でもいいから笑ってみせろ。……つまらねえな。


 いい機会だ、裏社会の鉄則を教えてやる。言われたことを疑うな。考えるなと言われたことは、考えるな。考えても、ろくなことにならない。せいぜい覚えておけ。


 地下室通いは、三日続いた。同じ時間に、同じ手順で酒を注ぎにいく。毎回、きちんと瓶の蓋を閉めたはずなのに、翌朝向かうと瓶の中はカラカラに乾いていた。うつむいて酒を注いでいるとな、聞こえるんだよ。ガリ、ガリっつう、くぐもった音が箱の中から。乾いた木を引っ掻くような音だ。聞こえないふりをして。冷や汗でべしょべしょになりながら地下室を出る。旅行から帰ってきた組長には、特別手当として分厚い札束をいただいたが――手放しで受け取れたと言えば、嘘になる。



 俺が知る限り、あの地下室に組長と姐さん以外が立ち入ったのは、旅行の件を除けば一度だけだ。


 とある男が、金を持って逃げようとしたらしい。結果的には未遂に終わったが、組長はそれを許さずに――男を、あの隠し部屋に一晩放り込んだんだと。


 事件があったときは、たまたま県外に出ていた。話を聞いたのは、一緒に酒を注ぎに行ったあの弟分からだ。……あいつは、もう一度地下室に降りて、その男の死体を回収してくるよう組長に命じられたと言っていた。地下室のどこにも、死体の左手がなかったとも。



箱の話は、最後にもうひとつだけ続く。

 


 庚徳会は、もう存在しない。深酒と喫煙が祟ったのか、一昨年の秋に組長が病気をして――正月を迎えることはなかった。慌ただしい葬儀を終えて姐さんが組を去り、俺達が喪に服していたちょうどそのとき、だったんだよ。警察による立ち入り捜査が強行された。

 体制を引き継ぐ会議のために、主だった幹部や品々が本部に集められていたのが悪かった。當間組あたりが手引きしたんじゃねえかって疑うほど、最悪なタイミング。俺は逮捕こそ免れたが、そのまま組は解散に追い込まれた。


 ――許せねえよ。組を潰されたことが、じゃない。俺達から、敬愛していたオヤジの死を悼む時間を奪ったサツが許せなかった。あいつらは、ひとでなしだ。


 だから、あの箱へ誘導した。


 本部にガサ入れが入ったとき、抵抗した俺は署までしょっぴかれて取り調べを受けた。そのときに喋ったのは、ひとつだけだ。『組長は自室から繋がる地下室を造り、その中に置いた木箱に最も重要な証拠を保管している』と。

 隠し扉の存在さえ分かっていれば、警察は必ずそれを開ける。地下室にたどり着き、箱を開けた先に何があるかなんざ知らねえ。開けたポリ公がどうなったってかまわねえ。ざまあみろ。


 ……あのときはな、本気でそう思っていたんだよ。


 どこからやり直せばいい? 庚徳会に入らなければよかったか? 組長と姐さんに地下室へ入れと命じられたとき、命令に背いてでも自分だけで向かっていれば。経理の男と連絡がつかなくなった時点で県外での用事を中止していれば。ヤバい箱の存在を、正直に警察へ告げていれば。


 そうしたら、あいつは助かっていたか?


 畜生。ヤマギシって、誰なんだよ。ガサ入れに入る警察の格好をしてあいつに付きまとって、盗みを唆して、あいつの心を追い詰めたヤマギシとやらは。

 来るなら、俺のところに来ればよかったのに。

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