**

あなたが、電話の方ですね。ええ、ええ。承知しております。名刺は勘弁していただきたい。正式な捜査ではないんでしょう? 私のような者と密会していたなどと、証拠は残さない方がよいに決まっています。こちらの店は、防犯契約を我が組に委託しておりましてね。仮に今ここで白昼堂々強盗が入ったとしても、防犯カメラの映像が警察の手に渡ることはございません。


 ――さて。では、改めて。名前は伏せさせていただきますが、當間組の経営顧問を務めている者です。


 いえね。旧来のいわゆる反社会勢力と異なり、我が組はクリーンな経営を心がけておりまして。法に触れるような風俗の経営や薬物の密売なんてもってのほか。不動産業を中心に、手堅く合法的な商売に努めておりますよ。……おや。私どもの防犯契約も勿論、法律の範疇内でございます。ついうっかりやり過ぎた結果、被害届を出されるなどと間の抜けた失敗もありません。


 くすくす。くすくす。ああ、これは失礼を。こうしてお会いしたからには、あなたのお話も伺わないといけませんね。



 なるほど。庚徳会の呪い、についてですか。くすくす、ああ、重ね重ね失礼しました。まさかこのご時世になって、暴力団がオカルトに手を染めているのかと聞かれるとは。ええ、ええ、確かに庚徳会は我が當間組の商売敵ともいえる存在ですが。酒も入らない日の高いうちに聞く話題としては、少々似つかわしくなかった。失礼、眼鏡が汚れたので拭かせていただきます。



 ――ありますよ、そういったものは。



 あなた方には、目の上のたんこぶであった庚徳会を潰していただいた恩がある。これで、薬物などという不安定な要素を商圏から排除できました。


 非科学的な分野など、堅実をモットーとする當間組が手を出すものでなし。子飼いの情報筋から聞きとった内容を統合した情報のみですが、お話ししましょう。



 庚徳会が使うというそれが、箱のかたちをしているという話は初耳でした。もっとも、入れ物の形など些細なこと。注目すべきはその性質です。


 数年前、庚徳会にて経理として働いていた一人の男がいました。脱サラして飲食店の企業を試みるも失敗し、再就職もできずに暴力団のところへ転がり込んだ男です。経営者としてのスキルはなかったが、帳簿の管理はうまかったようです。


 ある日、その男が當間組に接触してきた。『庚徳会の金を持って逃げたい。内部の情報を渡すから匿ってくれ』、そのような取り引きを持ちかけてきました。情報の内容自体は渋いものでしたが、庚徳会が弱体化するならこちらにも益があります。持ち逃げした金の八割を渡すことを条件に、逃亡を助けることを承諾しました。


 そうして、決行当日。指示しておいた待ち合わせ地点に、男は現れなかった。連絡もつかない。一人で高飛びを決め込んだか、と當間組の誰もが思ったのですがね。

 

男は、庚徳会を出奔した一日半後に、再び庚徳会に戻ってきたそうです。庚徳会の組長の自宅、その玄関先で、ボロボロの姿で地に頭を擦り付けて。土下座で詫びているその姿は、証言も多かった。その目撃者が口を揃えて言うには――小動物か野犬にでも襲われたかのように、全身細かな傷だらけだったと。


 横領が露見して、庚徳会の組員に追われることになったのかと。ええ。報告を受けたとき、私もはじめはそう思いましたよ。けれど、それはあり得ないんです。


 あの男は、帳簿の管理にだけは長けていた。加えて、庚徳会はやくざ者の集まりです。當間組と違ってね。国外のペーパーカンパニーを介した簡易な偽装でしたが、庚徳会の武闘派どもが一日二日で見破れるものじゃない。事実、こちらの入手した情報では、舞い戻ってきた男の証言があって初めて横領の事実が発覚したとあります。


 だとすれば、金を持って逃げた男を傷つけたのはいったい何なのか。そこまでは私達も知りません。


 とにかく、傷だらけの姿で泣いて許しを請う男の姿に気圧された組員も多かったようです。こちらにとっては幸いと言うべきか、當間組の名は出なかったらしい。敵対組織に駆け込むつもりだったなど宣えばどうなるか、あの臆病者はよく理解していたようです。


 ……ごほん。とにかく、庚徳会ではその男の処分をどうするかという話になりました。露見する前に自首した形となったことから、それほど厳しい罰を望まなかった組員もいたそうなんですがね。当時の庚徳会組長がそれを許さなかったと聞いています。誰よりも組内部の掟に厳しかった組長は『盗人にはしかるべき罰を与える』と言ってきかなかった、と。


 それから先の出来事については、組の内々で処理されたと聞いています。男については、山の中や海の底にでもひっそりと処分されたのでしょう。



 くすくす。結局、何があったのか分からないままの話でした。庚徳会が非科学的で怪しげなものに関わっているという証拠にもならない。ただただ尻のすわりが悪いだけの出来事です。



 でも、それ以来。庚徳会に関する噂がひとつ増えました。曰く、『庚徳会から何かを盗めば、必ず片手を奪われる』と。


 ――片手、というのがどこから来た話かは分かりません。右手か、左手かすら不明。大方、噂の出所は綱紀の引き締めを狙った組長周辺でしょう。くだんの男が庚徳会に戻ったときの目撃証言に、片手を失っていたというものはありません。処分時に死体へ細工でもしたか。その程度の噂がまことしやかに広がるような、迷信深い業界にも困ったものです。



 ……結局、私自身はそのような噂を信じるのかと? くすくす、くすくす。

 天気予報のようなものですよ。予報は出ても、実際に当たるかどうかを事前に見極めることは素人にはできない。そして人間が天気予報を信じようと、信じまいと。当日の天気には、全く関係ありません。同じです。大切なのは、不確定な要素に対してどう行動するか。


 おや、もしかしてこう思っていましたか? 『信じなければ影響はない』と。駄目ですよ。たかが人間の気持ちに影響されるなんて、そんな生ぬるいものなら苦労はしません。



 不自然なほど金が集まり、不気味なほどに金が出ていかない。私から話せる庚徳会の話は、これで終わりです。

 謝礼ですか? いえ、結構です。はした金に興味はありません。それに。言ったでしょう、あなた方には恩があると。あなたも、汚職警官になるのは避けたいところでしょう?


 ええ、お世話になりました。庚徳会の組長が病に倒れた、混乱している組織を潰すなら今だとの助言をしたかいがありました。手土産として庚徳会の落とし物をいくつか添えてやれば、事態はあっさりと動いた。

當間組は博打に出ません。喪中の組の不意を突いて恨みを買うようなまねなど、とてもとても。

 

 法を遵守して生きる一市民として、警察には頭が上がりません。進んでやくざ者の恨みを買うなど、一般人にはとても真似できませんよ。警察が盾になってくださったおかげで、身代わりに庚徳会の逆鱗に触れてくださったおかげで、ええ、おかげさまで――。


 くすくす、くすくす。 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る