お久しぶりです、兄貴。……ありがとうございます、俺なんかのためにわざわざムショにまで来てくれるなんて。


 左手ですか? ああ、気にしないでください。自分でやりました。兄貴は、あれからお変わりないようで。ええ、何よりです。庚徳にいた他の構成員は……そうですかい、散り散りですねえ。仕方ないとはいえ。残念ですが、こうなっちまえばうちのシマに當間の奴らがのさばるのも時間の問題でしょう。


 姐さんは、元気ですか? ああ、それはよかった。その小料理屋、出所したら寄ってみようと思います。もっとも、こんなヤクザ崩れが近寄ったらご迷惑になっちまうかもしれませんが。


 ヤマギシさんはどうでしょうか。え、ああ、なるほど。兄貴はヤマギシさんのことを知らない、と。ええ、ええ、なんでもありません。

 

 組長が亡くなって、庚徳会が潰れてから一年。俺もカタギに戻ろうと試しちゃあみたんですよ。本当です。でも、駄目だった。

 幸いエンコ詰めるような真似はしでかしてこなかったもんで、指はこの通り十本ちゃんとついとります。やっぱり顔ですかねえ、顔。兄貴、俺ってそんなにヤクザらしい顔してますかねえ。就職もうまくいかなかったんですよ。ネットがありゃあ何でも検索できる時代だ。前科者はすぐバレる、場合によっちゃあご丁寧に組の名前もついてくる。面接にすらたどり着けませんでしたよ。組が解散したから足を洗ったと正直に言っても、カタギさんにとっちゃ関係なしに『暴力団関係者』で一括りですよ。自分達までサツに睨まれるって門前払いだ。


 ……いえ。サツに関しては、兄貴の方がよほど怒り狂ってるでしょう。組長の死を悼む暇もなかった。突然すぎるガサ入れだった。組長をオヤジと慕っていた、仁義を大切にする兄貴にゃあとても許せないことでしょうね。


 さて、と。兄貴が聞きたがっているのは、どうして俺がムショにいるのかでしたね。


 窃盗ですよ。つまらない理由です。職もなく、なけなしの蓄えも尽きかけた。盗むしかなかったのは、兄貴も分かってくれると信じとります。


 本題はそこじゃない、ですか。流石は兄貴、相変わらず鼻が鋭いお人だ。でも、本当に言わなきゃダメですか? どこから何を盗んだか、なんて。

 そうですか。では、言っちまうことにします。


 賽銭泥棒ですよ。兄貴も知っとるでしょう? かつての本部近くの、田んぼの真ん中にぽつんと建っている小さな神社。田舎町だ、監視カメラも何もない。おまけに、周囲に田畑しかないから人通りも殆どない。だから――盗みました。節約と空きっ腹に耐えかねたある日の晩、神社に入って、賽銭箱をこじ開けて中身を持ち去りました。


 ええ、はい。調べてはいるだろうとは思っとりましたよ。ご指摘の通り、俺が逮捕されたのはこの賽銭泥棒の件じゃありません。でも、これが全てのきっかけだった。


 本当は、神社に一歩入ったときに気づいたんです。懐かしい……と言うには、ちいっと穏やかじゃない気配が強すぎる。とにかく、知っとる雰囲気がそこにありました。嗅いだことのある空気です。どこで、とは訊ねんとってくださいよ。兄貴なら分かるはずです。


 ――賽銭箱からは、小銭の他に万札が沢山出てきました。数えちゃあいませんが、四十万近くはあったんじゃないですかね。膨らんだ白い封筒を掴んだ感覚が、まだ左手に残っています。それだけで三十万入っていました。他にも、折り目ひとつない万札が何枚もありました。


 罰が当たるかもしれない、とは感じませんでした。考えていたのは、これで美味いものがたらふく食えるということ。あと、これを元手に増やすならパチスロと競馬のどちらがいいかってことも。


 はい。まったくですよ。 あんな小さな神社の賽銭箱に大金が入っている時点で、ろくなもんじゃないと気づくべきでした。神社にいるのは神様でしたっけ、それとも仏様でしたか。そんな優しいもんじゃない。俺さっき、組にいたころに嗅いだ空気があったって言ったじゃないですか。組から金を盗むようなもんだと気づいていれば、あんなことはしなかったのに。金を盗んで逃げるなんて、恐ろしくてできなかったのに。

 

 ついてくるんですよ、ずっと。警察のジャンパーを着た男が。

 最初に気づいたのは、賽銭を盗んだ二日後です。道を歩いていてふと振り返ったら、しばらく離れたところに見覚えのあるジャンパー姿が立っていました。瞬きしたり、目を逸らしたりしたら消えている。実害もないことですし、しばらく放置していました。


 おかしくなったのは、さらに一週間後だった。コンビニやスーパーから出て、ふと振り向くと奴がいるんです。鬼の形相で、こちらを睨みつけてくる。何かこちらに言ってくるのは聞こえちゃあいるんですが、それどころじゃない。奴の姿を見ちまった瞬間、逃げましたよ。逃げれば、追ってこない。奴の現れるタイミングは決まってました。そのときだけ、覚悟していればいい。


 そう思ってはいたんですがね。そのうち逃げ続けるのもしんどくなりまして。あの男が現れたのは、賽銭泥棒がきっかけだった。あの神社に何かあるんじゃねえかと思って、行きたくはなかったが、事態が改善する手がかりがないかと再び訪れてみたんですよ、ええ。


 そして着いた神社には、二人組の警官がいました。あん時はもう、心臓が喉から飛び出そうになりましたよ。ああ、俺についてきた例の男じゃありません。ちゃんと生きているポリ公です。不審な動きをしそうになるのを堪えて、たまたま、本当にたまたま散歩がてらに通りかかった振りをして話しかけました。幸い、怪しまれはしなかったようです。賽銭箱が壊され、中身が盗まれていたから念のためパトロールをしているのだと。警官はそう言っていました。監視カメラ等はやはり設置されておらず、犯人の目星はつかないとも。俺だってバレるんじゃねえかと冷や汗をたっぷりかいていましたが、どうにか無事にその場を去ることはできました。


 ああ、そうだ。俺、聞いたんですよ。そういえば、この神社には何か妙な事件や曰くがあったりはしないのかって。詳しくは知らないが、少なくとも今までに神社の周囲や関係者が重大な事件や事故に巻き込まれたという報告はない。それが、警官達の答えでした。


 でも、俺、聞いちまったんですよ。俺が帰ろうとしたとき、背後で二人が囁き合ってたのを。


「そういえば、ヤマギシさんのお祓いをしたのって確かこの神社でしたよね。あれって結局どうなったんですかね?」


「……駄目だったそうだ。神社は、弟さんが継いだらしい。巡回に戻るぞ」


 あいつらは、そう言ってたんですよ。

 なあ、兄貴。ヤマギシさんって、誰ですか。俺につきまとっているのはそいつなんですか。もう、うんざりなんですよ。コンビニやスーパー、店を出る度にあの男が現れるのも。あいつに脅されるようにして盗み続けるのも。


 ええ、はい。盗みました。万引きしました。掏りました。店員に包丁を突きつけて、現金を奪いました。たくさん、たくさん盗みました。


 兄貴、やったのは俺じゃないんですよ。俺の左手がやりました。手が勝手に動いて、盗むんです。本当ですよ、信じてください。もう駄目なんですよ。人様のもんに手を出してしまったから、駄目なんですよぉ。この左手が駄目になっちまいやがってるんですよ。たくさんたくさん盗んだから、もう勘弁してくれってヤマギシさんに伝えても駄目だった。怒りの表情でこちらを睨んでくるヤマギシさんが怖かった。返したんですよ。俺はきちんと返しました。盗んだパンも、缶詰も、米も、金も、あの神社の賽銭箱に詰め込んできた。


 それなのに、ヤマギシさんはまだ許してくれなかった。ほら、今も。激怒したヤマギシさんがこっちを見ているんです。


 兄貴。どうやったら、ヤマギシさんに許してもらえるんですか。俺は返した、返したのに! 賽銭箱がいっぱいになるくらい返しても、まだヤマギシさんは俺を睨みつけてくるから! やめろ、やめろ、やめてくれ! 俺が悪いんじゃない、俺の左手が悪いんだ! だから、左手も切り落として箱に入れたのに! あんなに痛かったのに、沢山血が出たのに、もう左手がないから盗めないのに! なあ、これでいいだろ、なあ、許してくれよ!





 ……兄貴。俺は。

 錯乱して、取り押さえられた、と。ご迷惑をおかけしました。――そろそろ、帰るんですか。はい、お気をつけて。お見苦しいところを見せちまいましたね。暴れるのは、ムショに入ってから減ってきたと感じてたんですが。


 何を言ってるんですか、兄貴。ここがムショじゃないって。じゃあどこだって言うんですか。


 ――病院? そんなわけがないじゃないですか、ムショに決まってるでしょう。扉には鍵がかかっていて、部屋から出て何をするにも監視がついて、薬を――あれ?


 ねえ、ここはどこなんですか。俺はまだ、許してもらえないんですか。答えてくださいよ――ヤマギシさん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る