朝の準備を始める青年の話(後編)

 朝の準備を始める青年の話(後編)


 準備を終えてしばらく椅子に座っていると、恐る恐る襖が開き……化さんがこそこそと出てくるのが見えた。

 …………正直、気まずい。いや、本当に気まずい。

 というか化さんの姿を見るとついさっきばっちりと見てしまった彼女の裸が思い出されてしまって上手く声が出せない。

 だからだろうか、淡々としゃべることしか出来ず……上手く話すことが出来なかった。

『さっきはごめん』

 そう言うことができれば良かったのに……こう、何というか気まずそうに食事をする化さんの顔を俺はちゃんと見ることが出来なかった。

 申し訳ないという気持ちとやっぱり見えてしまった彼女の裸と恥辱に顔を真っ赤にしたのを思い出してしまってドキドキしてしまうから、本当に話しかけることも出来ず静かに朝食の時間は過ぎていく。

 だが、不意に時計を見た瞬間、時間を見るとそろそろ出ないといけない時間帯になっているのに気が付いた。

「……げ、そろそろ急がないと!」

「え?」

 俺の声に化さんが声を上げて俺を見て、つられるようにして彼女も俺と同じように時計を見た瞬間……さあと顔を青くした。

 多分彼女の中では昨日俺が話したことが思い出されているのだろう。

 そう思っていると化さんは持っていた茶碗を置いてすぐさま立ち上がろうとした。

 だが俺はそれを止め、彼女に食べるように促した。

 俺の言葉に彼女は申し訳なさそうに中腰のまま俺を見る……が、しょんぼりとしながら静かに座った。

 わかってくれたのだろうと思いながら、俺は何処か申し訳なさそうに食事をとる化さんを見ていた。


 それから化さんは食事を済ませて身支度を整えると、自信なさげに俺へと話しかけた。

「あの、支度……終わり、ました」

 まるでいたずらをした子供が親に怒られるのを恐れている。といった様子に見えたけれども、俺は化さんに外に出るように言うと彼女は従い外へと一緒に出た。

 一緒に外に出たプラタは俺達へとひと鳴きしてから、大家の婆さんの家に向かって歩いて行った。ゴミ捨ての際に言った約束を覚えていたようだ。

 本当にプラタは頭がいい。美人……いや、美猫だ。

「っと、そんなことを考えてる場合じゃなくて」

 小さく呟きながらアパート前の道路へと出ると俺は化さんを抱き寄せた。

「っ!? ま、まま、真樹……しゃん!?」

 突然こんなことをして申し訳ないかもと思ったが、時間がぎりぎりだから我慢してほしい。そう思いながら抱き寄せた彼女の膝裏へと腕を滑らせるとそのまま持ち上げた。

 ……お、案外軽いな。それに、本当に良い匂いがする……って、無心だ。無心になれ!!

 自分に言い聞かせるようにして俺は化さんをチラリと見たが、突然の行為に驚き固まっているようで彼女は動かない。

 そんな彼女へと俺は顔バレしてほしくないと思った為、自分に抱き着いているようにと言う。

「それじゃあ、行くぞ」

 脚に力を籠めて一気に俺は走り出す。

 轟と風が全身を襲い始め、体に襲い掛かる振動に振り落とされたくないと考えたのだろうか、化さんは俺が言ったようにギュッと抱き着いた。

 かなり密着するように抱き着いた彼女の体は温かく、俺と同じシャンプーなどを使ってるはずなのに上品な香りに感じられた。

 そして……ギュッと抱き着く彼女の体は折れそうなほどに細く柔らかい、俺は心臓がバクバクするのを堪えるのに必死だった。


 ●


 ……結果、必死に走り、学校近くの人通りが少ない路地に到着したのは8時05分という中々のスピードでの到着だ。

「ハア、ハァ……! ゼハァー……、こ、ここなら問題ないだろう……」

「は、はうぁあぅ……あぅぅ……」

「っ!? ば、化さん、大丈夫か?」

 周囲に誰も居ないことを確認してから俺は化さんを地面へとゆっくり下ろした。

 けれどかなりのスピードで走っていたから怖かったのか、彼女は自力で立つことが叶わなかったようでその場でへたり込みそうになってしまった。

 そんな彼女を抱き留め、大丈夫か尋ねる。

 抱き留めた瞬間、俺の顔と化さんの顔がすぐ近くまで来ている距離であったことに気づいたのだが、どういうわけかすぐに彼女から離れることが出来ず……焦点の定まらない瞳でボーっとしている彼女を見ると、改めて彼女は美少女だという事が理解できた。

 ……そんな風に思っていると、段々と化さんは顔を赤くし始めた。

「ひゃ――ひゃうう!? そ、そにょ、だいじょうぶ……れしゅ……」

「そうか……。なら良かった」

 妙な悲鳴を上げつつも俺から視線を逸らして立ち上がろうとする彼女から離れると……今度はへたり込まずに耐えきれたようで少しふらつきながらも一人で立つことが出来ていた。けれどまだ顔が赤く、走ったときの衝撃が残っているのだろう。

「……化さん、大丈夫か? 歩けそうか?」

「だ、だいじょうぶ、です……。少ししたら、歩けるようになります……ので、真樹さんはさきに、行ってください……」

「わかった。じゃあ、また後で――っと、今日はバイトがあるから先に鍵を開けて入っててくれれば良いから」

「――――え? あ、あの」

 化さんには昨日作った合鍵を今日渡した・・・・・し、大丈夫だよな。

 そう思いながら俺は周囲を気にしながら、素早くその場から離れた。……よし、見られていない。

 しかし、走っている姿は目撃されていたようで、俺は学校の女子生徒を無理矢理捕まえて街中を爆走していたという噂が昼にはすでに学校中に広がってしまっていた為、周囲の視線が休み前よりも酷く感じられた……。

 その噂に頭を抱えながら、俺はひっそりと今日の授業を受けていた。


「――うしっ、授業終了。バイトだバイト。今日のストレスを一気にぶつけてやる」

 針の筵のような授業を受け続け、最後の授業終了のチャイムが鳴り響くと俺はひとりごとを呟きながら立ち上がる。

 その声が聞こえたのか周囲の男子がびくりと怯えたように震えた。

「……おい、聞いたか? 今日のストレスとぶつけるって…………」

「まさか、他校のヤンキーとのケンカか?」

「いやいや、ヤクザの可能性だってあるんじゃねぇ?」

「俺の近所さ……この間、コンビニ強盗があったんだよな……」

「「マジか」」

 いや、マジかじゃないよ? 本当にいい加減にしてくれと言いたい。

 俺はいったいどんな人物なんだと。ひそひそと話す男子たちに呆れかえりながら俺はバイト先である工事現場に向けて移動を始めた。

 途中、俺の姿を見た学校の生徒達からやはり朝の化さんを抱っこして走った行為が噂になっているからかひそひそと何かを言っているのが見えた。

 ……本当に話題に事欠かないってやつだよなぁ。

 そんなことを思いながら、俺は何時ものようにバイト先に到着して学ランの上着を脱ぐとシャツの袖を巻くりヘルメットを被って作業を始めた。

 青空だった空は茜色に染まり、それが徐々に黒く変わっていく。途中から工事用のライトが点灯し始め、不自然な明るさが現場を照らしていく。

 その灯りに照らされながら俺は資材を肩に担いで運び、一輪車を動かして排出された土砂や瓦礫などを運ぶ。

 俺の他にも色々と作業者は当たり前に居るし、ミニショベルカーなどの重機が動き、現場監督の怒号が時折飛んでいる中、黙々と作業を行う。

 時折水分補給として置かれたお茶を飲み喉を潤し、軽い休憩時間にはたまに話す作業者のおっさんと軽く話したりして時間は過ぎていった。

「よーし、今日はこれぐらいで良いだろう! お疲れ様、みんな!!」

「「おつかれっ! んじゃあ、帰るか!」」

 ペースを見たからか、それとも時間が来たからか分からないが先ほどまで怒号を飛ばしていた現場監督がそう言うと、全員は声を上げて言う。

 そして口々に帰ると口にしたり、このまま飲みに行くのを誘ったりというのが見られていた。そんな仲間達を見ながら、俺はカバンを取るとスマホを見る。

 時刻は……9時半。

「だいぶ働いたな。途中でコンビニかスーパーで弁当買って、帰ったらとっとと食べて風呂入って眠らないとな。……化さんももう寝てるよな?」

 呟きながら俺は学ランへと袖を通す。

 そんな時、学ランのポケットに入っていたであろう物がポロリと零れ落ちた。

「ん? 何だこれ? …………え」

 落ちたソレを拾い上げると俺は血の気が一気に引いた。

 何故なら、ポケットから零れ落ちたソレは……俺が化さんへと渡したと思っていたアパートの合鍵だったからだ。

「え? ちょっと待て、ちょっと待てちょっと待て、え?」

 焦りながら俺は呟く。俺は化さんに合鍵を渡したものだと思っていた。だが、その合鍵はポケットの中に入っていた。

 ……つまりは、化さんは鍵を持って、いない?

「っ!!」

「おーい、真樹。お前もたまにはメシでも食いに――って、急いでどうしたんだぁ?」

 その答えに辿り着いた瞬間、俺はササッと荷物を掴むと急いでバイト先から飛び出すように走っていた。

 後ろから作業者のおっさん達が驚いた声を上げていたが、返事が出来なかった。


 ●


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 走る、走る。走る走る走る。

 夜の道を俺は全力で突っ走る。

 何時も寄っていたスーパーの前を走り抜け、明かりの灯る飲食店やコンビニの前を通り抜けていく。

 その度に周囲の視線が俺へと向いたが、気にせずに突っ走る。

 マジかマジかマジかマジか! 学校が終わってからどれだけ経った? 8時半だから少なくとも4時間近くだよなぁ!? ってことは、化さんは俺の部屋の前でずっと待ってたりするのか!? それとも大家の婆さんの家でお世話になってる? いや、でも化さんだから……ああくそ、考えが纏まらない。

「ああくそ、くそっ! 俺の馬鹿野郎!! 何で渡したって思ってたんだよっ! ちゃんと確認しろよ俺!!」

 口から洩れる罵声を自身へと浴びせながら俺は走り、住宅街へと入る。

 住宅街に入ると犬を連れ添った夜の散歩を行っている人達と時折すれ違うが、俺の様子に驚いたのか犬が吠えるのが聞こえた。

 俺はぶつからないように気を付けながら必死に走り続ける。

 他にも俺の雄叫びに何事かと窓を開けるのも聞こえ、続けて「うるせーぞ、ばかやろー!」という怒鳴り声も聞こえた。

 あと少し、あと少しでアパートに辿り着く!

「化さん、居てくれよ……!」

 待っていてほしい。

 そう思いながら俺はアパートの階段を駆け上り、自室の扉の前へと立つ。

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

 全力で走ったからか、心臓がバクバクする。息が荒い。正直、不審者で即通報ものだが……焦らずにはいられない。

 居てほしい。何度も思いながら、俺はドアノブへと手を伸ばし……掴む。

 そして、ゆっくり、ゆっくりとノブをひねり……引いた。


 ――ガキンッ。


 だが、無慈悲にも部屋の扉の鍵は……やはり閉まっていた。

「ぅ、うぁぁあ……。俺の馬鹿野郎ぅぅぅっ!」

 その瞬間、俺は崩れ落ちながら自分を責めるように呻く。

 けれど呻いたところで化さんは戻ってくるはずもない。……いや、その前に部屋に入ることが出来なかった彼女はどこに居るんだ?

 お、大家の婆さんの家……か? でも、この時間にはもう婆さんは寝てるはず……だよな? いや、でも、ああくそ、化さんが何処に居るのか全く分からない……!

「うぅ……。すまない。本当にすまない化さん。すまない……!」

「え、えと……き、気にしないでください……」

「気にするだろ?! 俺が朝にちゃんと部屋の鍵を渡していなかったから、化さんはもう帰ってこないんだ!」

「えっと、その……突然、鍵を言われたときは戸惑いましたし、捨てられたかもって思いました……ね」

「そうだろ!? だから、化さんに申し訳がなくて! そう思うだろ、化さん! …………え、ばける……さん?」

 途中から幻聴がする。きっと俺の罪悪感が化さんの幻聴を生み出したのだ。

 そう思いながら返事を返してくる彼女に返事を返していたのだが、振り返った時……困った表情を浮かべる化さんがそこに立っていた。

「は、はい、……そ、その、おかえり、なさい。真樹さん」

「た、ただいま……」

 静寂、俺と化さんの間に沈黙が起き、動きが止まる。

 が、すぐにハッとして俺は跪いたまま頭を下げた。要するに土下座。

「ええっ!? ま、真樹さんっ!? な、なにをしてるんですか!?」

「すまなかった化さん! 俺が部屋の鍵を渡さなかったばかりに、悲しい想いをさせてしまって!!」

「うっ、それはそうですが……で、でも謝らないでください! 立ってください!!」

 俺の言葉に化さんは声を詰まらせるが、すぐに慌てたように立つように促す。

 だが俺は立てない。何故ならまだ自分自身が許せないからだ。

「俺が、俺が朝、鍵を渡すはずだったのに化さんと目を合わせるのが恥ずかしかったせいで化さんは困ってしまったっ!!」

「そ、それは、その……仕方ない、と思いますよ……? でも、怒ってたわけじゃなかったんですね……よかった」

 俺の声に化さんは困りつつも安堵したようにホッとした様子を見せた気がした。

 だけど、自分も困っていたはずなのに俺を慰めようとする化さんを見て、改めて彼女の優しさに俺は涙する。

 ちなみに最後に何かを呟いていたが聞き取れなかった。

「怒ってなんかない! というよりも、俺の方が化さんに睨まれてもおかしくないはずだろう!? だって、俺は――」

「あ、あの、ちょっと落ち着いてください。真樹さん……。なんだか、このまま大声で叫ばれているとわたしがすごく恥ずかしい想いをしそうな気がするのですが……」

 何か落ち着くように化さんに言われたが俺は止まらない。

「化さんの裸を見てしまったんだ! 正直、胸は薄かったけど、綺麗だと思った! 思い出したら胸がドキドキしてしまうくらいに白くて綺麗だった! 朝だって化さんを見たら裸を思い出してしまって顔を見ることが出来なかったし、登校の際に抱っこした時だって俺と同じシャンプーとかボディーソープのはずなのに違う香りがしてドキドキした! やっぱり胸は薄かったけど、すごく女の子で柔らかくて、温かくて、本当にドキドキし――――ぶべっ!? ば、ばけるさん? な、なにを――ほぐっ!?」

「~~~~~~~~~~っっ!!!!」

 思いの丈を叫んだ瞬間、声にもならない叫びを上げながら化さんが俺を持っていたカバンで叩き始めた。

 突然のことで驚きつつもガードするのだが、角度的に暗がりでも彼女の白色の下着が見えてしまっている。

 ちなみにカバンで殴られているのだが、正直あまり痛くはないけれど……角が当たった時はちょっと痛い。

「ちょ、ばけるさ――なんで、なぐっ! ちょ――っ!!」

「っ! っっ!! っっっ!!!」

 顔を真っ赤にしながら彼女は必死に何度もカバンで叩いてくるだけで返事はない。

 ……が、そんな俺達に聞こえるようにパンパンと手を鳴らす音が響いた。

 同時に化さんを誰かが羽交い絞めするのが見え、叩かれるのが落ち着いた。

 誰だ? そう思いながら、俺は手を鳴らした人物と化さんを羽交い絞めした人物を見た。


「………………は? え? え? なんで?」


 そこにいた人物に、俺は間抜けな声を上げた。

 何故ならそこに居た人物。

 それは――、

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一つ屋根の下~学校一の不良(と思われている青年)と学校一の高嶺の花(だった少女)~ 清水裕 @Yutaka_Shimizu

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