カニバー

鈴女亜生《スズメアオ》

カニバー

 人類が食物連鎖の頂点に立っていたのも、今では過去のこと。人類にとって圧倒的な捕食者が現れてから、既に数百年が経過していた。


 カニバー。そう呼ばれる人類にとっての天敵はある日、突然人類の前に現れた。二足歩行で体格は人間と似ているが、頭の九割が口になっており、その口で人類をいとも容易く捕食してきたのだ。


 人類はそれまでの叡智を集め、生み出してきた様々な武器を用いることで、そのカニバーに対抗しようとしたが、カニバーの生命力は凄まじく、それら武器の大半が機能しなかった。

 銃弾の多くは鋼鉄のように固い皮膚に防がれ、元から高温を維持している体温はどれだけの熱でも物ともしない。あらゆるウイルスに対する抗体や、あらゆる毒に対する免疫を瞬時に作り出し、放射能汚染の影響も受けない。生存のために酸素もいらない。


 カニバーには人類が考える全ての殺害方法が試されたが、そのどれもが効果を発揮することがなかった。その間にも人類は捕食され続け、気がついた時には総人口がカニバー出現前の約一割にまで減少していた。


 その中で判明したカニバーの唯一とも言える弱点が、繁殖能力がない点だった。

 つまり、現在存在しているものでカニバーは全てであり、それらを抹殺すればカニバーを絶滅させられるということだ。


 それを僅かな希望と信じ、人類は最後の手段として、カニバーを殺害するための兵器を開発することに命を懸けていた。


 しかし、そもそも人類の叡智の全てを集めて開発した兵器の数々が、カニバーには効果を発揮しなかった前例がある。そう簡単にカニバーを殺害できる兵器が開発できるはずもなく、人類はその間にどんどんと数を減らすことになってしまう。


 そこで人類は残された数少ない人類の生存を第一に考え直すことにし、そのための手段を開発しようとした。

 その試みの一つに遺伝子情報を組み換え、カニバーに匹敵する生命力を有した人類の開発があった。


 そこで誕生したのが、新人類であるスポナーだった。


 スポナーはこれまでの人類からは考えられないほどの再生能力を有しており、仮にカニバーに捕食されても、そのカニバーの排泄物に細胞が一定量存在していたら、再生することができるほどだった。これにより、完全とは行かないにしても、人類の減少は緩やかなものに変わっていた。


 スポナーの誕生により、絶滅まで猶予のできた人類はカニバーに対抗するための兵器を開発し、後はカニバーを滅ぼせば生き残ることができる。

 その状態になってから数えても、既に数十年は経過していた。


 つまり、人類は未だその兵器の開発に至っておらず、カニバーの数は一体も減っていなかった。



   口口口



 残された人類の正確な数は分からないが、スポナーを含めない旧人類は全世界で一万人ほどしか生存していないと言われている。その中でカニバーに対抗できる兵器を開発できるものは限られており、その数少ない人間以外でその他の仕事の多くを担う必要があった。


 基本的にカニバーと鉢合わせるような危険な仕事はスポナーが担当していたが、新人類であるスポナーの数は少ない上に、スポナーも完全に死なないわけではない。カニバーの排泄物に含まれる細胞の数が一定量以下なら、スポナーは再生することなく死亡する。

 そのことから、スポナーではない旧人類にもカニバーや、カニバーの生息している地域に生存者がいないかの調査を任されることがあった。


 そして、カニバーでも、スポナーでもない私も、カニバーの生息している地域の調査を任されていた。生存者の確認の他、カニバーの個体数の調査やカニバー自体の調査も主な仕事だ。

 特にカニバー自体の調査は重要だ。カニバーに生殖能力が現れている場合、人類の希望は打ち砕かれることになる。


 私はその任された任務を全うするために、人類にとっては危険なことなのだが、カニバーを目視できる距離で調査することが多かった。


 その中で、その出来事は起きた。その時の私は数百メートル先にいる一体のカニバーを双眼鏡で観察している最中だった。周囲に一切警戒することはなく、何かが近づいてきていることに、物音が立つまで気づかなかった。


 そして、気づいた時には私のすぐ目の前にカニバーが立っていた。


 カニバーは発声器官を持っていない。鳴き声と呼べるほどの音も立てることはなく、頭の九割を構成している口は、ただ人類を捕食するためにしか使われていない。


 その口が私の目の前でパカリと開いた。その様子を見た直後、私は銃を構えていた。


 開いたカニバーの口内に弾丸を撃ち込む。微かに血に見える赤い液体が口の中から飛び出ているが、これは大概が捕食された人間の血液だ。

 カニバーの口内は人間の骨や歯、爪で傷がつかないほどに固い肉質になっている。それは皮膚ほどではないにしても、銃弾を受け止めるには十分な固さであり、銃が効くことはない。


 しかし、銃弾による衝撃は違っている。この衝撃を与えることで、カニバーの動きは制限できることは分かっていた。もちろん、時間稼ぎ程度にしかならないが、逃げ出すには十分な時間だ。


 私は全ての弾丸を撃ち終えると、銃を放棄して走り出していた。覗いていた双眼鏡を水筒の入った鞄に突っ込み、一目散にカニバーから離れるように走り出す。


 たとえ、私がスポナーであっても、カニバーを正面から相手することはない。その理由は確実に捕食されるからだ。カニバーの力は新幹線も受け止めると言われていたほどに強く、人間が真正面から相手するものではない。


 しかし、それで逃げ出して助かるくらいなら、人類はここまで数を減らさなかった。カニバーの厄介な点は他にもある。


 その一つが短距離走の陸上選手でも逃げ切れないと言われた足の速さだ。百メートルを十秒台で走り切る足の速さに、人間では考えられないほどのスタミナが加わり、その様子は化け物に相応しいものになっている。

 一説によると、百メートル十秒台の速度のまま、約三時間は走り続けることができるそうだ。その三時間走った後も、数分の休憩を挟むことで再び走り続けられると言われている。


 そうなると、人類の足で逃げ切れるはずもない。仮に地形が複雑だとしても、人間側の足も遅くなる以上、条件が変わることはないだろう。

 なら、車に乗ればいいと思われるかもしれないが、その車を簡単に受け止めるのがカニバーなのだ。乗ったところで逃げられるかと聞かれると、そうとも限らない。寧ろ、移動に制限がかかり、逃げられないことの方が多いくらいだった。


 逃げ出した私も、それらの情報に違わない足の速さで、すぐにカニバーとの距離を詰められていた。私の背後でカニバーの大きな口が開いている。

 確実に捕食される。そう誰しもが思うような光景がそこにはあった。


 私はカニバーの口に向かって、持っていた鞄を投げつけた。他に武器を持っていない以上、これしか対抗手段がない。

 もちろん、それらの鞄は容易くカニバーに食われてしまう。その光景を見ながら、私は数百年前に多く作られていた映画というものを思い出していた。その映画の中では、このような場面になると、思ってもみなかった要因が解決の糸口となるらしい。それを書物で読んだ時にあり得ないことだと思った。


 現実はそう簡単に甘くない。思ってもみなかった要因は思ってもみなかったことなので、現実の解決手段となることはまずない。

 例えば、今の場面なら双眼鏡や水の入った水筒のどちらか、もしくはその両方が合わさったものがカニバーの弱点だった、みたいなことだろうが、そのようなことになるはずもない。


 実際、鞄を食い破ったカニバーは少し止まったが、それも鞄を飲み込むまでのことだった。すぐに動き出し、私との距離を詰めてくる。それから逃れようとするが、私の身体はカニバーほど俊敏ではなかった。


 カニバーの口が私の右腕を食い千切った。上腕の中ほどまで食われ、傷口からは盛大に血が噴き出している。私は腕を襲う激痛に声を押さえられなかった。叫び声を上げながら、グチュグチュと口から音を立てているカニバーの前に倒れ込む。

 その痛みは既に私の判断能力を奪っていた。そもそも、右腕からの失血が原因で、私の意識は失われかけていた。


 だから、気づいた時には私の身体をカニバーの口が覆っていた。私がそのことに気づいた直後、私の身体はカニバーの口の中に飲み込まれる。ブチブチと肉が音を立てながら裂かれるが、それらのことに痛みを覚える前に、私の意識は消えていた。



   口口口



 私の意識が消失した十秒後。カニバーは私の身体を噛み潰し、腹の中に収めていた。私の身体はカニバーの消化器官で消化されようとしている。

 私を捕食したカニバーは動き出し、私が双眼鏡で眺めていたカニバーの方に近づき始める。


 その直後だった。動き出したカニバーを違和感が襲った、はずだ。


 腹。特に私を飲み込んだ消化器官の辺りに、違和感を覚えて口ばかりの頭を傾げている。そこに脳が詰まっているのかと、その光景を見ていたら私は思ったと思うが、その時の私は腹の中で光景を見ることも、何かを思うこともない。

 カニバーは両手で自分の腹を押さえ、不思議そうにしていた。違和感はやがて痛みと変わり、カニバーを襲っている、はずだ。


 そして、その痛みがピークに達したと思われる頃、カニバーの腹を腕が突き破った。その腕にカニバーが首を傾げている間に、もう一本の腕が腹から生えてきて、カニバーの腹を裂くように大きく両手を広げ始める。

 カニバーが大きな口を開けて、発することのできない声を発する。その間に、今度は足がカニバーの背中を貫き、両手と同じようにカニバーの背中を裂き始める。


 そして、その痛みにカニバーが倒れようとした直後、カニバーの身体が大きく爆ぜるように裂けた。


 その中に立っているのは、の私だ。


 私はカニバーの肉片が散らばる中で、その様子をただ眺めていた。全身がカニバーの血で汚れ、気持ち悪いがそれも仕方ない。カニバーの体内から出てきたのだから、何もない方がおかしいくらいだ。


 私はほとんどが散乱したカニバーの肉片を蹴散らし、カニバーが息絶えていることを確認する。それから、その肉片の一つを取り上げ、


 カニバーでも、スポナーでもない私だが、


 私はカニバーの捕食能力と、スポナーの再生能力を持った新人類の新人類、だ。


 私の目的はカニバーの生息する地域を調査すること、それから、


「不味い…」


 私は無理矢理カニバーの肉片を腹の中に押し込んでから、さっきまで眺めていたカニバーのいる方向に歩き出す。


 人類の希望。私がそう呼ばれるようになるのは、まだもう少し先のことだ。

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カニバー 鈴女亜生《スズメアオ》 @Suzume_to_Ao

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