シスターズ
藤翔(ふじかける)
シスターズ
鍵が落ちていました。鍵には燃えるような紅のリボンと一枚の便箋が添えられていました。紅のリボン、そして便箋。この大正の時代において、女学校では一つの意味しか持たないではありませんか。
便箋を開いてみると「可愛らしい貴方をお目にしたいと存じています」の文字がありました。そう、私は上級生にエスの関係を持ちかけられたのです。
僕はここまで読んで、手紙を机の上に置いた。水タバコを口に咥えて一気に吸い込む。そして長い息で煙を吐き出した。胸焼けがしそうだ。いろんな意味で。
周りはタイプライターを打つ音と、インクと煙の匂いで満ちている。
窓から射す冬の朝日は眩しい。
僕は昨日「女学生倶楽部」の編集部に配属された。「女学生倶楽部」というのは読んだままの女学生を対象にした雑誌だ。男の僕がまともにやって行ける気はしなかったのだが、編集社で働いているほとんどが男性なのだからやっていけはするのだろう。女性は、いたとしてもタイピングの手伝いぐらいのものなのだ。
僕が読んでいたのは、雑誌の悩み相談のコーナーに当てて送られてきた手紙だった。この手紙の返答自体は既にされているらしい。それからもやりとりがしばらく続いたという。その返答していた編集者と入れ替わる形で僕が配属された。この手紙を読んでいたのは引き継ぎ作業の一環というわけなのだ。
僕は全くと言っていいほど女学生の文化を知らなかったので、この手紙の意味がよくわからなかった。だが、前の担当をしていた編集者が手取り足取り教えてくれたので、今は理解できている。
エスというのはSistersの頭文字のSが由来しているらしい。女学校で行われている恋仲に近い関係を表す。もちろん女学校なので同性同士の恋愛である。いや、厳密には恋愛じゃないのか。ここらへんがややこしいところらしいが、深い関係ということだ。何より相談者の女学生がもらった手紙には「お目にしたい」と書かれていた。「お目」とは一般的には愛人を指すものだ。上級生が手紙を送ってきたとあるが、これが重要だ。エスの関係においては上級生を「お姉さま」下級生を「妹」とするらしい。大概は上級生から話を持ちかける。紅のリボンが受け取られると関係が結ばれたことになると言った決まりごともあるみたいだ。
まあ、学生時代のままごとみたいなものなのだろう。女学生も卒業すれば誰かしらと結婚して子供を産むことになる。女学校に入れる家柄の時点で結婚相手は決まっているものなのだ。それなのになぜエスなんかに呆けているのだろう。僕は単純に疑問に思う。まあ、確かに結婚という現実から目を逸らしたくなるのも分かる。自由恋愛なんて駆け落ちでもしないと無理なのだから。かくいう僕も来月には嫁候補との面談がある。いわゆるお見合いってやつだ。便宜上だけでほぼ結婚は決定事項みたいだが。
ちなみに相手の名前は島陸子という。
僕の事情なんてどうでもいいか。読者は話を聞いてほしいだけなのだ。
僕は机に置かれていた手紙に再び手を伸ばした。
鍵が添えられていたことが気になるな。まるで小説を読んでいるみたいだと思った。
私は断るべきかどうか判断がつかずにいました、ですが今日中に決断をしなくてはなりません。なぜならば、添えられていた鍵は彼女の、(ここからはIさんと呼びます)の下宿先の鍵だというのです。その鍵がなければ家に入れてもらえないそうなのです。すべて手紙に記されていました。今日中に鍵を返さなくてはならないのだから、対面することは免れません。
なるほど。Iさんはなかなかの策士じゃないか。望み薄な相手に対して考える前に決断させてやろうという算段なのだろう。俄然続きに興味が湧いてくる。
とりあえず、バスに乗ってIさんの家に向かうことにしました。程なくしてIさんの家に近い場所にバスはつきました。手紙に従ってIさんの下宿先に向かいました。程なくしてIさんの姿が見えました。ですが、そこには家はありませんでした。ただの空き地です。Iさんはよくいらっしゃいましたね。と言って私から鍵を受け取りました。Iさんは騙したことを謝罪すると空き地の隅に置いてあった箱に鍵を差し込みました。その箱の中身は一冊の本でした。題名は「乙女心」です。その本をIさんは私に渡すと、颯爽と立ち去って行きました。私には彼女の真意がてんで掴めません。この本をどうすれば良いのでしょうか?これが私の悩み事です。
……。ここで手紙は終わっている。本を渡す意味がわからなかった。途中まではIさんを策士だと思っていたが、単に変わっている人なのか?「乙女心」という本も聞いたことがない。
前の編集者に渡された封筒の中にはこの手紙以外の紙もたくさん入っている。その中を弄っていると、前の編集者がしたのであろう返答の草稿が入っていた。
どんな場合であれ、読書は貴方の知見を深めます。読むのが吉。
適当もいいところだと思った。この返答をしたということは、彼女は「乙女心」を読んだのだろうか。
彼女からの二通目の手紙があった。よくこんなに適当な返信をされて手紙を出したものだ。
僕は読んでみることにする。
おっしゃる通りにIさんから受け取った「乙女心」を読んでみることにしました。あれから一ヶ月が経ちますが、返事ができておりませんでした。申し訳なく思っています。ここで謝っても仕方のないことですが。しかし、今はというと返事をいたしました。英語で言うところのYESとお答えしました。理由は「乙女心」を読んだことにあります。貴方の返答の通りに本を読んでみて正解でした。本の内容は作家のお手伝いをしている男と女学生の色恋沙汰を書いたものでした。
返答ができなかったのは、「女学生倶楽部」が月ごとに発売されているからだろう。誌面に書かれた返事を読むには一ヶ月待つしかないのだ。悩み相談として成立しているのか僕は疑問に思う。まあ、彼女がこうやって悩み相談を送ってくるのだから気にしても仕方がない話だ。それよりもなぜ彼女は「乙女心」を読んでIさんの誘いを快諾することになったのか。
その作家のお手伝いをしている男の登場人物はIさんにそっくりでした。そして女学生が、私そのものでした。私は物語に酔いしれました。それだけで持ちかけられた関係は恋愛ではありませんが、受け入れる気分になっていました。しかし、決定づけた要因はその物語をIさんが書いたということです。Iさんは私の思い、悩み、すべてが手に取るようにわかっていたのです。
なんと。筆力でIさんは彼女を誘惑したのか。編集者としての血が騒いだ。一人の人間をここまで骨抜きにできる文章を書ける時点でIさんには小説家の才能がある。
「編集長、このIさんって人にアプローチしたんですか?」
窓際の席に座っている初老の気難しそうな男性に僕は話しかける。編集長は高そうな万年筆をそっと机に置くと、僕のことをじっと見据えた。三秒ほど経って、編集長は口を開いた。
「ああ。その中に入ってるぞ」
僕は編集長が見た目通りの気難しい男性であることを感じ取った。まあ、この封筒のことまで把握できているからさすがではあるのだが。
さておき、「その中」とは多分封筒のことだ。封筒に入っていた紙を見ていくと、住所らしきものが殴り書きされた紙があった。Iさんの文字がある。そして住所。その下には「後はよろしく」の文字が。
引き継ぎの一環だったというわけか。口頭で言ってくれたら助かったのだが。この手紙を読み終わったらIさんに接触してみるのもいいかもしれない。あわよくば連載小説を書いてもらえたらいいのだが。まあ、誌面に自由恋愛を題材にした小説を載せられるのかわからないが。
彼女からの手紙の続きを読もうと思ったが、編集部への謝辞で締め括られていた。
編集部の回答が貴方の役に立ったなら幸いです。Iさんと今後も仲良くできるといいですね。しかし、女学生の本分をお忘れなきよう。
前回に引き続き、編集部の回答、というより前編集者の回答は至ってありきたりな事が書かれているだけだった。おそらく、彼女は誰かに話をしたかったに違いない。公に口にできない話題であるがゆえに、匿名性が確保できる雑誌に投稿してくるのだ。
ここで彼女とのやりとりは終わっているのかと思ったが、もう一通だけ手紙が来ていたようだった。
これで最後の投稿になる事でしょう。私はあれからIさんと幸せな日々を過ごしていました。彼女は常に私に優しく接してくれました。他のエスを見ていると、上級生が厳しく当たっているところも多いみたいですが、私たちは違いました。一見、良いように見えますが、私は心のどこかで引っ掛かりを覚えていました。そう、Iさんの内面が見えてこないように見えたのです。本音で話していないというか。これをまた、貴方に相談したかったのですが、一ヶ月間待つことはできませんでした。私は思い切ってIさんに思いを打ち明けました。すると、Iさんは私に心中を仄かしてきたのです。理由を聞くと、「結婚が憂鬱」だという事でした。Iさんの話を聞いていると、私も彼女と同じ悩みを本来なら抱えるべきなのだと気がつきました。私だって、いつかはIさんと別れて結婚しなくてはならないのですから。私の浅慮に嫌気がさしそうでした。ですから、私はIさんと心中をします。貴方には事の顛末を伝えておかないといけない気がしました。けして貴方のせいではありません。この世の風潮のせいなのです。では。
思わぬ内容に文章がうまく頭に入らなかった。心中?つまり自決すると言うことだ。
心中を決心させてしまうIさんが怖い。
編集部の返答を探す。……ない。つまりここからが僕の仕事というわけか。いや、多分この手紙が原因で全編集者は辞職したに違いがない。責任を押し付けられたのだ!
Iさんの住所が書かれた手紙に目をやる。椅子に腰掛けている場合ではない。心中される前に止めなければ!椅子に引っ掛けていたトンビマントを羽織って、編集長を一睨みする。編集長は目を合わせやしない。編集長が封筒の中身を知っていたのは僕に責任を押し付けるためだったのだ。
ビルを飛び出して、路面電車の駅まで自転車を飛ばす。Iさんが住んでいるのは東京だ。ここ銀座からはあまり遠くない。
路面電車を乗り継いで、Iさんの家までくることができた。小さな平家だった。
「ごめんくださーい!」
僕が叫んで一分もたたずに家の中から老婆が現れた。おそらく、Iさんの下宿先の家主の妻だろう。
「ああ。貴方は……あの娘なら大池に向かいましたよ」
老婆は僕のことを知っているみたいな言動をとった。まあいい。大池にIさんがいるということが重要だ。向かったということは現時点でIさんは生きているということになる。
大池がどこにあるのかその老婆に聞いて、言われた道沿いに駆けた。
しばらくすると、杉の木に囲まれた池が現れた。水は澄んでいるようで、空の色がそのまま水面の色になっている。
人は全く見当たらない。池の終わりがやっと見えるぐらいの大きさを誇る池だ。右回りにIさんを探すことにした。
すると程なくして、池のほとりでうずくまる少女が二人見えた。片方の少女の後頭部には紅のリボンが付いていた。僕は探していた二人であることを確信した。
「あの」
二人は驚いて僕の顔を見た。リボンをつけていないIさんが池の方にひっくり返りそうになっていたので、僕は彼女の手をつかんで引っ張った。
「大丈夫かい?」
Iさんはじっと僕の顔を睨んでいる。
僕は耐えきれなくなって話しかけた。すると自分の右頬に衝撃が走った。Iさんに平手打ちをされたのだった。
「貴方のせいなんですからね! 貴方さえいなければ私達、死ぬこともなかったのに!」
……は?
僕のせいとはどういうことなんだ。彼女の顔を見つめると、ある人物の写真と顔が重なった。
「君、名前は?」
「顔を見てわからないなんて最低です。仮にも結婚するはずだった相手なのに。私の名前は島陸子です」
…‥。なんと、Iさんは僕のお見合いの相手だったのか!不服ではあるが、僕が彼女の悩みの原因を作り出していると言ってもおかしくは無いのだった。だが、僕はある妙案を思いついた。
我ながら出来すぎた状況に対して逆に頭が冷静な判断を下しているみたいだった。
「すまない。君を見てすぐに気がつかなかったには訳がある。実は、結婚には乗り気じゃなかったんだ」
「はい? 結婚する気満々だと伺っていましたが」
彼女に僕は耳打ちをした。手紙を出していた彼女は不思議そうな顔をして僕らを見ていた。
「はい! そういうことなら!」
たちまちIさんは笑顔になった。
「ちょっとどういうことですの、お姉さま?」
「いいから帰るわよ」
彼女達は僕にあっかんべーをしながら立ち去っていった。
池のほとりに残された僕の心にある引っかかりは綺麗に消えていた。
Iさん、いや、島さんに何を提案したかというと、偽装結婚だ。そして僕が仕事にかまけている事にすれば、彼女達のエスの関係を邪魔することはないだろう。
編集部が僕に責任を押し付けようとしていた、のではなく当事者の僕に解決させようとした事もわかった。編集部の仕事にも気兼ねなく取り組める。まあ、真偽を確かめてなくてはならないが。
とりあえず僕は編集部に戻る事にした。
そういえばなぜIさんなんだろうか。
その疑問は、路面電車が銀座に着く頃には解決していた。島は英語でIslandだ。そしてLandは陸だ。だから島陸子がIさんなのだ。
シスターズ 藤翔(ふじかける) @fujikakeru
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