アデンバーグの異変

 駅員に怒鳴られながらも、ギリギリのタイミングでカゴタ駅で飛び降りることが出来た僕は、ホームで唸る動機と呼吸を必死に整えながら、老人の甲高い笑い声と一緒に去っていく列車を見送った。


 カゴタ駅に設置してあったカラクリ時計を見ると、7時半をちょうど過ぎた頃をゴブリンが彫ってある時計の針が指し示していた。


(ここから歩いて2時間となると、ジョーンズさんちに到着するのは9時半か…まぁ職場先に訪問させて頂くにはちょうどいい時間だな)


 カゴタ駅を出て、通りすぎる人々に軽く挨拶をした。眠そうに挨拶を返す御者と一緒に、マルアプスと呼ばれる荷馬竜がプルルと鼻を鳴らすのが面白くて、僕はいい気分になった。


 サクサクと舗装されていない道に生える雑草を踏む音に耳を傾けながら、レイラさんから貰った地図を見て、僕はジョーンズ家の通り道にあるカゴタ市のアデンバーグ村へと曲がる道しるべを探し歩いた。ガコタ駅で降りた時には、肌寒かった秋の空気も太陽に温められて夏の涼しい日のようになった。


 周囲を行く人の数が減り、道を歩くのが僕一人になるのを見ると、だいぶ歩いた気がした。振り返ればカゴタ駅は遥か遠くに見える。


 だが、地図を見れば目的地のジョーンズ家までまだまだ掛かると分かり気が重くなった。道しるべもまだまだ視界に入ってこなかった。


(…誰でも簡単に移動できる転移魔法テレポートなんてものが、早く生み出されたりしないだろうか。そうすりゃこの移動も楽になるってのに)


 高等教育を受けられる程に頭が良いマシューでさえ魔術の授業が受けられるか分からない程、グイントニアで魔術というのは本当にエリート層向けだ。


 転移魔法は、そのエリート達が必死に開発し大きく魔力を消費して、ようやく一人を隣の部屋に転移させる事しか出来てないそうだ。仮に完成しても民間人が利用できるようになるのは、前世の宇宙旅行ぐらい遠い遠い話だろう。


 いずれにせよ、この異世界で生を受けて貰った、『凡庸』という評価を裏切った事がない僕はただ歩き続けるしかなかった。


 それから、どれくらい歩いただろうか。ようやく道の先に、アデンバーグ村への道しるべであるガーゴイルの置物が見えてきた。道を間違えずにここまでこれた安心感と、長い距離を歩いてきたことへの達成感に感激した僕は、ガーゴイルの下へ走るように歩を進めた。


 たどり着いた曲がり角の真ん中で、いかつい表情で台座に座るガーゴイルに、僕は手を合わせてここまで来れた事への感謝と、これから先も何事もなく着ける事を祈った。道の先の遠くに建物がチラホラと見えることから、地図に書いてあるアデンバーグに着いた事を確信し、ウキウキしながら歩き出した。


(時計持ってないから今が何時なのか良く分からないけど、こんだけ明るかったら村に人も居るだろうし、道を尋ねるのも悪くないな)


 目的地が近づいていると分かると僕はさっきとは打って変わって、すっかり陽気な気分になった。




 だが、少しずつアデンバーグへと近づいていくうちに、その陽気な気分は消え去っていった。


 何だかおかしい。何か様子が変だ。


 道行く人は暗そうだったり、僕の事をじろじろ見たり、時々ぎょっと目を見開いたりしている人もいる。


 一体どうしたというのだろうか。僕の顔に何か付いているのだろうか。


 色々考えを巡らせている内に、アデンバーグの旗印の下に小さな人だかりがあった。みんな僕には背を向けて、何かを囲んで見ていた。


「あのう、すいません」


 僕は人だかりから抜けて出てきたご婦人に声をかけた。ご婦人は僕を見て、先程の人と同じように目を見開いたが、すぐに穏やかな表情になった。


「あら、どうしたの坊ちゃん」


「この村に住んでいるジョーンズさんの家に行きたいんですけど…」


 ご婦人は快く道を教えてくれた。だが、僕が人だかりの事について聞くと答えを濁し、早くお行きなさい、とだけ言って去ってしまった。


 湧き上がる好奇心を抑えられず、僕は人だかりに近づいた。見ると村の住人たちは何かが乗った荷馬車を見ているようだった。


 そして、近づいた事をすぐに後悔した。


 血の匂いがする。積んである荷物には大きな布が被せられているが、嗅いだことのある鉄の香りが充満し、僕は顔を思わず歪めた。


「おじさん達、これ…どうしたです?誰か死ん─」


「旅の坊主、嫌なものを見ちまうからさっさと行っちまった方が良い」


 近くに居た灰色のコートを着た男が、僕の言葉を遮るように言った。その言葉とこちらを見る目には有無を言わせぬものがあった。僕は警告に従い、渋々と背を向けて立ち去ろうとした。



 その時だった。強い風がアデンバーグに吹き、ガタンと揺れた荷馬車の積み荷の一部が外に出た。村人のひっと息を吞む悲鳴が聞こえて僕は思わず後ろを振り返ってしまった。そして積み荷の中身が分かった時、僕は思わず腰を抜かしそうだった。


 僕より幼い、あるいは同じくらいの子供の血だらけの手が、だらんと伸びて赤い水滴を垂らしていた。

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使用人エドワードの見た異世界奇譚 ウェーブケプター @wavecaptor

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