カゴタ駅に到着
夜、気付けば僕は、僕は昨日と同じ職務紹介所に戻っていた。カーテンはすべて閉め切って、ランタンの明かりだけが唯一の明かりだった。
『ミスター・エドワード…』
僕の手を、レイラさんは優しく撫でていた。椅子に縛られたかのように動けないでいる僕は拒むことが出来ないでいる。
「レ、レイラさん」
『…一目惚れ致しました。どうか、私のお婿さんになってください…』
「い、いけませんよ、レイラさん。僕には好きな娘が…」
レイラさんはしっと、僕の唇に人差し指を押し当てた。近づいた顔と指は蠟燭に淡く照らされ、最早官能的ですらあった。
『まぁ私の前で他の女の事を話すなんて、いけない人…。でしたら、私がその子を忘れさせるぐらい愛して差し上げますわ』
「そ、そんな、ウへへへ…」
『貴方は私の下で永久就職するのです、さぁ…』
そういうと彼女は僕の肩にゆっくりと手を回し、小さくすぼめたピンク色の唇を近づけ─
プシュウウゥゥウウッ!!!
──台風のごとき強風の吐息で、僕を椅子ごと部屋から吹き飛ばした。
「ハグッ!!」
僕は夢から醒めた反動で、列車の座席の背もたれに頭を思い切りぶつけた。痛みに思わず後頭部をさすりながら周りを見渡すと、こちらをクスクスと笑いながら見ている人が何人もいる。
僕のすぐ向かいからも「ふぇっふぇっふぇっ」としゃがれた笑い声が聞こえた。見ると前歯が何本か抜けた、みすぼらしく生気のない老人がこちらを見てニヤニヤしていた。
「楽しかったかい?レイラさんとやらとの逢瀬は」
どうやら僕は聞こえるような寝言を言っていたようで、見知らぬこの老人に名前まで聞かれていたようだった。なんちゅう恥ずかしい夢を見たんだろう。周りからの視線と自らを恥じる思いで、顔に血が上るのを感じた。
「ど、どこまで僕は…?」
「ふぇっふぇっ、この列車に居てお前が見える者はほとんど一部始終をいたぞい。レイラさん、レイラさんって気色悪い声だして、だらしなく涎たらしておってからに」
恥ずかしさで顔に血が昇るのが分かる。きっと今鏡を見れば、僕の顔はトマトみたいになっていただろう。
レイラさんへの誓いを裏切ったような夢を見てしまった事で罪悪感も生まれていたが、何とか話題をそらそうと急いで涎を拭い、大人っぽい真面目な顔付きで、腕組みしながら老人から目線を外して窓を見た。
どうやら列車は何処かの駅で止まっているようだ。夢の中で最後に見たレイラさんの凄まじい吐息は列車の停止音だったのかもしれない。
何処の駅に止まっているのか確認しようとしたが、駅の看板の文字がちょうど窓枠に隠れており、身を乗り出すと今度は差し込む日光が邪魔をして、僕の座っている座席からではよく分からない。
「今何処に止まってんの?行かなきゃ行けない場所があるんだけど」
「おや、お前さん。入り用かい?」
老人は肩眉を上げた。その声のトーンからして、僕は家出した少年かと思われたようだ。無理もないだろう。僕が持ってる荷物は手に持ってる小さな棒に突き刺した風呂敷のような布に、すっかり収まってしまう程度の物しかないからだ(昔の漫画やアニメに出てくる旅人の格好に近いと思う)。
「そうなんだ。今年からカゴタで使用人として働く事になってさ。まぁ最初は使用人見習いだろうけど、とにかくガコタ駅で降りなくちゃいけないんだよ」
僕が半ば自慢げに言うと、老人は余計、カッカッカッと火が付いたように笑った。
「なんだよう!何が可笑しいんだよ!」
僕は老人にバカにされているように感じ、少しかっとなっていった。
「だったら今すぐ急ぎなさいな、だって─」
老人は親指で窓の外を指さし、僕はその先を追うように見た。ちょうど、太陽が雲に隠れ、電車が止まっている駅の看板の文字が読めるようになると、僕は凍り付いた。
「─今止まってるのがカゴタだぞい」
老人がそういい終えるのを待たずに、列車内に僕の兎のような悲鳴が響き渡った。
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