プロローグ

 秋、場所はグイントニア王国の都市エイルヤウアにて、僕は職務紹介所の個室でドキドキしながら、担当者のレイラさんの言葉を待っていた。


「普通ですね」


「あぅ…」


 レイラさんは項垂れる僕を他所に見ずにひたすら経歴書に目を通していた。経歴書といってもほんの12になったばかりの僕の経歴書に大したことは書かれていなかったが。


「学校では先生方が頭を抱える問題児という訳でも、生徒を代表する模範生という訳でもないですね。字も綺麗な訳でも汚い訳でもなく…非常にユーモアが溢れていて。最後に廊下を立たされたのは2年前、原因は先生の弁当のつまみ食い…」


 そこでレイラさんはようやく経歴書から目を離して僕を見た。


「これから雇われる人間にしては、あまりよろしくないトラブルですね」


「…でっかいクモ苺のタルトだったんで、クラスメイトの注目の的だったんです。先生が食いかけで席を立ったのを見てちょっとだけならと思って4人ぐらいで食べました」


 レイラさんはフフフと笑った。


「クモ苺は私も好きですよ。それで?」


「ほんのちょっと、あと一口と食べてる間に先生に見つかりました。気付けばタルトは半分以下になってて、僕たちは食べかすだらけでした」


「お行儀もそこまでよろしくはないと」


 しまった、墓穴を掘った。そう思った僕は思わず顔を下に向けた。


「いえ、落ち込むことではないと思いますよ、エドワードさん。その件を除いては特に大した問題もないようですし、第一お若いのですからお行儀もこれから直して行けば良いでしょう」


 と言って、レイラさんは経歴書を横に置いて、僕を見た。窓から差し込む光に照らされる、ニコリと笑った笑顔には優しさに溢れていた。


「雇う上では特に問題はないでしょう。ただ現状では、高貴な貴族や一流レストランの下で働けるほど、高望みはしないでください」


 もとより、そんな希望的観測はしていない僕が素直に頷くのを見ると、レイラさんは笑顔になり、


「よろしい。ではミスター・エドワードに相応しい職業は…」


 と言うと、再び書類に目を通した。部屋の中に数秒の沈黙が流れた。自分の将来が今ここで決まると思うと、その僅かな静寂さえ永遠の時間が過ぎるように思えた。自分の背中にのしかかる、重たいおもりのようなプレッシャーを感じずにはいられなかった。



 そして、レイラさんは確信したように頷ずくと、僕に見開いた職場名簿の本の一ページを指さした。


「カゴタ市のトセ区にお住まいの商人ジョーンズさんが、雑用係の使用人を募集してます。使用人は、初等教育を修了し、何より健康体である事を求めています」


「ご心配には及びません。生まれてこの方、病気なんてした事ありません。僕には願ってもない好条件です」


「ただ、給料は安いですよ?お金を貰う以上、貴方が想像している様な、生温い労働ではないことを今のうちに宣告していきます。最初は顎でこき使われるかもしれませんが、誰よりも懸命に働き、少しずつ信頼できるような使用人になるしかありません、出来ますか?」


 そのままの姿勢で顔を上げ、僕を見つめるレイラさんの真剣な眼差しに、僕は黙って首を縦に振るしかなかった。するとレイラさんは少し微笑み、


「決まりですね、いやぁ早くて助かりました。最近はそれは嫌だ、これは嫌だ、考えさせてくれってごねる御方が多くって…」


 と言いながら机からツバメ便箋を取り出し、羽ペンにインクを付けた。



「それでは明日、午前6時にエイルヤウア駅を発車する列車に乗りなさい。そして、カゴタ駅から歩いて2時間の場所にジョーンズさんの家はあります。私はこれからジョーンズさん宛てに手紙を書いておきますので、今日はもう宜しいですよ」



「レイラさん、ありがとうございました」


「御機嫌よう、ミスター・エドワード。ご活躍をお祈りしておりますよ」



 僕はレイラさんと握手をすると、部屋を後にした。


 明日からの働き口が決まり、職務紹介所を出ると、空はすっかり暮れていた。明日に備えてひと休みしようと僕は安宿を探すために歩き始めた。そして、オレンジ色の空の下で、ここまで来るまでの経緯をぼんやりと思い返していた。

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