第7話:真野花の幸せな毎日

「そろそろ行ってきます。熱いのでこまめに水分補給するのですよ?」

「うん、わかったよ真野花ちゃん」


 出社する時間。

 私は稀助さんと一緒に朝ごはんを食べ、お化粧をして身支度をすると玄関を出る。

 清々しい朝だ。夏はまだまだ続くようで、ミンミンとセミが鳴き、木々が揺れ、そうして夏の風が私の肌に当たる。

 私は大手の化粧品会社に勤めており、まだまだ新人なので百貨店などの営業を任せられている。大変だけど、自分が宣伝したものをお店に置いて貰えた時の喜びは、やはりクるものがある。……あ、性的な意味ではないですよ?


「真野花ちゃんは営業成績がいいなぁ、やっぱ可愛いからかなーぁ」


 上司の加藤はいつもそんなことを言って、私を口説いてくる。特に感情は揺さぶられないが、強いて言うなら毎回目線が私の胸元や脚に来ているのは止めて欲しい。


「ねぇ、真野花ちゃんは彼氏とかいるの?」

「はい、いますよ」

「正直どうなのよ、夜のほうは……ちゃんとシてる? 若いうちにいっぱいしたほうがいいぜ?」

「あはは、そーですね」


 思わず乾いた笑いが出てしまう。

 この世代のオヤジはそういうセクハラを躊躇ためらいなく言ってくるからキモイ。

 同僚の子もコイツにスリーサイズや経験済みかを聞かれたらしい。……はぁ、ウザ。


「彼氏と一週間で何回シてるの? 赤ちゃんは産む予定? 産んだら見せてね、オレすぐ駆けつけて、旦那より最初に赤ちゃん抱いてあげるから! 最初に抱いて、オジサンが最初に触った子供っていう一生消えない傷を残してアゲル!」

「あはは、それはありがとございます」


 精一杯の営業スマイルを向けて。

 私はその場を去る。その後休憩所に向かい、『ワイシャツの胸元に隠したボイスレコーダー』をこっそり再生します。


『――正直どうなのよ、夜のほうは……ちゃんとシてる? 若いうちにいっぱいしたほうがいいぜ?』


『――彼氏と一週間で何回シてるの? 赤ちゃんは産む予定? 産んだら見せてね、オレすぐ駆けつけて、旦那より最初に赤ちゃん抱いてあげるから! 最初に抱いて、オジサンが最初に触った子供っていう一生消えない傷を残してアゲル!』


 クスッと思わず笑みを零してしまう。

 私はそのボイスレコーダーを片手に、歩を進めるのだった。


※※※

 

 数日後。


「加藤さん最近見ないねー」

「何かとうとうセクハラがバレたらしいよ。誰がチクったんだろ」

「まー、何にせよ、これでアイツのセクハラに耐える必要なくなったんだね。マジでアイツウザかったから良かったわ」

「それなー」

「お先失礼します」

「あ、咲宮さん。おつかれさまでーす」


 同期のそんな声を聞きながら。

 私は退社する。今日は疲れました。早く稀助さんに会いたいです。

 ガタンゴトンと電車の中が揺れる中、一日の疲れを感じ、思わずあくびをしてしまう。

 そんな時、スマホがピロンと鳴る。稀助さんからだ。内容はこうだった。


『お疲れ様です。今日は僕が夕飯担当だったよね? 今日はカレーだよー。(インド人がカレーを作っているスタンプ)』


 先程とは違う笑みを零してしまう私。

 静かな車内の座席に寄りかかりながら、私はこう返信する。


『もうすぐ帰ります』

『おけ。僕カレー牛肉派なんだけど、それで良かった?』

『構いませんよー』


 何気ない会話が楽しい。

 永遠にこの時間が続けばいいのにと思いながら電車に揺れること30分。


「ただいま帰りました」

「おお、おかえりー」


 扉を開けると、カレーの匂いがした。

 家に帰って、ご飯ができている。これほど幸せなことはない。だってそれって、自分を待っていてくれる人がいるということだから。


「稀助さん」

「ん、いつものね」

「はい……」


 稀助さんは私の元に駆け寄ると、私の頭をなでなでした。まるで子猫を可愛がるかのような優しい手つきに、思わず目を細めてしまう。そうなるとちょっぴりワガママも言いたくなって、


「あのっ、なでなでもいいですが」

「ハグ?」

「はいっ……私、稀助さんにギューってされたいです」

「いいよ。ほら、靴脱いで」


 靴を脱いで、玄関に入ると。

 私は彼の胸元に飛び込んだ。

 温かくて、ちょっと男性にしては細い身体だけど、何だかそれが可愛くて。


「よしよし、今日もお疲れ様」

「〜〜〜っ♡ はい、今日も頑張りました♡ 褒めてください……」

「褒めるよ? エラいね、スゴいね、格好いいね……僕の最愛の人、今日も帰ってきてくれてありがとうね」

「ん〜っ♡ まれふへはん」

「顔、トロトロになってる。ハグされて気持ちよかったんだ」

「はい♡ ハグされて気持ちよかったです。なのでもっとしてください!」

「よぉしよぉし可愛い可愛い……なでなでなでなで……すりすりすりすり〜っ」

「〜〜〜っ♡♡♡ ん〜〜っ♡」


 ひとしきり甘えた後。


「いただきます」

「いただきまーす。どう、美味しい?」


 稀助さんの作るカレーは美味しい。

 別に特別な調理なんてしてないし、具材だってスーパーで売っているようなものばかりだ。なのに、何故だか食べていると幸せな気分になって、明日も頑張ろうと思えるのだ。


「おいしーです。稀助さんはお料理が得意ですね」

「日本のカレールーの質が高いだけさ」

「いえ、稀助さんのカレーは何かが違います。その謎を知りたいです」

「愛情、とか……?」

「あは♡ 愛情ですか!」

「ごめん、めっちゃ恥ずいなこれ」

「何でですか? 全然恥ずかしくないです。むしろ格好いいです」

「それはないだろー」

「あります」

「断言出来るのすごいな」

「ふふ、だって稀助さんはいつでも格好いいですから♡」


 そうして私達は、今日も楽しい日々を過ごすのだった。もちろん夜も、ですけどね♡



 





 

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