第2話:そうめんたいむ

 季節は夏。

 セミが鳴き、木々が熱気でわななき、空はため息が出るほど晴天である。

 学生の頃は夏が好きだった。何故かって、夏休みがあったから。

 宿題もなかった大学時代なんかは、この期間を利用して小説を書きまくったものだ。ああ、懐かしい。


「熱いー」

「今クーラー付けましたからね。もう少しで涼しくなりますよ」


 アパートの一室にて。

 僕――西稀助にしまれすけはパソコンを閉じるや否や、後ろに倒れる。

 熱い、熱い、熱い……とにかく熱い。

 20代も半分に差し掛かると、こうも気温の変化に弱くなるものなのか。


 と、その時。


「……あの、真野花ちゃん」

「はい」

「何で隣に寝てるの? それも、密着して……」


 何を言ってるんだ、とでも言いたげな顔で目を丸くする真野花ちゃん。


「だって、今日はお仕事がおやすみなんですよ? そんな日に、イチャイチャしないなんて、ありえないです」

「……まあそうかもね」

「はい、そーです♡」


 真野花ちゃんは僕の手を握って恋人繋ぎしてくる。握り返すと、キュッと目を細め、幸せそうに微笑む。


「稀助さん♡」

「んー?」

「呼んだだけです♡」

「そっかぁ。……じゃあ、真野花ちゃん」

「はい」

「呼んだだけー」

「もぉ、稀助さんは意地悪です……」


 ひとしきりイチャイチャした後に。


「稀助さん、今日何食べたいですか?」

「そーだな……」


 少し考える。

 正直なんでもいいけど、こういう時にそう答えるのは良くないと話に聞く。

 ならば、今食べたいものを答えるのがベストだろう。……暑い時期に食べると美味しくて、さっぱりするのがいいな。うーんと。

 

 結果、僕が出した回答はこうだった。


「そうめん、かな」

「そうめん、ですか」

「作れそう……?」

「はい、大丈夫ですよ」

「買い物とか一緒に付いていこっか?」

「じゃあ、お願いします♡」


 クーラーの効いた部屋から出るのは億劫だけど、真野花ちゃん一人を外に出して自分だけ涼むのは気が引ける。それに真野花ちゃん車持ってないしね。


 軽く支度をして、僕の車で近くのスーパーマーケットに行く。夕方のこの時間はまあまあ人が来ていて、皆どうも夕飯の買い出しをしているご様子だ。


「そうめんは……あ、ここにありましたね」

「ひと袋でいいや。あんまりお腹空いてないし」

「そうですか。あ、じゃあこのイカの天ぷらとかも要らないですか? 麺つゆと合わせたら美味しいですよ」

「あー、じゃあそれ食べようかな」


 綺麗なきつね色のイカの天ぷらの他にも、枝豆とビールを買い物カゴに入れる。やっぱり夏はビールだよねー。


「ねぇ、どうせだからちょっと色んなつゆを試したいな。ゴマだれとか」

「ゴマだれならお家にありますよー? 他のにしましょう」

「他かの、か……何かあるかな」


 店内を散策していると、ふと目に入ったものがあった。


「キムチ汁、か……辛いやつかな」

「そうめんに合うかはちょっとわからないですね……買ってみます?」

「うーん」


 確かに冬になると、キムチ鍋にうどんを入れたりする。けどあれは温かい料理だから合うのかもしれない。冷たいキムチ汁にそうめんは、どうだろうか。


「まあ、別にいいか。買っちゃおう」

「はい……♡ 稀助さんが言うなら!」


 真野花ちゃんはニッコリ微笑み、キムチ汁を買い物カゴに入れるのだった。


※※※


「ふぅ、帰ってきたなー」

「暑かったですねー」


 帰宅する。

 部屋の中はつい30分ほど前までクーラーが付いていたのにも関わらず、もう蒸し暑い。夏め、本当恐ろしい季節だ。


「ちょっとお茶でも飲むかー。真野花ちゃんいる?」

「あ、はい。いただきます」


 僕はグラスに冷たーい麦茶を入れて、真野花ちゃんに渡す。そうすると彼女はコクコクと小さな口で飲み始めた。ウチの妻は麦茶を飲んでいるだけで絵になるようだ。


「あの」

「え、あっ、何……?」

「見られるとちょっと恥ずかしいのですが」

「あっ、ごめん……可愛くて、つい」

「っ〜〜〜♡ ……もぉ、いきなりそーゆー事言うの、反則です」

「でもその反則使うと可愛い顔見せてくれるから、もっと使っちゃおうかな」

「……へんたい」

「真野花ちゃんもね」


 彼女はポッと顔を赤らめ。

 やがて僕の傍にトコトコやってきて。


「っ……」


 僕の胸に顔を埋めるなどする。


「真野花ちゃんは甘えん坊さんだなぁ」

「女の子は時々甘えん坊さんになるんです……てか、私も誰これ構わず甘えるわけじゃないですから……昔とは違います」

「そっかぁ」


 西真野花……旧姓、咲宮真野花さきみやまのかは昔、誰とでも寝る清楚系ビッチだった。彼女は人肌が恋しいのだ。だから身体目当てに寄ってくる男達と関係を持ち、相手を薬漬けのように自分に首ったけにさせた。


 けど今は違うようで。

 何だか僕はそれが誇らしかった。

 だって、僕に依存して、甘えてきてくれるから。僕を頼ってくれるから。


「あのっ、稀助さん」

「ん?」

「ぎゅーーって、してください」

「……いいよ、真野花ちゃんの為なら」


 お願いを聞いてあげて、僕は真野花ちゃんを強く抱きしめる。夏の蒸し暑さなんかとは違う、優しい温もりを確かに感じた。同時に彼女の香水の香りや、ココアブラウンに染まった髪から香るシャンプーの匂いもして、そうなると本当に愛おしく感じる。


「温かいです……」

「心臓の音、聞こえるね。ドキドキしてるんだ」

「はい、ドキドキしちゃってます♡」

「僕もドキドキしてるよ。すごい……」


 どうにも僕らは一緒にいるとイチャイチャしてしまうようだ。


「……そうめん、作ろっか」

「はい、そーですね……あは……」


 名残惜しそうに身体を話す真野花ちゃん。

 その顔は小動物のようで、庇護欲が溢れてきてしまった。だから彼女の瞳を閉じさせる。すると何かを察したのか、唇を突き出してくる。リップが塗られたピンク色の唇は、非常に蠱惑的で、やっぱり僕の妻は最高だなーなんて思ったりして、そんなことを思いながら、


「んっ……♡」


 キスをした。

 彼女から色気のある吐息が漏れ、もう堪らず再度抱きしめる。


「ふふ、これじゃあいつまで経ってもお料理できないです♡」

「そうだよねー……はは」


 苦笑しながらようやくイチャイチャモードも一旦の終わりを迎え、一緒に料理を作り出す僕らだった。


※※※


「じゃあ、食べましょーか」

「うん、食べよう」


 そうめんが茹で上がり。

 いよいよ夕飯の時間になった。

 まずは無難に麺つゆからいただく僕だ。

 少し濃いめに麺つゆを入れ、氷を3つほど入れて食べる。


 ちゅる、ちゅるる。


「冷たくて美味しい……」

「夏にピッタリですねー」


 麺つゆにそうめんは、無難だけどやっぱり美味しい。わさびを入れる人もいるみたいだけど、色が濁って何だか不味そうなので、僕は入れない派だ。真野花ちゃんもそれは同様なようで、少し違うのは水を多めにつゆを作っていることくらいだ。


「イカの天ぷらに麺つゆ付けたら、やっぱ美味しいなぁ……サクサクで、やっぱりいいなぁ」

「夏って感じですねー」


 ほのぼのした時間が続き。


「次はゴマだれで食べよう。別皿に入れて、そうめんをちょっと付けて……」


 ずるっ、ずるる。


「なんかこってりしてるなー。けど美味しい」

「食べすぎるとすぐお腹いっぱいになりそうです」

「それな。まああんまり食べないでいいかもな」


 好きな人は好きなんだろうけど。

 と、まあそんなわけで、最後はお待ちかねのキムチ汁だ。やはり別皿に入れて、そうめんをちょっと付けて食べてみる。


 ずずーっ。


「……これは」

「どう、ですか……?」

「美味しい」

「あら、良かったです。私も食べてみましょうかね」


 思えば、具材を食べ終わったキムチ鍋の残り汁は美味しかった。だから案外そうめんと合うようだ。自然と箸が進み、麺つゆより沢山食べてしまった。


 結果――



「お腹いっぱいだぁ……」

「食べてすぐ寝ると牛さんになっちゃいますよー?」


 食後すぐに寝るという怠惰な姿を妻に見せるという、みっともないことになった。

 いやはや、キムチ汁は恐ろしい……当分控えなければな。

 満腹ボディーになりながら、そう思う僕であった。






 

 


 

 


 

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